第46話 迷宮(三人称)

 扉を開けて無限に思えるような階段を駆け降りる。

 下に行くにつれて空気が変わっていくのをジェシカは肌で感じていた。


 迷宮とは『深層迷宮ラスト・ダンジョン』から溢れた魔力が空気などを媒体にして拡散し、あるとき魔力濃度が基準値を超えてしまった地帯を指す。

 高濃度の魔力は鉱石や動植物に宿ることで魔鉱石や魔物へと変異させてしまう危険がある。ゆえにある程度魔力に耐性を持つ中級以上の冒険者しか立ち入れず、一般人は近づくことすら禁じられている。


「相変わらず気色悪いな」


 ジェシカは鼻を腕で押さえながらゴネる。

 ピリピリと肌を刺激する空気も、なんとも言えない魔力の臭いも、ジェシカは苦手だった。

 こんな場所に好んで出入りする人間の気が知れないとすら思う。


 とはいえ今回はちゃんとした事情がある。

 引き返して新鮮な空気を吸いたい衝動を抑えてジェシカは階段を下っていく。

 しばらく進んで視界にも魔力の障害が及び始めた頃、ようやっと第一階層とされる領域に到着する。


 迷宮の内部は無造作に壁が削り取られた空間だった。

 恐らくはもともと炭鉱として機能していたのだろうとジェシカは推測する。

 長年放置された結果、魔力濃度の上昇に気づかずに迷宮化を許してしまった。よくあるパターンだ。


 入り口から内部までの道は舗装されていたが、ここからはそうではない。

 灯りは天然の魔鉱石が光を発していることから問題ないが、足場は最悪だ。

 そこらにレールやトロッコらしき物が散乱している。


「地底の迷宮にしてはまずまずだな。やっぱり王都に近いだけはある」


 呟きつつジェシカは歩みを進める。

 そこらに自生した怪しい光を放つ魔草は目当てのものではない。

 もっと奥に行かなければ発見できないだろう。


 さっさと駆け抜けて魔草を見つけてしまおう。

 夕食時には宿に戻らなければいけない。怪しんだギルドの職員がジェシカの部屋を覗いてしまう危険性があった。


 脚に力を込めて今にも地面を蹴りつけようとした時、ジェシカは目の前の壁面が不気味に隆起し始めるのを目撃する。

 赤く光る鉱石を中心にして壁から剥がれ落ちた岩は、四足歩行の獣を象って傀儡じみた不規則な挙動を見せる。


「ゴーレムか」


 地底の迷宮ではそう珍しくもない。

 魔鉱石を核として無機物が一時的な動力を得る。

 生物の形をとることが多いが、理性があるわけではない。ゴーレムは動く物体に反応して攻撃を仕掛けてくる。


 カクカクと小鹿のように全身を震わせるゴーレム。

 ジェシカはしばらく観察すると、恐れることもなく疾走する。

 走りながら背中の剣を抜き、両手に握る。


 大気中の魔力の乱れを感知したゴーレムは敵の存在を認め、ジェシカに向かって飛びかかる。


「はっ」


 岩の牙で噛み砕かんと大顎を開けるゴーレムを見て、ジェシカは思わず失笑した。

 まったくもって頭が悪い。そもそも考える頭がないのだから仕方ないのだが。

 ジェシカは脚に聖なる力を込めると驚異的な瞬発力でゴーレムに接近し、肢体と首を一瞬にして刎ねる。


 瓦礫のように地面に転がるゴーレムのもとに歩み寄る。

 まだトドメを刺していない。

 ゴーレムは魔鉱石を核とする無機物だ。単純な生物とは違ってバラバラに刻んだところで直接的なダメージにはならない。


 あちこちに散らかったゴーレムの部位が、胴体に埋まった核を中心に戻りつつあった。

 失った肢体や首を引き寄せるために一際強い光を放つ魔鉱石。普段は胴体を形成する岩で隠れて見えないが、この瞬間こそが最大の弱点になる。


 ジェシカは躊躇なく縦に一閃。

 胴体もろとも魔鉱石を両断されたゴーレムは瞬く間に駆動を停止する。

 引き寄せられていた部位も、魔力の影響を受けなくなったことで変哲のない岩となって地面に落下する。


 戦闘の余韻に浸ることもなく剣を収めると、ジェシカは息を吐く。


「やっぱり弱いな」


 魔力濃度から察していたことだが、上級向けの迷宮ではない。

 踵を返してジェシカはさっさと走り始める。

 敵が弱いに越したことはない。本命は魔草の採取。

 ゲルベリアは魔力濃度の最も高い場所にあるだろうと見当をつけていたジェシカは、最奥を目指して進む。

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