第26話 開戦

「時間が経って邪魔が入るのも面倒だし、すぐに殺してあげるわ!」


 瞬間的な脚力によって床を砕き、リトアは一瞬にしてアルテナの眼前にまで肉薄する。

 俺たちが身構えるより速く、リトアは巨大なランスで標的を無慈悲に穿つ。


 己より遥かに大きい武器を携えておきながら、肉眼で確認するのがやっとの走力だ。

 これだけの身体能力があるならアルテナが不意打ちの必殺を警戒していたのも頷ける。


 しかし素早さならアルテナも負けてはいない。

 正確に心臓を捉えたリトアの一撃を剣でいなし、ランスではなく自身の軌道を逸らす。

 片手剣のアドバンテージ。フットワークの軽さを活かして、流れるようにリトアの首を狙って横一閃。

 完璧なカウンターだった。

 アルテナを甘く見捨ていたのか、リトアはランスを突き出した前傾姿勢のまま我が身に迫る剣筋を視線で追うだけ。


「――――」


 これまで数秒の出来事だ。

 決まった、と思った。

 しかし次の瞬間、俺はとんでもない光景を目の当たりにした。


「な、なんだと!?」


 戦闘を間近で目撃していたオリアナが声を上げた。

 俺も例に漏れず、目を見開いてその状況を注視する。


 アルテナのカウンターはリトアには届かなかった。

 受け止められたのだ。ランスではなく、で。

 手甲もつけていない無防備な方の手で、リトアはアルテナの剣を確かに掴んでいる。


 意表を突かれ、険しい面持ちで握られた己の剣を見るアルテナ。

 そんな彼女を見下し、リトアは涼しい顔で口を開く。


「相変わらず軽いわねぇ。こんな刃じゃ傷一つつかないわよ?」


 言うや否や、グイッと強引に左手を引いて剣ごとアルテナを持ち上げる。

 唖然としていて思考が追いついていない様子のアルテナは抵抗する気配もなく、鳩尾にリトアの膝が食い込んだ。


「ぐぅっ!」


 顔を苦痛に歪ませ、まるで布切れのようにアルテナの体は宙に浮く。

 しかし握った剣は手放さず、リトアもまた放さないことで同じ位置に着地する。

 アルテナは片手で腹を押さえ、幾度も咽せていた。

 ダメだ。明らかに戦闘を続行できる状況ではない。俺は無手ながらもリトアに向かって駆け出そうとする。


「待て、クリス」


 しかしそれをオリアナが止めた。

 疑問に思い、彼女を見る。

 オリアナはジッとアルテナを見つめていた。

 そこで気づく。オリアナの体が少しだけ白色に光っていることに。

 オリアナの職業は『白騎士』だ。自身と、自身が対象と定めた人間に聖なる護りを施す。

 対象者は最大で十数人。数が少なければ少ない程に個々の防御力は上がる。


「ん?」


 冷めた目でアルテナを見下ろしていたリトアが違和感に気づいた。

 鳩尾を蹴り上げられた時にはもうオリアナの力は発動していたのだろう。そしてアルテナのみにその力を注いだとするなら……。


「――隙ありッ!」


 いくら身体能力がずば抜けているとはいえ、単なる蹴り上げ程度では大きなダメージにはならない。

 アルテナは痛みに悶えるをしていたのだろう。

 即座に自身の剣を両手で握りしめ、剣から漆黒の光を放出させる。


 剣身を握っていたリトアは瞬時にそれを手放すが、対応が遅い。

 アルテナは距離を取ろうと後方に重心を傾けるリトアに向かって超近距離の斬撃を放つ。


「くっ」


 辛うじてランスを盾にするリトアだが、その身は瞬く間に黒光に包まれる。

 俺の時もこんな状態だったのかと思い返していると、リトアを巻き込んだ黒光は部屋の壁をぶち抜いて冒険者ギルド本部の裏庭まで突き抜けた。


 一室から裏庭まで一直線に吹き抜けと化した冒険者ギルド本部。

 俺が現役の時も揉め事で部屋が丸々使えなくなることは何度もあったが、ここまで酷い有様になったのは初めて見る。

 俺はとんでもない事件に関わっているのだと改めて実感した。


「オリアナさん、助かりました。ありがとうございます」


「いや、礼なんていいさ。それよりも……やったのか?」


 オリアナが釈然としない声音で呟いた。


「……いいえ。この程度で倒せるようなら権謀術数は重ねません」


 アルテナはそう言うと、リトアが吹き飛ばされた裏庭に向かって駆け出す。

 オリアナは俺を見て無言の問いを投げかけてくる。俺は小さく頷くことで返し、それを確認したオリアナはアルテナを後を追う。


 俺も向かおうとするが、ピタリと足が止まる。


「…………」


 壁にもたれているグランの爺さんを見る。

 この傷を見るに、おそらくもう……。

 後輩冒険者のカイルもそうだ。俺の知り合いがこうもあっさりと命を奪われた。

 冒険者は常に死と隣り合わせの仕事だ。今日の知人が明日には骸と化しているなんて珍しい話ではない。

 冒険者たるもの、死に動揺することなかれ。俺たち冒険者はそう教えられ、上を目指す。しかしそれはまでの話だ。


 俺たち上級以上の冒険者は多くの死線を潜りぬけ、誰にも負けない力を身に付けた『強者』だ。

 自分が死ぬところなんてあまり想像できないし、同じ佳境を味わってきた仲間が簡単に命を落とすなんて受け入れ難い。

 身近な死を跳ね退けてきたからこその、生の自信。

 実際のところ低級冒険者よりも最上級冒険者の方が身内の死に対して敏感なのだ。何にも代えられない、得難いものを失ったのだから。


 冒険者復帰をしようって時にこんな場面に出くわしたら流石に気が滅入る。

 身内の死を悼む時間も惜しいなんて、残酷にもほどがあるだろう。

 歯を食いしばり、湧き立つ怒りを抑えつけ、努めて冷静に俺は床に転がるグランの爺さんの愛剣を手に取る。


「借りるぞ、爺さん」


 大剣アスカロン。

 全盛期のグランの爺さんがこの剣で邪悪なドラゴンを斬り殺したといわれている。一部じゃ伝説になっている名剣だ。

 俺が普段使っている剣より少しばかり大きいが、誤差の範囲と言える。俺の筋力なら十分に振りまわせる。


 こんなにも人を殺したいと思ったのは初めてだ。

 レインの時には後ろめたさもあってやけくその殺意をぶつけたにすぎなかった。

 だがリトアは違う。他者を見下し、身勝手な都合で理不尽に人を殺す狂人に対して躊躇はない。


 リトアはこの場で必ず倒す。何があっても。

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