ランドレス戦記〜漆黒の女騎士は亡き主の意思を継ぎ戦う〜

ヌマサン

第1章 亡国の女騎士

第1話 祖国、滅亡す

 鼻をつく焦げ臭い香り。視界を遮る黒煙。この二つが城中に満ちている。そう、ロベルティ王国の王城が燃えているのだ。


 まさに今この瞬間、ロベルティ王国は滅亡の時を迎えていた。攻め寄せる敵は西の隣国、ヴォードクラヌ王国。


 ヴォードクラヌ王国の将軍ホルヘ・ヒメネス率いる1万4千に攻められ、初戦のキバリス渓谷の戦いで大敗、谷を抜けた先に広がるキバリス平原での戦闘においても手痛い敗北を喫したロベルティ王国。


 この連敗により、わずか三日で王都テルクスまでの120キロという道のりを踏破されてしまったのだ。


 そうして、王城を含む王都テルクスを完全包囲されること3日。これが現在の状況となる。つまり、ヴォードクラヌ王国軍が国境を越えてからわずか6日で王城への侵入を許してしまったことになるわけだ。


 そんな侵入してきた1万近い敵軍に対し、ロベルティ王国軍はわずか3千。これでは防げるはずもなく、時間の経過と共に数で押し切られ、王城内部はヴォードクラヌ王国兵よりもはるかに多い数のロベルティ王国兵の死体が転がり、さながら王城そのものが兵士たちの墓場と化していた。


 そんな王城での戦いにおいて、奮戦したのは王子カルメロ・ロベルティの近衛兵5百であった。


 近衛兵たちを指揮する近衛兵長の名はナターシャ・ランドレス。黒い髪に黒い瞳を持ち、黒い髪はうなじ辺りで一本にまとめており、その美しさにすれ違うモノはみな振り返るほどの麗人である。


 そんな彼女は漆黒の鎧をその身に纏い、漆黒の剣を振るって敵兵を次々と討ち取っていく。そんな彼女の戦いぶりは周辺諸国からと呼ばれ、文字通り一騎で千の兵に当たる強者である。


 『勇将の下に弱卒無し』という言葉があるが、近衛兵たちの戦いぶりはまさにその言葉通りであった。


 しかし、敵とてそんな猛兵に正面から挑み続けるバカはいなかった。攻め方を変えた敵方。その後方に控える弓兵から雨あられと射かけられ、バタバタと近衛兵も倒されていく。そこからは猛獣とそれを射る狩人のような戦いが続いたが、敗走を余儀なくされたのは当然近衛兵たちである。


 その際に撤退する兵たちをよく指揮したものがいた。その名をクライヴ・ランドレス。そんな彼はナターシャの血の繋がった弟に当たる。


 彼は矢が飛び交う中で、すでに死亡してしまった敵兵や味方の兵士の亡骸を盾にして後退するように指示し、王宮内へと退避することに成功した。ただ、王宮内へと逃れた後は、人を盾にしてしまったことへの懺悔の言葉を述べ続けており、戦いどころではなかった。


 そんなクライヴを後方に下がらせ、隊長であるナターシャが最前線で指揮を執った。


 そこからの近衛兵の奮闘もむなしく、敵兵は王宮内へと侵入する結果となり、ロベルティ王国国王パヴェル・ロベルティ、王妃イレーネ・ロベルティの両名は捕虜となり、その後も数時間にわたり離宮に籠もり抵抗していたナターシャたち近衛兵も共に立て籠もっていた主君、カルメロ・ロベルティの命令により武器を捨て、投降した。


 投降したロベルティ軍の兵数は2千に上り、戦死した兵は千余り。投降した兵たちの中でも王族や将軍などの軍を指揮する立場にあった者は地下牢へと押し込まれる形になっていた。


 そんな中、牢屋番によって王族の3名だけが地下牢から外へと連れ出されていった。それはナターシャの瞳に焼き付くように残っている。


 連れて行かれたのは国王であるパヴェル、王妃のイレーネ、王子のカルメロの3名。後にナターシャの耳に入った話では、3人とも王都テルクスの中心部にて斬首された――と。


 その後で地下牢に入っていた者たちは全員釈放され、将軍ホルヘの前へと並ばされた。


「諸君らはこのホルヘに仕えよ。敗者は勝者に従うのが乱世の理であるからな」


 かつて王であったパヴェルが腰かけていた玉座からの声に、将軍たちは拳を震わせた。その震えは敗北と王を殺した男に従わねばならないという屈辱から来るモノであった。


 ホルヘの応対ぶりにはナターシャたちロベルティ王国の武官たちへの軽蔑がありありと伝わってくる。しかも、ここで怒りに任せて斬りかかれば、成敗する口実を与えてしまう。


 「それだけはごめんだ」とばかりに、必死に自らの内側で燃え盛る怒りの業火を鎮火しにかかる。そんな武官たちの中でナターシャだけは平然とした態度のままであった。


 ホルヘからの屈辱的な言葉に耐えるだけの面会を終え、以後ロベルティ王国の将軍たちは丸々ホルヘの配下の将軍として扱われた。


 その日はホルヘとの無礼極まりない面会を終えた後、ナターシャは弟のクライヴ、家臣のクレア・カスタルドの2人と共に自室へと戻った。


「姉さん、あのホルヘという男。明らかに我々を軽蔑している。士を遇するの道を知らぬ愚か者としか言いようがありません……!」


「クライヴ、落ち着きなさい。一軍の将たるもの、あの程度の小物の言葉など草を揺らす風のように受け流さねばなりません」


 ホルヘの言葉に対しての率直な思いをクライヴは口にした。されど、ナターシャも思うところは同じであっても、感情的にならなかった。


「そうは言っても姉さん!国王陛下や王妃殿下のお2人とカルメロ様を斬首したのはあの男なのです……!そんな男に軽蔑の眼差しを向けられて――」


 クライヴの口へそれ以上の言葉を押しとどめるかのように人差し指が置かれる。


「ですから、クライヴ。落ち着きなさいと言ったはずです。確かに、あのような男にカルメロ様が捕らえられ、王都中心部で処刑された事は許しがたいことではあります」


「ならば……!」


「ええ、このまま黙っているつもりはありません。ですが、今はその時ではない。クライヴ。時が来るまでは大人しく従うをしていなさい。あなたは冷静さだけが取柄なのですから、その冷静さを持って至らない姉を支えてください」


 ナターシャの言葉は一言一言に確かな重みがあった。その重みのある言葉を受け止め、クライヴはそれ以上ホルヘについて何も言うことはなかった。


「ナターシャ様、少しよろしいですか?」


「ええ、大丈夫よ。それで、母上の件はどうでしたか?」


「ダメ……でした。『会うことはならぬ!帰った帰った!』の1点張りで」


 その時の状況を再現するかの如く、声マネを挟みながら報告するクレア。それをフフッと笑みをこぼし、ナターシャは言葉を続ける。


「分かりました。それでは、母上との面会の件も時期を待つとしましょうか」


 ナターシャはそう独り言ちて窓の外を眺める。彼女とクライヴの母であり、先のキバリス渓谷で指揮を執り戦死したドミニク・ランドレスの妻であるシャノンは王宮の一室に押し込められたままなのである。


 なぜかと言われれば、シャノンは王都テルクスで処刑されたイレーネの側近であり、王族3名の処刑に猛烈に反対したことが大きかった。反対するだけならまだしも、近くにいた兵士の剣を奪い、ホルヘの腹心を斬り殺してしまった。それによって彼女はホルヘの命令により捕らえられ、今に至る。


「姉さん、母上もいずれは……」


「処刑されてしまうかもしれません。ですが、そうなれば私たちがどんなことをしでかすかくらい、分かっているはず。むしろ、人質として活用する方が良いと判断することでしょう」


 そんなナターシャの言葉が部屋の空気に取り込まれ、消えていく。その中でカチャリと紅茶のカップを置く音が響く。


 こうして日当たりの良いナターシャの自室でのやり取りは静かに終わりを迎えるのだった。

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