彼女が出征する日

岸井かなえ

第1話 祝!出征。そんなわけねぇよ!!!

そして、彼女は恐怖を堪えた涙を溢れさせながら、出征していった。



****


朝起きると、同棲している彼女が座り込んでいた。


普段なら俺より起きるのが遅い。



その彼女の空気が話し掛けなくても分かるくらい悲壮感が漂っていた。


「ヤムさん」


俺が起きたことに気が付いた彼女が、俺の名前を呼んだ。


今にも泣き出しそうな彼女をベッドから飛び出して抱きしめた。


彼女は俺の腕の中で、声を上げて泣いた。


何があったのかも言えず、彼女はただただ泣いた。

まだ薄暗い部屋が、ようやく朝日が部屋に入ってき始めたくらいに彼女は話せるくらいに落ち着いてきた。


それでも、まだ泣いている。


「何があった?」


「ヤムさん」


名前を声にしただけで、また声をあげて泣く。

あまりにもそれが悲壮で何があったのか、分からずとも抱きしめ続けた。


ヤムさんと彼女は、付き合って4年。

つい先日、ヤムさんは彼女にプロポーズをして、彼女からOKをもらったところだ。


入籍は来年の2人が付き合った日と決めていた。


これを決めたのは彼女で、「何があってもこの日がいい」の一点張りだったので、その日にすることにしたのだ。


ヤムさんとしては、プロポーズをしてすぐにでも、と思っていたのだが。


彼女は泣きながら自分のスマホのロックを解除し、ヤムさんに見せた。


【祝!出征。貴殿は、日本国の命により出征することが決定されました。出征は3日後。以上】


自国の情報用アドレスからのメールだった。


ヤムさん達の国は、有事の際に個人の情報端末へメールが送れるシステムを導入していた。


ヤムさんは泣く彼女を抱き締めながら、自分のスマホを見た。

ヤムさんのスマホには何も届いていない。


他にもそのようなメールが届いているのか調べると、自国のHPに詳細が記載されていた。


かつての戦争敗戦国は、現在激戦地と化し、何を思ったのか自国へ依頼をしたようなのだ。


そして、出征に選ばれたのは未婚の10代男女。


去年10代最後を迎えたヤムさんは対象から外されていた。


そして、注意書きには、『出征選出後の婚姻は可能だが、出征の免除対象にはならない』とのことだった。


突然のことに頭がついていかなかった。



なぜ、彼女を他国の戦争のために取られなきゃいけないんだ。


なぜ、自国はこんな理不尽な命を受けたんだ。


なぜ、なぜ、なぜ。



ヤムさんは職場の同僚にメールで事情を伝え、彼女が出征するまでの5日間の休む許可を取った。


彼女は泣き疲れて、ヤムさんの腕の中で眠っていた。


ヤムさんは、彼女の友人達にメッセージを送った。

出征の話は友人達には隠し、

『彼女にサプライズをしたい』との内容を送った。



ヤムさんの彼女は決して戦闘向きではない。

他人の喧嘩を見ただけで、泣き出してしまう、そんな女性だ。


戦争において、そんなの足手纏いになるだけである。


ヤムさんの世代は、本物の戦争は知らない。


テレビや映画で観たことがある程度である。

ごく稀に、祖父母世代に戦争を体験した世代がいて、その話を聞かされてはきた。


戦争というものが大っ嫌いだったし、

小さい頃は、かの戦争をしていた国もヤムさんは大っ嫌いだった。


今は、頭で言い聞かせて、悪い国ではないと分かるようにはなり、スマホや車などの文明の利器はむしろ好んで買っている。


そんな国が【戦争】をして、

しかも、今度は彼女を奪っていく。


許せなかった。



でも、今は怒るわけにはいかない。


目の前の彼女がもっと悲しむから。



ヤムさんは眠る彼女の髪を優しく撫でながら、彼女が目を覚ますのを待った。



***


ヤムさんの彼女、リーさんは2つ年下で小柄で腰の辺りまであるロングヘアがよく似合う女性だ。


リーさんは誰にでも可愛がられる。


街に出れば、路上の屋台の人たちから声を掛けられ、よく食料をもらって帰ってきた。


そのおかげもあり、貯金もほぼないヤムさんが勤めてすぐに同棲出来たのだ。


何しろ、食費はほぼ掛からない。


家賃と光熱費などを支払っても、まだデート代出来るだけの余剰が出来る。


ヤムさんはリーさんが彼女であることを、

周りからとにかく羨ましがられていた。


【リーさんは存在だけで宝だ】


と誰かが言ったこともあるくらいの女性だからだ。


ヤムさんとリーさんは幼馴染で、

気が付いたら一緒にいた。


告白してきたのは、リーさんの方で

ヤムさんは夢かと疑った。


それが4年前。


ヤムさんの就職とほぼ同時にリーさんも付いてきた。

リーさんは近くの学校に通っている。


人当たりも良く、成績も良い。

友人の話はよく聞いた。


同棲を始めて、ヤムさんは結婚を決意した。


とは言え、就職して日も経っていなかったこともあり中々言い出せず、先日ようやくプロポーズしたところだった。


昨夜は、結婚式をどこでしようか。

誰を呼ぼうか。


そんな話をしながら眠ったところだった。



まるで夢のような心地だった。

それくらい幸せだった。



***

リーさんが目を覚ましたのは、陽が傾き始めた頃だった。


その間、ヤムさんは片時も離れず、リーさんに膝枕をしながら、リーさんの髪を撫で続けた。


「ヤム・・・さん・・・?」


「起きた?」


起き上がったリーさんは頷いた。


「ヤムさん、変な夢を見たの」


リーさんが語ったのは、2人の男の子と女の子の話だった。


お花畑でその2人が遊ぶ夢。


とっても暖かくて幸せな夢だったそうだ。



「日本ってどんなところだろう」


最後にポツリとリーさんは呟いた。


リーさんはもう現実を受け入れていた。



そんなリーさんをヤムさんは、着替えて外に連れ出した。


星が綺麗な日だ。

流れ星が落ちてくるのが見える。



でも、ヤムさんにはそれが爆弾が落ちてくるのではないかと錯覚して、いつでも避けられるように、と川沿いの道をリーさんの手を引っ張って走った。


普段のデートで走ることなんてない。


ヤムさんは自国も爆弾が落ちてくるのではないか。


そんな気持ちを隠せなかったのだ。



リーさんを連れてきたのは、馴染みの大衆鍋屋。


リーさんの好きな丸い餅のような食べ物が入った鍋が食べられるお店だ。


リーさんが好きなのは、日本の餅のように伸びないが、見た目は日本の餅のような食べ物である。


「ヤムさん、いらっしゃい。

リーさんも一緒ね。どうする??いつものテーブルにしようか?」


馴染みの店ということもあって、店長も店員も顔馴染みだ。


「お願いします」


「はいよ。ちょっと待っとくれね」


イマさんはまるで店長のような風格のあるここの店員だ。


まるで歳の離れた兄弟のように、ヤンさん達を可愛がってくれている。


案内してもらったのは、いつもよりちょっとだけ良いテーブル席だった。


いつものテーブル席には囲いはないが、今日の席にはサイドから見えないような囲いのある席だった。


『この席は予約客しか入れない』と以前、店長が話していたのを聞いたことがある。


何かを察したのか分からないが、イマさんはその席に案内してくれた。


「初めてだね」


リーさんは囲いのある席に喜んでいるようだ。

他の人を見るのは抵抗があったのかもしれない。


ヤムさんはいつものお鍋とおつまみとお酒を頼んだ。

リーさんが珍しく駄々をこねたから、おつまみはいつもよりちょっと良いやつだ。


この国では飲酒に対する年齢制限はない。


乾杯をして、お酒を飲んだ。

リーさんはいつもより沢山飲んだ。


ヤムさんは止めなかった。


鍋の世話をし、リーさんが好きな具材を小皿に取り分け、食べさせる。


リーさんは終始ニコニコしながら、それを食べた。


0時になり、お店が閉店を迎えた。

この国では、基本付け払いで閉店後もお店にいられる。


閉店すればお店の人はいなくなり、客だけの時間となるのだ。


そこにリーさんの友達がやってきた。

リーさんと口々におしゃべりを始めた。


これも日常。普通のことだ。



ヤムさんはリーさんの親友から囲いの外に呼び出された。


「ヤムさん、あれ本当なの??」


ヤムさんは唯一彼女にだけ、【出征の話】を伝えた。


「あぁ。今朝、自国配信のメールが来てた」


リーさんの親友ユンさんは、活発な女性だ。

ユンさんはコンビニの袋をヤムさんに見せた。


「これ、リーさんに」


中身は、リーさんの好きなナンのような食べ物の真空パックが数個。軍手や手袋が白や緑のものが数個。インナーのようなものの袋が数個とフィナンシェの個包装が2つ見えた。


「レシートが入ってる。リーさんに見せたら気を遣わせる」


ヤムさんはレシートを取り出して、ユンさんに渡した。

ユンさんはリーさんのことを分かっているヤムさんに嬉しそうだった。


「これは持っていく荷物に混ぜといてあげて」


ユンさんはヤムさんにそう伝えて、リーさんのいる席に戻っていった。


「ヤムさん。あのニュースってリーさんなの?」


仕事を終えたイマさんがヤムさんに静かに声を掛けた。


ヤムさんは頷いた。


「そっかぁ。リーさんが」


イマさんは涙をポロポロ溢した。

リーさんの周りは温かい人ばかりだ。

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