スーパーカブ8

トネ コーケン

第1話 お金

 小熊はガレージに居た。


 大学生活を始めるに当たって賃借した町田市北部の木造平屋、その敷地内にあるカエル色のコンテナ。

 小熊が知人の仲介でこの家を借りる理由となった、盗難リスクの高いスーパーカブを安全に保管できるコンテナガレージの中は、少し広くなった。

 コンテナの区分では20フィート、なんでも㎜で表記する癖のある工学専攻の知人に言わせれば幅2300mm、奥行き6000mmの内部スペースは元々広大で、カブに加え整備工具や各種部品に作業机。それとは別にカブを眺めながらお茶など飲めるテーブルとチェアを置いても充分な余地があったが、自分の乗っているカブ90とは別に持っていた、高校時代に乗っていて事故で全損させたカブ50の部品取り車を最近手放したことで、コンテナの中は軽自動車が一台置けるくらいの余剰スペースがある。

 

 コンテナという構造上、夏や真冬には中での作業は困難だということは予想していたが、暦はまだ四月の半ば、曇り気味の天気もあってコンテナ内部は快適な温度だった。

 作業灯で照らされたコンテナ内で、ちょっとしたカフェのようなテーブルでコーヒ―を飲みながら、自ら稼ぎで揃えたバイク趣味のツール類を眺めていた小熊の気持ちは、今日の天気同様に燦燦とした陽光とはやや縁遠いものだった。

 それは空からミサイルが飛んでくるようなわかりやすい危機ではなく、雲のように曖昧、漠然としている。自分をうっすらと覆い、行動に目に見えない制約を与えるような存在。

 お金が無い。


 元々小熊はここに居を定めるにあたって、充分な資金を用意していた。

 バイク便で稼いだ高給を散財することなく蓄え、二月に事故を起こした時も加害者のタクシー会社と独力で交渉し、充分な補償を約束させた。

 自らの身元を保証してくれる者の居ない天涯孤独の身、頼れる物は金しか無い。

 その後、大学の女子寮入居の話をバイク禁止という理由で蹴ってまで理想的な住処を探した小熊は、あまり交流を深めたくない高慢で独善的な人間、名前を覚えたくも無いので乗っているレクサスSUVの色からマルーンの女と呼んでいる大学准教授の差配で、このコンテナ付き木造平屋に入居することになった。 

 駅から適度に離れ、斎場と霊園に囲まれているという環境のためもあるのか家賃は廉価、支払いもクレジットカード決済の物件だったおかげで、転居費用は予想より安価に押さえられた。


 世話になっていたバイク屋のトラックを借りて自力で引っ越しをして以来、さほど贅沢はしていなかった気がする。

 出費といえば築五十年を超える木造平屋を人間の住める環境にするためのリノベーション費用くらいで、それは将来に繋がる必要経費。 

 大学の授業が始まってからも、光熱費や基本的に自炊と安価な学食で済ませている食費は、給付を受けている奨学金で充分に間に合っている。

 高校時代の学費を貸し付けていた育英団体への返済については、長期的な返済計画になっていて、月々の支払いは苦になるものではない。


 なんで今の自分には金が無いのか、小熊には全くわからない。コーヒーカップを手に立ちあがった小熊は、最近買ったボール盤とエアコンプレッサーに寄りかかりながら思った。

 いつのまにか金が無くなった。

 小熊に限らず、進学や就職で一人暮らしを始めた人間はみんなそう言う。 


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