第3話 蝕まれた世界

「ちょ、ちょっと待って」


 俺は両手を二人に向かって突き出した。笑って見せようとしたけど、口元が引き攣っているのが自分でもわかる。


「冗談だよな? そんな、世界が滅ぶなんて、小説みたいなこと」

「別世界からやってきたっていうアンタには言われたくないわよ。これは、アタシたちの中では常識中の常識。こんなことも知らないってことは、別世界の人間って話はほぼ間違いないみたいね」


 ド正論過ぎて返す言葉がない。メアの言う通りだ。俺もまだ、混乱しているのかもしれない。


 頭を冷やすために、俺は深呼吸した。突き出していた手を下ろす。


「じゃあ、本当にこの世界は滅びるのか……?」

「うん。君も大変な時期に来ちゃったね。人間とって魔素はかなり有毒らしいから、せっかくの出会いだけど、早く帰ることをお勧めするよ」


 エレンが眉を下げてそう言った。あまりにも平然と繰り出される恐ろしい事実に、俺は動揺を隠せない。


「有毒? その魔素って何なんだ? 俺、帰る方法なんて知らないんだけど……」


 声が震えてしまった。エレンとメアは顔を見合わせる。その様子は、やっぱり兄妹なんだなと感じさせられる。そんなことを実感している場合でもないけど。


 やがてエレンが眼鏡を押し上げて、俺の後ろを指さした。


「ずっと立ち話も疲れるよね。向こうの居間で、ゆっくりお茶でも飲みながら話をしようか」





 俺はテーブルを挟んで、エレンとメアと向かい合って座っていた。目の前にはメアが淹れてくれたお茶がある。


 エレンはお茶を一口飲んだ後、話し始めた。


「とても簡単に言うと、僕たちの住んでいるここには、魔素というものが充満しているんだ。これを体内で変換することで、僕たちは魔法というものを使うことが出来た」

「魔法……」


 俺は思わず自分の頭に触れた。さっきのおじいさんが言っていた。あの人が魔法をかけてくれたおかげで、俺は今この世界の言葉を理解できているのだと。状況が状況だったから、リアクションする暇もなかったけど。


「知ってる?」

「ああ。存在だけは……。でも、空想の世界のことだと思ってたよ」

「アタシたちにとっては日常の一部よ」


 メアがパチンと指をはじくと、小さく火が灯った。すぐに消えてしまったけど、魔法という存在を信じるには十分。いや、俺は屋上から飛び降りて異世界に来たんだ。しかもその異世界はもうすぐ滅ぶらしい。もう何にも驚かない。


「ただ、ここ数年は魔素の氾濫が起きているんだ。この世界の魔素は、僕たちが取り込んで変換できる量をとっくに超えている。魔素を変換できずに過剰に吸収すると、魔素に体の内側から侵食されるんだ。ほら、この通り」


 そう言って、エレンは自分の頬を指さした。


「昔はこんな青い痣なんてなかったんだけどね。でも、魔素を吸収し過ぎたことで痣ができて、それが体全体に広がってしまった。魔素を吸収し過ぎれば、体が駄目になって生命活動が停止する。魔素の氾濫は今も続いているから、僕たちが死ぬのも時間の問題だ」

「それは……そういうことか。だから世界は滅びるんだな」

「そう。アタシたちにとって、魔素も死も生活の一部なの。みーんな諦めなきゃ生きていけない。アタシたちも――」


 そのとき、どこかでベルが鳴った。メアが「起きた」とすぐに立ち上がる。お茶の入っているポットを手に取ると、俺を見下ろした。


「そうだ、アンタもついてきて。紹介したいから」

「わ、わかった」


 少しふらつきながらも、俺はテーブルに手をついて立ち上がった。




 

 案内されたのは、家の一番奥の部屋だった。先導してくれていたメアが、ドアノブに手をかけて押し開ける。


「おばあちゃん、おはよ」

「おはよう」


 薄暗い部屋の中から、しわがれた声が聞こえてきた。俺はメアに続いて部屋の中に足を踏み入れる。


 部屋の大部分を占めるような大きなベッドに、一人のおばあさんが横たわっていた。その姿を見て、俺は思わず息を呑む。


 そのおばあさんは、この薄暗い部屋の中でもわかるほど、どす黒い痣を持っていた。初めて会ったおじいさん、メア、エレンとは比べ物にならない。


「喉渇いたでしょ。お茶持ってきたわよ」

「ありがとうねえ。ばあちゃん、どれくらい寝てたかね」

「……三日と、ちょっと」


 エレンがおばあさんの額に手を当てながら、そう優しく答えた。おばあさんは「そうかい」と小さく頷くと、何気なく顔を上げた。そこで、俺と目が合う。


「おや、まあ」


 おばあさんは、ゆっくりと目を見開いた。俺はぺこりと頭を下げる。


「初めまして、陽翔です。お邪魔してます」

「まあ、まあ。こんな何にもないところだけどねぇ、どうかゆっくりしていってねぇ」

「ありがとうございます」


 穏やかな人だ。俺を見つめる目がとても優しい。初めて会うのに、こうして話しているだけで気分が落ち着く。


「お腹は空いてない? 体は痒くない?」

「大丈夫だよ。ごめんね、気を遣わせて」

「そんなの気にしないでよ。僕らはおばあちゃんの役に立ちたいんだから」


 何気なく、ベッドの隣のミニテーブルに視線を留めた。少し色褪せたハンカチの上に、銀色の小物が乗せられている。多分金属製品だ。錆びついていて、少し緑色っぽくなっている。


「それじゃあ僕たちは部屋を出るね。また何かあったら呼んで。ゆっくり寝てね」


 エレンがそう声をかけると、おばあさんはゆっくりとした動作で頷いた。俺たちは静かに部屋を出た。


 居間に戻る途中で、俺は堪らなくなって尋ねた。


「なあ、二人のおばあちゃんって、魔素が……」

「うん」


 エレンが前を向いたまま、頷いた。


「魔素を吸収し過ぎてる。もう体もまともに動かせないんだ」


 居間のドアを開けた。


「陽翔も早く逃げた方がいいよ。さっきも言ったけど、人間は魔素を吸収しやすいんだ。自分の家に帰った方がいい。でも、帰る方法がないんだっけ?」

「うん。帰る方法はないし、それに……」


 俺は手を握ると、まっすぐに兄妹を見た。


「例えそれがわかったとしても、魔素が溢れてるからって一人ノコノコ帰るわけにもいかない。俺はここまで幼馴染を探しに来たんだ」


 いろんなことがあり過ぎて脇道に逸れまくっていたけど、元々の目的はそれだ。エミリを探す。それが、俺が異世界にまで来た目的。


「俺の幼馴染もここにいるはずなんだよ。そしたら、魔素に蝕まれ続けているはずなんだ。放っておけるわけがない。俺はタイムリミットを迎える前に、その子を見つけ出す!」


 グッと拳を握る。今まで黙って俺の話を聞いていたメアが、ため息を吐いた。


「幼馴染のためだけに、命を賭けてこんな酷い環境に居続けるってわけ? イカレてるわね」

「メア!」

「いいよエレン。俺だってそう思う。馬鹿だと思う。でも、イカしてるだろ?」


 歯を見せて笑った俺を見て、メアがまたため息を吐く。馬鹿な男だと思われただろうな。メアはドライな感じするし。


 エレンが「行く当てはあるのか?」と聞いてきた。


「とりあえず、次は城下町に行こうかな。ここからどれくらいかかる?」

「歩いては行けないだろうね。行くとしたら乗り物を借りないといけないし、途中の食費も必要だろう。お金は? 持ってる?」

「一文無し」

「だと思ったよ。それなら、しばらく僕たちの家に居候しないか? 途中の費用が貯まるまでさ」


 予想外の提案に、俺は目を瞬く。


「え、いいの?」

「もちろん。僕も君の住んでいた世界の話を聞きたいからね。この機会を逃したらそんなこと出来なさそうだし……それに、君がいてくれると楽しくなりそうな気がするよ」


 エレンがにっこりと笑う。隣でメアが、エレンに噛みついた。


「ちょっと、アタシは許可してないんだけど!」

「別に、わざわざ聞かなくても文句ないだろ」

「ちゃんと聞きなさいよ。文句ないけど」

「はあ……。ま、そんなわけでさ」


 エレンはため息を吐いてから、「どうかな」と小さく首を傾げる。メアも腕組をしてはいるけど、俺の居候が死ぬほど嫌だってわけでもないみたいだ。


 俺は頷くと、勢いよく頭を下げた。


「じゃ、これからお世話になります!」

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