未練
夜のマウカは、静かだった。
昼間の活気は何処へ行ったのやら。そう思ってしまうほどに。店は全て閉まっていて、人通りもほとんどない。
だが、星空はとても綺麗だ。蒼い星が、満天に輝いている。時折、宙を流れ星が横切っていった。その星はまるで、あたしに何か語りかけているよう。冷たい風も、宙から吹いてきたのだろうか。風さえも蒼く見える。だから、エステラの流星群の夜は「蒼き夜」と呼ばれているのだ。
前を歩く三人は、魔導書を抱えて、何か考えているかのようだった。魔法についてか、宿命についてか、はたまた全然違うことか。予想はつかないけど、真剣に考えていることは確かだった。
「……ここ……か」
アネラがぽつりと呟き、立ち止まった。
見上げると、ツタの絡まった巨大な神殿があたしたちの前に聳え立っていた。自分の力を知らしめるが如く、全てが異様なほどの存在感で満ち溢れていて、ここに入るのはちょっと気が引けた。
「よし! やろう!!」
だが三人は全く怯える様子もなく、神殿の中に入っていった。あたしも、恐怖を押し殺して入る。
神殿の中は暗く思い雰囲気に包まれていた。今にも何かに喰い殺されそうな。そんな恐怖が心を蝕む。
「ムルシエラゴよ……素直に退散しなさい」
普段の言動からは考えられないような威厳に溢れた態度で声を発するアネラ様の背中が、少しだけかっこよく、勇ましく見えた。
だがアネラ様のその声でムルシエラゴが退散する様子はない。
「そうね……判った。そんなに居座りたいのなら、地縛霊にでもなればいいわ!」
キッと二色の瞳に光を宿すアネラ様。その瞳の奥に、水平線が見えた気がしたが、気のせいだろうか……??
「マエルストロン・ペガサス・トレンテ!! 海のペガサスよ!! 大渦と急流で、ムルシエラゴを切り苛め!」
唱えられた呪文は、大渦となって目に映った。物凄い速さで回る大渦の上に腕を振るアネラ様。その腕をブン、と振り下ろすと、そこには急流が流れていた。
物凄い魔力に圧倒される。
「次はあたしだ、ムルシエラゴ!! 雷の力を思い知るがいい!!」
雷姫が前に出、魔導書を開く。魔法陣の上に手を乗せて、その手を捻じると、掌に魔法陣が写っていた。
「
掌に写った魔導書は、雷となって現れる。それは白い光となって、神殿を包み込んだ。火花を出して
「最後はあたしよ! 怖くなったなら今すぐ出て行きなさい!!」
今度は魔導書を空中に投げたソフィア。魔導書は見事にソフィアにキャッチされる。空中で闇の力を纏った魔導書は、特別な威力を持ってそうだ。
「ニュクテリス・リュコス・スコダディ・スコトノ!! 悪魔の狼娘よ、蝙蝠よ!! 圧倒的な闇の力でムルシエラゴを殺せ!!」
魔導書の闇は狼や蝙蝠の様に凄まじい速さで神殿を包む。包まれた神殿はピキピキと音を立てていて、壁が削れているのが判った。
真っ暗闇。何も見えない。そして、何故か心臓の辺りが痛い。
——あたしは、意識を失った。
目が覚めた。
「……あれ?」
目が覚めた第一回目の呼吸で取り入れた空気が、さっきより何倍も綺麗な空気になっているのに気が付いた。まるで浄化されているような、清らかな空気。いつまでも吸っていたいと思ってしまう。
辺りをキョロキョロ見渡す。すると、祭壇の前に座っている三人がいた。姿勢を正し、キリッと前を向いている。
「リーナ様、レーナ様……」
「悪魔を倒す許可を」
「宿命を背負う覚悟を」
「「「どうか、与えてください……」」」
三人は祭壇の上にある聖杯に向かって、祈っている。
そうか。これからこの三人は、ムルシエラゴとの戦いに出るのか。宿命を背負い、悪魔と戦う。あたしなら怖いと思ってしまうだろう。だけども三人はとても強い意思を持って今、祈っている。
あたしは強く心を打たれた。雷姫とソフィアに関してはあたしより年下だろう。なのにあんな覚悟を決めて、戦いに出ようとしている。ただただ、のうのうと暮らしている自分が情けなかった。
そしてあたしは、アネラ様に対して、モヤモヤを感じている。この関係にだ。主と従者は、遠くも無難な関係だ。ぶつかる可能性は少ないが、逆に近づく可能性も少ない。対して、心の通じ合った心友ではどうだろう。喧嘩をする可能性は高い。が、その分距離は近くなる。想い想われ、孤独を感じることは無くなるのだ。
あたしは……アネラ様と、心友になりたい……。
彼女とは、不思議な力で結ばれている様な気がするんだ……。
「レウェリエ」
アネラの声が背後から聞こえてきた。どうやら、祈りは終わった様子だ。
「リーナ様、レーナ様から許可は頂いたわ。あたしたちは明日から、ザルバドルとして、永遠に戦うの。じゃあ、また明日ね」
あたしたちに背を向けて神殿を出ていくアネラ様。雷姫とソフィアも、反対方向に帰っていった。
ザルバドルとして、永遠に戦う——。
それは即ち、「もうここには帰ってこれない」ということを表していた。ここには帰ってこれないから、「永遠」という言葉を選んだのだろう。
悔しい。悲しい。本当はあたしも……。あたしも……。あれ……? あたしも……?
あたしは駆け抜けた。もう後悔なんてしたくない!! 未練を残したくなんかない!!
従者の身分でこんなこと思うなんて不毛だと判っている。判り切っている。でも、この想い、そしてアネラ様とあたしが不思議な力で結ばれているという確信は本物だと断言できる。
アネラ様の後ろ姿。少し離れた場所にいるアネラ様。誰もいない街で二人。やっぱりこれは、神の双子が授けてくれた最大のチャンスなんだ!
「アネラ様!!」
あたしは叫ぶ。アネラ様は立ち止まってはくれた。が、振り向いてはくれない。
あたしははっとした。アネラ様は、あたしを試しているのだ。心友なら、「様」だなんてつけない。本当に近く親しい関係になりたいなら、このくらいの覚悟は必要だ。
「アネラ!!!」
従者が主を呼び捨てで呼ぶなんて、なんて異様な光景なのだろう。でも、もうあたしたちはそんな遠い関係じゃない。ぶつかっても尚立ち上がる、心友になっているのだから……!!
アネラは、振り返ってくれた。
「あたしは……!! アネラと、心の通じ合った心友になりたい!! そして、一緒にムルシエラゴと戦って、エステラを平和にしたい!! いつでもあなたの傍らにいたい!! 支え合って、永遠の戦いも一緒に乗り切りたい!! 認めて!! お願い!!」
全力で叫んだから、喉が痛い。呼吸も忘れたから、息が苦しい。でも、あたしの目には自然と涙が浮かんでいた。本音を、解き放ったから。デニーロの教えてくれたことが、こんなところで活きるなんて。
フワッとアネラの白銀髪が揺れた。
「いいよ!!」
たった三文字の言葉だった。でもそれだけで、あたしの心は幸せに満たされた。
未練はもうない。希望と熱意があるのみだ。
夜の闇に消えて行くアネラを、いつまでも見送った。
「頑張ったじゃん」
「ひいい!!」
後ろから突然話しかけられたので、あたしは驚いて飛び跳ねてしまった。心臓がバクバク鳴っている。誰だよ……。
振り返ると、デニーロがニヤニヤしながら立っていた。そのニヤニヤには少しの悪意も感じられるほどである。
「今の、プロポーズみたいだったぞ?」
プ、プロポーズぅ?? そんなプロポーズっぽかったかしら。ええ……。あたしがアネラにプロポーズ……か。考えただけで背中がぞわぞわする。
「つか、なんでここいんの?」
今は夜中。もう日付も変わる頃だろう。なのに何故こんな場所にいるんだ??
「レウェリエを、見たくってさ」
……は? は?? はあ??? 何こいつ、気持ち悪いんですけど。ストーカー?? え、何?? ストーカー?
「ストーカー……」
あたしはそうボソッと呟く。すると、デニーロは慌てた顔で逃げようとするあたしの腕をガチっと掴む。そういうとこがストーカーぽい。
「大げさなんだってば……。ねえ、レウェリエ」
急に改まった顔になったデニーロは、あたしの肩をそっと抱き寄せて上を向いた。え、何……? でも、不思議と気持ち悪さは感じなかった。あるのは妙な緊張と心地よさ。何なの、この気持ち……。
「こんな風にさ、また一緒に星空を眺めてほしい……。一緒に」
蒼い星空を見つめるデニーロの瞳。そこからはあたしに対して何か気づいてほしい気持ちでいっぱいだったが、あたしは子ども。何にも知らない子ども。だからその気持ちに気付いてあげることができなかった。
「勿論。デニーロの隣になら、何時間だっていられるわ」
デニーロの前だと、不思議と本音しかでない。
二人で目を合わせ、微笑んだ。ああ、またこうして二人で笑い合える日が来るのかな。こんな楽しいひと時を共に過ごせるのかな。心の中にある負の感情があたしを縛り付ける。
だけど、あたしは孤独じゃない。大丈夫。絶対うまくやれる。
「絶対、生きて帰ってきて」
デニーロ……人に対してこんな感情抱くなんて初めてだ。デニーロを前にすると、胸の辺りがキュッと締め付けられるような感覚に襲われる……。
「判った」
長くすると悲しくなっちゃう。それだけ言って、あたしは夜の街を駆け抜けた。
別れの切なさを、取り払うかのように——。
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