少年との出逢い

 その瞳は、まるで誰かに乗っ取られたかの様だった。

 恐怖で脚が竦む。アネラ様、どうされたのですか……。目をお覚ましください……。

 必死に懇願していたその時。

「……!!」 

 アネラ様の瞳に、光がどんどん集まっているのが見えた。その光は窓の外から集まってきていて、外はまだ朝だというのに真っ暗になっている。

 だけどもまだ光が足りないようで、キョロキョロと光を探していた。戸棚からランプを取り出し、その光も思いっきり吸い込んでいる。まるで極度の飢餓状態にある獣の様だった。

 何を思ったのか、あたしに近づいてくるアネラ様。

 手首をガッチリと掴まれ、きっと睨まれた。腕を振り払って逃げたいのに、思うように体が動かない。

「レウェリエ……オマエ……コロス……アタシ……ヒカリタリナイ……オマエ……イノチ……クラッテヤル……」

 押し殺された、無機質な声。まるで操り人形のような動きや喋り方。それがまた恐怖を助長させていた。

 ……あれ? これ、言わされている……?? 動きや声からして、そうとしか思えない。

「カクゴ……シロ!!!」

 考える暇もなく、あたしはアネラ様の眼力に意識を失う。

 その時、部屋のドアが、バン! と開けられた。誰だろう……?? 視界がぼやけて顔は確認できないが、少年だろうか…………?? 

 あたしは眠るようにして、意識を失った。




 喉にとろりとしたものが通った感覚であたしは目覚めた。

 口の中には強い酸味と、その中のわずかな甘みが広がっている。耳に入る筆記音や薬品を煮るような音がとても心地よい。

 目は何か巻かれているのか、開けられなかった。

「もう大丈夫かな」

 中性的な少年の声が部屋の中に響く。と、同時にあたしの瞳に白い天井が映った。横には少年があたしの顔を覗き込んでいる。

 あたしの顔を見ると、安心したような顔を浮かべた。

「あなたは?」

 起き上がり、床に座る。少年は目が無くなってしまうのでは? と思うほどに目を細めて微笑んだ。

「僕はエヴァにあるバルトリ医院の跡継ぎ息子、デニーロ・ボニファシオ・バルトリっていいます。よろしくね」

 エヴァ。ここ、王都マウカの隣にある、貴族が静かに、穏やかに過ごす都。バルトリ医院は、そこの医者が運営している医院だ。しかもそこの跡継ぎ息子……。相当なお金持ちに違いない。

「あ、あたし、レウェリエ・クリース。アネラ様に仕える従者です」

「へえ! 従者! しかもアネラ様に! 親も従者でしょ? 相当偉い家に生まれたんだね!!」

 デニーロは手をパチン、と打ってあたしに寄る。別に親に言われたとかどうとかじゃなくて、自分でやりたかったんだけどね。

「いやいや、あたしが従者になりたい、って言って……。親は普通に市場で店開いてる」

 マウカの大通りは、市場になっている。毎日、朝市をやっていて、マウカのみならず隣のエヴァからも貴族が来るほど大規模だ。

「いいなあ……」

 そう呟くデニーロの瞳は、まるで本当に羨んでいるかのようだった。少し悲し気で、自分の叶えられなかった夢を叶えた人を見ているような。そんな気がしていた。

「そういえば、アネラ様は?」

 そうだ、そこが一番心配だ。さっきのアネラ様は本当に飢餓状態の獣、って感じだったけれど、大丈夫だろうか……?? 

 するとデニーロは、少し申し訳なさそうな顔をした。

「本当にお気の毒ですが、制御が不可能な状態でしたので、拘束具を取り付けて地下牢に……」

「そう……」

 あたしに恐怖を与えたり、光を奪ったりしたからと言ってその行動には少し、胸が痛んだ。

「ところでさ、さっきのアネラ様はどうしてああなったの?」 

 デニーロはため息をついて、首を横に振った。疲弊しきったかの様に、全てを出し切ったかの様に。

「判らないんだ……。それが。いろいろ可能性のある病気や呪いを全て書き出してみたけれど、全て当てはまらないんだ」

 机の上には、様々な魔法本、医学本、宗教本が乗っていて、色々帳面に書かれているが、全て斜線が引いてある状態だ。赤で書かれているメモには、色々書かれている。研究熱心だなあ……。

「だけど、一つだけ、一番可能性が高いものがある」

「何?」

「ムルシエラゴの……黒魔術」

 ——ムルシエラゴ。異世界アウロスの悪魔の蝙蝠。エステラを侵略しようとしてくる輩だ。最近そいつの脅威が近づいてきているということで、巷で度々話題に上がる。

「なんで……アネラ様に?」 

「ムルシエラゴは、エステラを侵略しようとしてくるよね? となると、トップに立つアネラ様を殺したり、国民に不安を与えてエステラを衰退させることが彼奴らにとって一番都合がいいんだ」

 ムルシエラゴはもう、ヂャンジェゾンブーという東洋の都周辺を侵略しているところだ。荒れ果てた農村の村人は、次々とムルシエラゴに拉致されているらしい。そんな現状があるというだけで、胸が痛かった。

「……こんなところで話してても退屈だよね、何処か行こうか。僕のとっておきの場所があるんだけど、付き合ってくれる?」

 とっておきの場所……か。気になるから行ってみたい。それにデニーロのことももっと知りたいしね。

「勿論!」

「ありがとう! 行こうか!」 

 幼児の様な自然さで手を引かれ、外に連れられる。

 外はいつも通り民たちが道を行き来している。買い物をする主婦に、昼休みの男性。友達と遊ぶ小さな子ども。とても賑わっていた。

 あたしはエヴァの方に行く。エヴァなんて、行くの初めてだよ……。あんなお金持ちの貴族が住んでいるところでしょ……? あたしの様な愚民が軽々しく立ち入っていいのかしら……。

 エヴァは予想通り静かで、たまに貴族が道を通るくらいだ。貴族に嘲笑われているみたいで怖い……。

「着いた」

 びくびくしているうちに、ついてしまったようだ。どうやらそこは丘のようで、地面が緩やかに曲がっている。

「景色を見てごらん」

 デニーロに勧められたので、あたしは前を向いて遠くを見た。その瞬間、あたしの心が広大に、豊かになるような気がして、思わず感銘を受け、深くため息を漏らす。

「なんて美々しいの……。この世の全ての奇跡を集めたみたい」

 美しいじゃ足りない。美々しい。その言葉が、一番合っているような気がした。

 エヴァの海、マウカの山、市場、大通り、民家。全てが絵画のように色鮮やかで、濃縮されたようにして眼下に存在している。その事実が奇跡の様に輝いているように感じた。こんなにも美々しい風景、他にあるだろうか。

「ここを見た人は皆、感動するけど、君ほど感受性や表現力が豊かな子は初めてだよ」 

 デニーロは微笑み、風景を見渡した。

 あたしはこの世界の美しさに気付けていなかった。ただこの世界は退屈とばかり思っていたが、そうじゃなかったのだ。どんな場所にも、必ず美しさは存在する。例えどんなに荒れ果てた砂漠でも、星空は綺麗なのだから。

「ああ……」

 美々しさに圧倒されて、言葉が出なかった。

「僕も最初は、言葉が出なかったよ。ところでレウェリエ! ここはエステラが生まれた場所、とも言われているんだ。なんでだと思う?」

 学校の教科には、エステラでの大きな出来事や人物を学ぶ、エステラ史という教科がある。が、あたしは小学一年生で学校を辞めて従者になったから、エステラ史は何にも知らない。しかも、文字の読み書きもほとんどできない。

「判んない……」

「そうか。じゃあ説明するね。……流石にリーナ様とレーナ様くらいは知ってるよね?」

「うん、知ってる」

 リーナ様とレーナ様。エステラを創り、最初の王となった神の双子。その存在は現在まで語り継がれていて、あたしも親に神話を聞かされたことがある。

「ここは、神の双子が産み落とされた場所であり、二人の母親……聖母セーヌが命を落とした場所でもあるんだ」

 神の双子が……産み落とされた場所……?? 聖母セーヌが……命を落とした場所……?? 理解ができなかった。そんな神聖な場所にあたしは今、立っているのだ。

「二人を出産した後、弱って命を落としたセーヌ。だが神の双子は自分たちで支え合い、懸命に生きて来たんだ。だからここは、エステラで一番の勇気をもらえるパワースポットだとも言われているんだよ」

 確かに、さっきから足元がじわじわと温まっているように感じる。これも神の双子や聖母のご加護なのだろうか。

 あたしは地面に座り、そっと手を置いた。やっぱり、じわじわと温かみを感じる。

「僕はね、ここに勇気を貰いに来てたんだ」

 デニーロは遠い目をして呟いた。

「何で?」

「やりたいことがあってさ。僕は医療の勉強を親から強制的にやらされて。だから僕は錯覚していたんだ。自分は医学の勉強しかしないし、興味も湧かないんだ、と。両親は僕が他のものに興味を持つことを恐れていたんだろうね。友達は作らせてくれなかったし、許嫁だって勝手に決められた。いつも一人でただただ勉強。周りからは異質な存在だって思われていたんだろうね」

 悲しく笑うデニーロの瞳は、何処か泣き出しそうだった。夢を砕かれた様な顔をして。美々しい筈の風景も、デニーロの悲しい瞳で切なげに見えてしまう。

「デニーロは……何がしたいの?」 

 心底嬉しそうに笑うデニーロ。……今までずっと、話を聴いてもらえない環境にいたのだろうか。決められたことをただ坦々とこなす日常で、孤独に苛まれていたのが痛いほど判る。だって普通、こんな軽い問いかけで喜ぶ筈がない。

「物語を……読みたいんだ」

 夢見る表情のデニーロは、妄想に浸っているのだろうか。妄想に浸ることで現実の憐れな自分を忘れているのかもしれない。実際あたしもそうだ。

 自分はクロエと同じくらいの階級の従者で、アネラ様のお気に入り……みたいな妄想をよくする。たまに現実と妄想がごっちゃになる。でもあたしの心は、妄想をすることで保たれているようなものだ。

「物語?」

「そう。実際に起きたことではないのに、事実のようで胸がときめく。物語からは色々な知恵も授けてもらえるしね。……でも」

 最後の「でも」で一気に怒りに満ち溢れた声色となるデニーロ。少し悔しさも混じっているようだった。

「僕は、医療の知識だけはある。だけど、小さい頃から興味や交友関係を築かせて貰えなかったせいで、僕は何にもわかんない。人との接し方も、興味を持ってそこから新しいことを始めるということも全部……全部……判んない!! 判るわけない!!」

 なぁーい……なぁーい……なぁーい……。

 デニーロの悲痛な叫びは山々に反響して帰ってくる。

 肩で息をするデニーロの表情が、変わったような気がした。乳白色の雲がかかったように曇っていた瞳が、雲一つない快晴の様な綺麗な天色になっていた。小さなひとみには、天気雨なみだが降っていた。その雫はこの美しい世界を映して地上に降り、地面に染み渡る。

「デニーロ……??」

 あたしは優しく、羽が触れる様にしてデニーロの肩に触れる。

 本音を解き放った後の顔というのは、どうしてこうも美しいのだろう——。澄み切った瞳というのはどうしてこうも美しいのだろう——。

 でもこの美しさは、他の人ではダメで、デニーロでなくてはいけないような気がした。

「本当に思っていたことを言えるって、こんなにも幸せなことだったんだね。……ありがとう。レウェリエは、この丘の何千倍もの勇気をくれる子だね」

 デニーロはそう言い残して丘を駆け下りて行ってしまった。

 一人取り残されたあたしは暫く綺麗な青空と真っ白な流れる雲を見つめていた。その美しさに、見惚れながら。

「わあ……!!」

 この世界は、とても美しく、尊い。清らかなそらに恋するかの様だった。だけれどもこの気持ちは、本当に恋情に近いものを感じる。ふと見たときに一気に愛しくなるこの気持ち。

 あたしは、永遠にエステラに片思いするのかな。そう思うと少し切ないが、それでもあたしのエステラへの愛は誰にも制御できないものへとなっていくのであった。

 息を思い切り吸い込む。肺に取り入れられたこの空気は、あたしを生かす。そうなるとエステラは、あたしの一部であり、あたしの生命でもあるのかもしれない。

 エステラの街も、山も、海も、人も、そして星も全て美しい。エステラに存在するものは皆美しいのだ。

 美しく愛しいこのエステラという世界に生を受けたことを、あたしは誇りに思う。

 今日もあの満天の星を見られるかな。流れ星を見られるかな。

 エステラの未来に心躍らせながら、丘を駆け下りた。

 

 

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