第6話
翠雲がしばしの休養をとろうと不意に思い立ったのは、寺に住む義弟の存在を思い出したため。
ここしばらく会えていなかった義弟が無事にやっているのか、大事はないかと心配になったからであった。
「――――――では、後はよろしくお願いしますね」
「はい! お任せください!」
引き継ぎを終わらせ、自分が居なくても問題がないように必要なことは全て伝え、書類や書記も残してきた。もしもの場合に他の大臣にも伝えてある。
特に心配も無いだろうと、翠雲が王城を出ようとした時、後ろから翠雲を呼ぶ声が聞こえてきた。
「では、あとはよろしくお願いしますね」
「はい! ゆっくりお休みになられてください!」
「ありがとう」
後ろ手に部下へと挨拶を交わして、翠雲は王城をあとにしようとした。
城内の建物から出て歩いていると――――――
「翠雲さん! 翠雲さん!」
呼び声に振り向くと、それは春桜の息子である春栄だった。
十四になる春栄は学びたい盛りで、大臣の中でも秀才である翠雲を強く慕っていた。
翠雲と春桜の息子、春栄が面と向かい合う。
「春栄様、見ないうちに大きくなられたようで」
「はい! 翠雲も元気そうで何よりです。それであの、このあと時間はございますか?」
春栄の嬉しそうな問いかけに、翠雲は快く、
「ええ、丁度、時間が空いて暇潰しにでも行こうかと思っていたところですので」
と答えた。
優しく答える翠雲の返答に、春栄は嬉々として翠雲の手を引っ張る。
「では教えて欲しいことがありますので、こちらに!」
駆けだそうとした春栄の足が前に進まず、地面から少し浮いた状態で止まった。
「あれ……?」
「ふふっ、急ぐと転んでしまいますから、慌てず行きましょう」
「す、すみません……」
「いえいえ、お気になさらず」
一呼吸おいて歩き出す二人。
翠雲はこの日に限らず、春栄へ国を治めるために必要となるであろう知識や知恵を教えていた。
「えへへ、翠雲さんに教えてもらうのは久しぶりです」
ここ最近は飢饉の問題で会えていなかった分、春栄もいつにも増して嬉しそうな表情を浮かべている。
現在の国王である春桜は、武人として名を馳せた結果、今の地位に存在している。だが、このまま二代目、三代目と武力のみで続くことは難しいであろうと翠雲は考えていた。
国を動かすには知恵が必要である。民を守るため、民を動かすための人心掌握もまた必要となってくる。
翠雲は自分が生きてきた経験を春栄へと伝えることで、より良い国へと導くことが出来るかもしれないと踏んでいた。
春栄への教えは、翠雲自身の想いも継承するためのもの……。
かつて、自分が苦しんだ過去を、これからの人々がそうならないために、翠雲は春栄へと教え込んでいる。
王城の一室にある春栄の部屋にて、翠雲は様々なことを教えていた。
武器の扱いから、これまで出会ってきた敵、その敵兵士の感情をどう揺さぶれば効率よく相手の士気を下げられるのか。
また、人の心の機微についても、春栄へと伝える。
「本当に翠雲はなんでも知っているのですね!」
春栄は目を輝かせながら、新しい知識をその頭に記憶していく。忘れないように書き記しながら。
「私も知らないことの方が多いのですよ。ただ、知らないことを知ろうとした結果、こうなっていただけの話です」
「知らないことを知ろうとする…………それって、なんだか素敵ですね!」
「ふふっ、そう言われると照れてしまいますね……と、太陽がだいぶ沈んできましたね」
日が暮れ始めた頃、翠雲がふと外へと目を向けた。
紅い夕日が大地に半分ほど沈み、光と闇の境界線が出来上がっていた。
「翠雲すみません、ずっと相手をして頂いて……」
「ふふっ、王様の息子の頼みを断るわけにはいきませんよ」
微笑みながら言う翠雲に、春栄は少し悲しそうな表情を浮かべた。
「あの、翠雲さん」
「はい?」
「翠雲さんは、私が春桜の息子でなければ教えてはくれなかったのでしょうか……?」
春栄はぴたりと動きを止めて翠雲の目を見た。
翠雲は特に焦ることもなく、春栄の頭を撫でる。
「春栄様が学ぶことを止めなければ、きっと別の場所でもこうなっていたでしょう。巡り会わせという運命は不変ですから」
「……本当ですか?」
「ええ、ここで会えなくとも、必ずどこかで出会っていたでしょう」
優しく、諭すように話す翠雲の言葉を聞いて、春栄は安堵した。
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