少女N
才野 泣人
少女N
この世界には生まれつき与えられた
さらにその役者の中にもグレードがあると気づいたのはいつの事だっただろうか。
私の役割は一般人の中の少女A。いや、Aと言うと少女の筆頭のような気がして烏滸がましいな。
私は少女Nだ。学力は中の中、運動神経は中の下。特筆すべき才能も無い。こんな私なんてNで十分だ。
今日もいつもと同じ時間に起きて学校に行く。
帰宅時間は日によってまちまちだが、寝る時間は決まってる。
まるで世界を回す歯車になったかのようだ。欠けても代わりが出てくるところまで似ている。
「お前は気楽でいいなぁ」
登校中、いつも通学路にいる野良猫に挨拶する。最近撫でさせてくれるようになった。
「あ! ××さん!」
声がした方を向けば友人Dがいた。程々にいる私の友人シリーズの中でも比較的仲のいい方の男の子だ。
「おはよう○○君。今日は早いね」
「たまたま。早く目が覚めたんだ」
猫を撫でるのをやめ、立ち上がって歩き出す。
「ねえねえ、古典の課題やってきた?」
「……学校着いたら貸してあげる」
「やった! ありがとう!」
D君の笑った顔は少しかっこいい。その顔のままいればグレードを一つ上げれるんじゃないだろうか。
他愛もない話をしながら歩いているとすぐに学校に着いた。
上履きに履き替えて、大階段を二つ上る。クラスの中は既に結構賑わっていた。
机の上にカバンを置くと、所属しているグループに向かう。
「あ、××! おはよー」
「おはよう夢花ちゃん」
幸いうちのクラスは身分格差というものが少ない。だからこうして普通なら中~低階層の私でも簡単に話しかけることが出来る。
「ね、昨日のMステ見た?」
「ううん。昨日は寝落ちしちゃったの」
「えー!? 勿体ない! 昨日はシャイニーズ出てたのに!」
いうほど私はシャイニーズが好きなわけじゃない。話題についていくために流行りの数曲を聴いたレベルだ。
「でも録画してあるからだいじょぶ」
何が大丈夫なのか全くわからないけど。もう昨日のMステの話は二度と話題に挙がることはないというのに。
「あ! そうだ××。ちょっと古典の課題見させてくれない?」
「あ、古典の課題なら……」
軽く教室を見回す。するとD君と目が合った。
「いいよ! でも次も埋まってるから早くね」
「ありがと!」
D君には後で謝っておこう。古典は五限だから昼休みに貸せば間に合うとは思うけど。
前のドアが開いて担任が教室の入ってくると、雑談もそこそこに切り上げてみんな席に着いた。
歯車が狂ったのは翌日の昼休みだった。
「××って、○○君と付き合ってるの?」
「ほぇ?」
一口春巻きを掴もうとする箸が止まる。
「な、なんで!?」
「わかる。最近よく一緒にいるよね」
とC子ちゃん。
「そうかなぁ」
偶に一緒に登下校したり、宿題みせてあげたりはするけど。普通に友達の範囲内だし。
「それ絶対××ちゃんに気があるでしょ」
「ほんとそれ。もはや○○君がかわいそうだよ」
「うーん……」
D君の方を見てみる。彼はいつものように友人とお弁当を食べていた。楽しそうに笑っている。
「実際××的にはどうなの? D君は」
「どうって。ただの友達だよ」
全く意識したことがなかった。D君が私のことを? ないない。
そもそも私には好きという感情がよく分からない。
何がどうなれば好きって事になるのだろうか。
その日、学校でD君と会話することはなかった。
放課後。下校途中にD君がいた。
「あ、××さん」
「○○君。部活はどうしたの?」
「今日は休み」
そりゃそうだ。帰宅部の私と下校時間が重なってるんだもの。
「そうそう。この前貸して貰った小説読んだよ」
「マジ? どうだった?」
鞄の中を手探りで掻き回して、目当ての小説を取り出す。一昔前に人気だった現代小説だ。
「面白かったよ。なんかこう……上手く言えないけど、流れが綺麗だった」
小説を読むことは好きなんだけど、それを言語化することは難しい。D君は小説の話になるとよく喋るので凄いなあと思う。
交差点が赤を示したところで歩みを一旦止める。
何でだろう。間を埋める話題が思いつかない。
いつもはどんなことを話していたんだっけ。
昨日見たテレビの話とか、最近お気に入りのバンドとか、なんでも良かった気がする。
「××君は――」
私の事が好きなの?
そう言おうとして口が固まった。
それが駄目なことぐらい私でも分かった。
信号が青になって再び歩き始める。
「パンケーキって興味ある?」
かろうじて繋いだ言葉。嘘ではないけど本当でもない会話をなんとか成り立たせようとする。
「パンケーキ? 興味なくはないけど」
「隣駅に、新しいパンケーキ屋さんができたんだって。今度一緒に行かない?」
パンケーキ食べたいのは本当。D君と行ってみたいのも本当。でもなんだろう。変な違和感だけが胸に残る。
「いいよ!」
「ほんとに? ありがと!」
寝る前、ベッドに入って考えてみた。
好きってなんだろう。
どういう感情になれば好きって言えるんだろう。
ラブとライクは違うもの。それは知っている。
夢花ちゃんはよく彼氏の話をする。
早く彼氏作りなよ、とも言ってくる。
彼氏がいることはステータス?
好きになった結果付き合うのではなくて?
D君といることは楽しい。気が合うし、話も合う。
でもずっと一緒にいたいと思ったりはしない。
なんで私は躊躇ったんだろう。
私のことが好きなの?
聞けなかった。
拒絶されるのが嫌だった?
この関係性が壊れてしまう気がした?
少女N。友人D。
私たちはそうして日常を廻してきた。
どうあるのが正しいのだろう。
どうあればいいのだろう。
日曜日。約束通りの十一時丁度に駅に着くと、D君はもうベンチに腰掛けていた。
彼がふと顔を上げたところで目が合う。軽く手を振るとD君が立ち上がってこっちに来た。
「お待たせ。行こっか」
件のパンケーキ屋さんは駅から徒歩で五分ほど。昨日見た夢の話をしていたらすぐに着いた。
店内に入って注文をする。D君はプレーンのスフレとアメリカンのホット。私は苺のパンケーキにストレートのアールグレイ。
「やっぱり女性ばっかりだね……」
店内に男性客はD君だけ。流石にちょっと酷だったかな。
「でも、偶にはこういうお店も良いな」
「普段はどういうとこ行くの?」
「個人の喫茶店とか。うちの近く多いんだ」
「えー! いいな!」
喫茶店巡りってお洒落で素敵な気がする。
「よかったらこの後行ってみる?」
「ほんとに!? 行く!」
というわけで今日は喫茶店巡りをすることに決まった。
会話もそこそこに盛り上がった所にメインのパンケーキが到着する。
「美味しそう!」
インスタ用の写真を撮って、早速食べて見入る。良くも悪くも見た目通りの味だった。
「美味しいね」
D君の方も満足そうな顔をしている。
結局パンケーキ屋さんには一時間ぐらい居た。
お店を出た後は駅に戻り、電車に乗ってD君の地元に向かう。私の家とは真反対の地区。地名は知ってるけど来たことはない。
無人の改札を抜けて、緑豊かな街に繰り出す。
一軒目に来たのは老夫婦が営む路地裏喫茶。モダンな雰囲気とジャズ調のBGMがマッチして素敵な空間だ。
手作りだというチーズケーキが美味しかった。
二軒目はいわゆる小説喫茶というところ。店長が選んだ小説が本棚に並んでいて、ドリンクを頼んだ人は自由に読めるらしい。しかも二杯目からは百円とお得割。
案の定赤字なんだと白髭の店長が笑って話してくれた。若い頃に一財産築いて、今は余生として趣味で営んでいるらしい。
三軒目……は時間の関係上諦めた。五時を回っていたし、夕飯も近いということでまた今度。
茜色の空を眺めながら二人で帰路につく。
「……」
沈黙が二人の間に流れる。話の種になるようなことも全て使い切ってしまった。
でも、この空気は嫌じゃなかった。落ち着いた、気が安らぐような心地良い空白だった。
「あのさ」
D君が口を開いた。
「言いたいことがあるんだ」
「何?」
「俺、××ちゃんのこと好き」
足が止まった。
今まで見たことない表情を彼はしていた。
「――――」
言葉が出てこない。自分が今どんな心情なのかも分からない。
一筋、涙が頬を伝った。
「っ……ごめん」
両手で拭っても、溢れ出る感情は留まることを知らない。
腑抜けた身体をD君が支えてくれる。このまま帰る訳にもいけないので、近くのベンチで一旦腰を落ち着けることになった。
D君が買ってきてくれたお茶を一口飲んで、呼吸を整える。だいぶ心の整理もついてきた。
「柊太君の気持ちは嬉しいよ。でも私じゃ駄目なの」
私は少女N。名前を持たない登場人物。
恋愛感情も分からないような一般少女。
私は私であってはいけない。
私は主役じゃないんだから。
私は今日も私を演じなければいけない。
好きという感情は持たなくてもいい。
「だって私は――」
「だったら!」
今まで静かに聞いてくれていた彼が口を開いた。
「俺の世界の主人公でいてよ!」
彼の、世界。
「この世界でも、×凜ちゃんの世界でもなくて! ただ、俺は真×ちゃんが好きだから」
私には私の世界があるように、彼にも彼の世界があって。その中の私は。
再び涙が零れる。でもさっきとは違う。
「私には、好きって気持ちがまだ分からないけど。それでもいいの?」
「本当なら両思いがいいよ。でもこれは俺のエゴだから。それにこういう形の恋愛があっても良いと思うんだ」
ラブかライクかなんてどうでも良い。私の世界で私は主人公になれないけど、それすらも一つのカタチならば。
「真凜ちゃん。好きです。付き合ってください」
「こちらこそ。よろしくお願いします」
私は少女N。なんてことない一般人。
私は朝川真凜。この世界の主人公だ。
少女N 才野 泣人 @saino_nakito
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