ただただ甘い、幼馴染との半同棲生活
春野 土筆
プロローグ
大学進学――――
ある人は夢を追い、ある人は出会いを求め、またある人は自由を探すための、人生におけるターニングポイントだ。どの都道府県の大学に行くか、どのレベルの大学に行くか選択肢は星の数ほどある。
まぁ、全国に800近い大学が存在するのだから無理もない。
季節は一二月。
かくいう俺も大学進学するため、受験という荒波にもまれつつ高校三年生を過ごしてきた。得意でもないし好きでもない勉強を一応のところやってきたつもりだ。
それでも、やはり苦手ということも大きく関係しているのだろう、成績も思うようには伸びない毎日。先生は「これからが伸びる」といつも言っているが、自分が成長している実感もあまり湧かない。
本当に第一志望校に行けるのだろうか。
そういう不安が脳裏をよぎる。
でも、あれこれと悩んだところで仕方のないことだ。
いくら悩んだところで時間は待ってくれない。
俺は視線を木枯らしの吹く校庭から自分の手元に引き戻した。
気持ちもリフレッシュした所で、受験勉強を再開させる。
英単語帳を開き、昼間もやった範囲を一つ一つ丁寧に復習していく。
ええっと。
premise…前提 publicity…評判 disturb…
…………。
だが、ここでピタッとページをめくろうとする手が止まった。
うーん、disturb……disturb…………。
どういう意味だったっけ。
いい意味ではなかったって気がするけれど……。
これ、昼間も出なかったんだよな。
またしても同じ苦手単語につまずいてしまった。
全然成長してないじゃん……。
思いがけず気持ちが沈む。
「飛鳥ってば、真面目に勉強してるのね」
俺がdisturbに悩んでいると。
突然、教室の扉付近から声が聞こえた。
彼女――杠葉六花がいつものように俺を邪魔しに来たらしい。
鈴のように透き通った甲高い声には、一定の冷やかしが混ざっている。
はぁ、とため息をつき、俺は一旦英単語帳を閉じて声のした方に体を向けた。
「よう、六花。どうした?」
たいしてありもしない双丘を揺らしながら(揺れていない)こちらに来る彼女に対して質問を投げかける。
才女の余裕というものを見せつけに来たのだろうか。
六花は俺の幼馴染で、小学生の頃からずっと学年でトップクラスの成績だった。大学も有名国立大学に行くとか有名私立に一般で行くとか、様々な噂を俺も耳にしている。
自分が安泰なのを鼻にかけて、最近六花は頻繁に俺を冷かしに来るようになっていた。
勉強が中断されるから本当に止めてほしい。
俺は迷惑そうな顔を作り、分かりやすく「めっちゃ迷惑です」というアピールをしているのだが、残念ながら彼女は意に解さないご様子だ。
少し得意げな顔に腹が立つ。
俺の邪魔ばっかりしやがって。
邪魔するなら帰れ………………そうだ、邪魔だ!
棚から牡丹餅というか、不幸中の幸いというか……取りあえず俺は、彼女の登場で忘れかけていたdisturbの意味を思い出した。
すっきりした~!
出てきそうで出てこないモヤモヤが解消した俺は一人喜びに浸る。
そんな突然嬉しそうな顔になった俺を見て、六花は怪訝そうだ。
そうだな。
偶然とはいえ、お前のおかげで思い出せた節があるし。
礼の一つは言っといてやるか。
「お前のおかげでdisturbの意味が思い出せたよ、サンキュー」
「はぁッ⁉誰が邪魔なのよっ!」
六花はすぐさま顔を紅潮させ、声を荒らげた。
すぐにdisturbの意味が出てくるあたり、さすがだな。
しかし俺の感謝に逆切れしてくるとは、そんなにイライラしていたら体に良くないぞ。
「で?」
彼女に用件を尋ねる。
10年以上の付き合いだ、ツウと言えばカアである。
「……あんた、どこの大学に行くの?」
「はぁ?どこだっていいだろ」
「いいから教えなさい」
「嫌って言ったら?」
「……あ、ん、た、が行く大学を教えろっつってんのッ」
彼女はキスでもするのか、というくらい俺の近くに顔を寄せると、ヤクザようなドスの効いた声で俺を恫喝してきた。
「…………えっと、今のところ――――」
彼女に気圧されて思わず正直に言ってしまう。
くそっ、馬鹿にされたくないから今まで隠してきたのに……。
どうせ、「飛鳥はそのレベルくらいがお似合いよね~」とか言ってくるんだろ。
彼女が俺をバカにする姿が容易に目に浮かんだ。
だが。
俺の予想に反して六花は、「……へ~そうなんだ」と少し意外そうに俺の言った大学名を反芻している。
「……お前はどこ行くんだよ」
「……教えない」
「はぁ?俺は正直に言っただろ」
「正直に言う方が悪いのよ」
「何だそれ……。お前も言えよ」
「言わないって言ってんでしょ。あんたもしつこいわね」
こっちが教えたのに、なんて理不尽な……。
食い下がっては見たものの六花がこっちを睨みつけてきたので、これ以上の追求は避けておいた。
微妙な空気が流れる。
「……もうあと少しね」
俺の前に座った彼女は、その流れを引き継いでしんみりと外を見ながら呟いた。
「そうだな…………」
「高校生活も意外と短かったわね」
「なんか、思っていたよりあっという間だった」
しみじみとこれまでを思い出す。
受験勉強に追われていたが高校生活もあと三か月だ。
あまり実感していなかったが、もうこんなに最終盤だったとは。
走馬灯のように一年生からの記憶がよみがえってくる。
ふと、目の前の彼女を見た。
小学校から幼馴染だった六花とも、高校生活が終われば離ればなれだ。
あんまり馬が合うとは言えなかったが、何やかんや腐れ縁だったな。
そう思うと、なんだか感傷的になってしまう。
「私、飛鳥とこうやってだれもいない図書室で話すの、好き」
俺が感傷に浸っていると突然、六花は変なことを言いだした。
それもあまり恥じらうことなく。
「――――これからもずっと飛鳥と……」
感傷にどっぷり浸っているのか、呼吸をするようにしみじみと六花は独り言らしきことを宣っている。
「急にどうしたんだよっ」といつものようにツッコもうと思ったが。
目の前の彼女は春の陽光のような柔らかな雰囲気を纏っていて。
でも、髪をいじくっている仕草は何だか切なくて。
俺は声を出せなくなってしまった。
こんな彼女を初めて見た。
体がなんだか熱くて、顔が赤くなっていくのが手に取るようにわかる。
可愛い――――。
純粋にそう思った。
今まで感じたことのない気持ちが芽生え、熱がある時のように思考がまとまらない。
そんな俺の様子に気づいた六花は。
自分がどれほど恥ずかしいことを言っていたのか、やっと気づいたらしい。
一気に彼女の小さな顔が沸騰していく。
「――――なんて思うわけないでしょッ‼か、か、かっ……勘違いしないでッ‼‼」
ガバッ、と立ち上がり。
さっきまでの自分の発言を全部取り消すように、彼女は右腕を大きく振り払って否定した。まるで纏っていた空気も一緒に取り去るように。
ただ、言動とは裏腹に顔は朱色に染まり、余裕のなさがひしひしと伝わってきた。
口を一文字に結び、俺と視線をぶつけ合っているが……分かりやすくプルプルして、瞳が揺れている。
「六花、おまっ……」
「そ、それ以上っ、言わないでッ‼」
六花は必死な形相だ。
こちらに有無も言わせない様子である。
「…………べ、別にあなたの事なんかッ、……へ、変な風に思わないでッ‼‼」
涙目になりながら。
息が切れ切れになりながら。
彼女は苦しそうにそれだけを言うと、逃げるように教室から出ていった。
「何だったんだ、一体…………」
俺一人しかいなくなった教室には、嵐の後のような静けさだけが残されていた。
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