エッセイ
@kamometarou
エッセイ
1、
雪が激しく降っていた。
厚手のコートからはみ出た両手は真っ赤にかじかみ、いつか鏡で見た、泣き崩れた自分の顔を想起させた。
空が崩れ落ちてきそうな気配がする。
凍てついた空気が体中を突き刺す深夜に、僕は環状七号線に沿ってできた歩道をひたすら歩いた。
行くあてなどなかった。
ただ、この世界から逃れたくて、ここではないどこか遠くへ行きたくて、一歩、また一歩と、ゆっくりと足を踏み出していく。
家を出てから、一体どれくらいの距離を来ただろうか。随分と遠くに来た。
視界の右手奥に、歩道沿いのコンビニが発する光が入り込んでくるが、そこで暖を取る気は起きなかった。
僕は、今日あった出来事に思いを巡らせていた。
「れおは、今まで出会ってきた、自分に対して良くしてくれた人たちの存在を否定してるんだよ。その人たちの好意を、れおは踏みにじってしまっているんだよ。」と、母は僕に言った。
腕に大きな傷があることが母親にバレて、その傷を縫いに外科に行った帰りだった。
商店街のネオンがいやに明るく感じられて、居心地の悪い浮遊感があった。
腕に傷を作ったのは、胸の中を激しく動き回り、精神をかき乱す抑え切れない衝動がこみ上げたからだった。
端的にいうと、それは怒りだ。
この世界に対する怒り、また、自分自身に対する怒りだ。
2、
世界がそんなにも汚れて見えるのは、汚れたフィルターを通して世界を見ているからで、世界をそんなにも冷たく感じるのは、れおが冷たさばかりを感じてしまうからなんだよ。
そう、僕の母は言った。
だが、母の言葉に、僕はいまだに首肯けない。
かじかむ片手を、ズボンのポケットに忍び込ませた。
固い布の感触が手に伝う。一月前に買ったお守りだ。家を出るとき、部屋の壁に吊るしてあったお守りをズボンのポケットに入れてきた。
ぎゅっと、お守りを握りしめる。
このお守りに、僕は、「かなの毎日に平和と幸せが訪れますように」とお願い事をした。
かなとは、数ヶ月前まで付き合っていた元カノの名前だ。
心から幸せにしたいと願った相手。でも、僕は、かなの中の何かを殺してしまった。もう、過去は塗り替えることはできない。どんなに願っても、自分のしてしまったことは変えられない。
3、
一月前、自分を見つめ直そうと思い、電車に乗って北鎌倉まで出た。
円覚寺、建長寺の順にお寺を参拝していき、道路脇に湧く水の音や川のせせらぎに癒やされながら、鶴ケ丘八幡宮の裏口まで歩いた。
鶴ケ丘八幡宮の境内では、巫女のアルバイトがお守りを売っていて、僕はその中の「開運厄除」のお守りを手に取り買った。
果たして開運厄除のお守りが、僕が持っていてかなに効果があるのかとかいう細かいことは考えないことにした。
境内を出たあとは、海岸へ続く道をひたすら進み、鎌倉の海に辿り着いたら、浜辺に座り波の音と潮の匂いに身を委ねた。
気を緩めると、寄せては返す波の音につられて僕の魂も何処かへ流れていってしまうのではないかと思った。自分の存在をひどく薄く感じた。
青い空には白い月が、痩せ細った頬を思わせる様をして浮かんでいた。
僕の心も、痩せこけていた。
4、
ふと、目が覚めたら病院のベットに横たわっていた。
雪の降る夜に、環状七号をひたすら歩いていたのではなかったか。
いまは何時だろう。部屋には時計がない。ここはどこだ。
あたりを見回すと、ベットの脇のサイドテーブルに、入院時の契約書が置かれていた。
「精神科閉鎖病棟4F 古夏れお様 入院理由)情動不安定・自傷行為」
知らない間に、病院に担ぎ込まれていた。 病室の窓の外には、葉をすべて落とした桜の木が、寒々とした格好で立っていた。
わけがわからない。とりあえず看護師を呼ぼう。
僕はオレンジ色のボタンを押し、ナースコールを鳴らした。
5、
入院して最初のほうは、小説ばかりを読んでいた。主治医は「不自由させてごめんね。退屈だよね」と言うが、僕はさほど不自由を感じていないし、退屈でもなかった。
病院の中での生活に慣れてくると、何人かのスタッフと仲良くなった。
フルネームで名前を覚えた看護師が三人いる。ひとりは、アメフトの選手のような人。ひとりは、年齢が一番近い人。ひとりは、太陽のような人。
時折、病室に備えてある棚から真っ黒の財布を取り出し、中に挟んである二枚の紙を手に取る。
ひとつは、外科の処置のとき、先生がくれた大きな絆創膏の包み紙の一片。これは、僕以外の人からしたらただのゴミ以外の何でもない。もうひとつは、僕に理解を示してくれた知り合いの教授が渡してくれたメモ。そのメモには、発達障害の種類が羅列されている。
6、
母の言うように、確かに世の中には、僕に良くしてくれる人もいる。
その人たちは、僕にとって大事な人たちだ。
人のぬくもりは、確かにこの世界に存在する。
僕にとって大事な人が生きているこの世界でなら、生きていくのもありかなと前向きに考えられる瞬間が増えた。
退院したらもう会えなくなるような短い間柄でも、ここで出会った人たちのような人に、きっといつかまた出会えることを信じたい。
世の中には、僕の人生を狂わせてきた人が何人も存在する。思い当たるのは、あの人、この人、かなの両親、そして、僕自身。
この先もきっと、僕は彼らを許すことができない。自分自身を許すことはできない。
それでも、ごく僅かだが、今よりも明るい未来を描く自分に気がついてもいる。
エッセイ @kamometarou
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