メリー・ブラッド・ラーメン!

雨藤フラシ

1.夕日とディナー

 オレの幼なじみ、片喰かたばみ夕日ゆうひの弁当は、いつも血で黒い。青い光がこもったように白い肌と、深い色の黒髪。赤い目をサングラスで隠して、黒い食べ物を口に運ぶモノクロームの姿は、この世から色が消えたんじゃないかと不安にさえなる。


「それ、ウマいのか?」


 初めて知ったのは小学校低学年の時。オレは純粋に疑問だった。


「だって、血がないと味がしないよ」


 問われた夕日も、オレに負けないぐらい不思議そうに首を傾げる。こういう仕草は女の子みたいに可愛い。仕草だけは。


「そうか?」

「下等なヒューマンにこの味は分からないね。可哀想だから、少し分けてあげるよ」


 夕日はオレの弁当に、真っ黒なソーセージを一本放りこんだ。


「うぇっ。なんっだこれ」


 不気味さにオレが口に入れるのを躊躇していると、夕日はフフン、と品の良さそうな顔で見下したように笑う。この顔がなんともムカつくのだ。


「それはブラッドソーセージって言って、ドイツとか外国じゃ豚の血でこれを作るんだ。これは豚肉にヒューマンの血だけどね」


 オレはビビっていると思われるのはシャクで、ソーセージを口に突っこむ。


「あっ、食べた」

「……ん。なんだ、わりとマズくないじゃん」


 それは強がりだったのだが、夕日は弁当箱をそっとオレから離した。


「もうあげないよ」

「いらねえよ!」


 血のソーセージは少し苦いような、臭いようなエグみがある。夕日の弁当はみんなこんな感じかと思うと、たっぷり食べるのは気が重くなった。

 黒っぽい米にも、カボチャの煮物にも、卵焼きにも、ブリの照り焼きのタレにも、ブロッコリーとプチトマトにかかったドレッシングにも、みんなみんな血が入っている。でなければ、夕日もその家族も、まともに食事ができない。


 夕日は吸血鬼だ。そう呼ぶと先生たち――コイツの両親――は嫌がるので口に出さないが、夕日自身は気に入っているらしい。本当は〝つぐみのもの〟と言う。


――自分たちの存在を話してはならない。

――人前で牙を出してはならない。

――ゆえに、口をつぐめ。


 だから、つぐみのもの。あるいは黒食いとも言う。

 小指の爪ほどの二本角と、尖った耳、そして毒のある牙。どれも髪の毛や口の中に隠せる程度だが、吸血鬼の特徴はハッキリしている。

 不老不死でも動く死体でもなく、食べて寝て歳を取って子どもを作る、ちょっと変わった人種だ。ホモ・サピエンスとは別系統の人類だと夕日は言う。


 夕日の『高貴な吸血鬼サマごっこ』は中二病のたぐいだと思うので、コイツの話すことは多少信用がならないが、現実の存在なのは確かだった。

 そんな連中のことを、なんでオレが知っているのかと言えば。


「ガク、今日は放課後、〝検診〟だよ」


 渡理ヶ崎とりがさき学院中等部、中庭の東屋で弁当を広げながら夕日はうきうきと言う。出会ってから八年、検診の日はいつもそうだ。


「今朝も聞いたぞ。ほんっとオマエ、待ちきれないって感じだよな」

「当たり前じゃん。新鮮な血が飲めるんだから」


 検診というのはただの口実。オレは片喰家が経営する病院で、夕日が飲むための血液を4~500mLほど抜かれることを条件に、生活の面倒を見られている。

 それが片喰夕日の眷属けんぞく糸見いとみがくの役目だ。



 いにしえの吸血鬼は消極的な生き物で、長い休眠と短い覚醒をくり返し、細々と人間の生き血をすすって暮らしていたと言う。

 この休眠は仮死状態になるほど深い眠りで、老化がゆっくりになるため、結果的に人間の倍近い年月を生きていたらしい。寿命そのものは違いがないのに、だ。


 それもこれも、血液から取れるカロリーなんてたかが知れてるのが良くない。だんだん彼らは人間の食べ物から、見よう見まねで腹を満たそうと努力し始めた。

 牛の乳に、おかゆに、果物なんかを。やがて血を混ぜれば、ぐっと食べやすくなると気がついた。


 こうして栄養状態が改善されてくると、彼らの休眠期間はどんどん短くなり、今では人間と同じように長く活動し続けている。ほとんど忘れられた機能だろう。

 だが、小さいころの夕日には休眠の兆候があった。虚弱体質や先祖がえりの吸血鬼には、時々起こることらしい。


「はい、チクッとするよー」

「ブスリとするの間違いだろ」


 熟れたリンゴのような目に喜色を浮かべ、サングラスを外した夕日はご機嫌だった。この目も、昔の吸血鬼が持っていた弱点の一つだ。昼間はサングラスが欠かせないから、学校でも許可をもらって堂々とかけている。


 しかし毎回毎回、オレに採血針を刺す時のコイツは実に嬉しそうだ。血が飲めるからなんだろうが、刺すこと自体を楽しんでないかと勘ぐってしまう。

 片喰総合病院の採血ルーム。吸血鬼と無関係の人間は入ってこない、ほとんどプライベートな空間で、夕日は手ずからオレの血を採る。

 簡単な問診や血圧・体温測定なんかは院のスタッフに任せているが、これは小学校を卒業してからは決して譲らなくなった。


 もちろん法的には確実にマズいんだろうが、吸血鬼はそもそもおおやけには存在していないことになっているので、気にしてもしょうがない。

 テレビや漫画がそろえられた室内、ふかふかの採血ベッドでくつろぐのは悪くない。夕日と雑談したり、ゲームなんかをしていると、あっという間に十五分だ。


「じゃ、いっただきまーす!」


 新鮮な血液を注がれた紙コップを前に、夕日は満面の笑みだった。お待ちかねのディナータイム、血を抜かれて休憩するオレは恒例の行事を見守る。

 きらきらした目で水面を見つめていたのは何秒か。最初はちびちびと、ひどく貴重な薬を舐めるように飲むが、やがてこくり、こくりと真っ白な喉が動き出す。

 そうなれば後はひと息だ。喉の奥まで血でうるおして、腹の底からその味を楽しむ。月長石のように白い夕日の顔が、この時ばかりは酔ったように赤く火照る。


「……美味しい」


 うっとりと言う声は、舌がとろけたようなため息に聞こえた。血にまみれた口からこぼれる牙を見ると、ああ、やっぱりコイツは吸血鬼なのだとしみじみ思う。

 こうした一杯を、夕日は次の検診まで数回に分けて飲む。それは一般的にかなりの贅沢だった。ほとんどの吸血鬼は、血入りの料理で栄養が足りているのだ。


 献血の基準に達さない、それほど健康ではない人間の血を買い集めたものが、各地の吸血鬼向けに販売されている。夕日も普段の食事はそれを使っていた。

 独自の販売網が完成するまで、オレのような眷属は必需品だったそうだ。今じゃもう、誰も獲物に直接牙を立てて血を飲んだりはしない。

 けれど、生まれつき虚弱体質の夕日にそれでは足りなかった。学校にも通えず、車椅子で生活する一人息子を心配して、両親が用意したのがオレだ。

 眷属を持たなければ、夕日はいつ目覚めるともしれない休眠と覚醒をくり返していただろう。


「じゃ、歯を磨いてくるね」

「おう」


 採血ルームの外は、いつ一般人と出会うともしれない。赤い目をサングラスで隠して、夕日は退室した。

 口いっぱいに血液を入れれば、誰でも臭くなる。不審者として警察に目を付けられても困るし、直接血を飲んだ後はしっかり歯を磨くのは吸血鬼の鉄則だ。

 歯磨きから戻ってきた夕日ともうしばらく休んでから、オレたちは病院を後にした。自販機のスポーツ飲料を飲んでいると、盛大に腹が鳴る。


「腹減った……」

「コンビニ、寄って帰ろっか」


 オレは健康な血を作る義務があるので、食生活はしっかり管理されていた。毎日の食事は片喰家の家政婦さんが作っているし、間食も連絡ノートで報告する。

 夕日は今のところオレの血に満足しているので、それほどうるさく言われないから気楽なものだ。コンビニのチキンだって許されている。


「新しく店、できたんだね」


 病院前から出ているバスを降りた矢先、夕日に言われて気がついた。新装開店の看板が出た店先に行列ができている。豚の脂とおぼしき香りが鼻をくすぐった。


「ラーメンか……」


 そういえば、オレはラーメンというものを食ったことがない。母さんが作ってくれた焼きそばならあるが、もうロクに味も思い出せなかった。

 その代わり、家にあったインスタントの麺を生でかじったことは覚えている。

 片喰家に引き取られる以前、オレには人間らしい生活なんてなかった。遺伝子上の父親にあたるあのクソ袋を親父とは呼びたくない。

 母さんはクソ袋に殴り殺され、オレもそうなる寸前、片喰の病院にかつぎ込まれて保護された。以来、オレは夕日の眷属をやっている。


「なあ、あれ食っていこうぜ」


 町には吸血鬼がやっている飲食店が数件ある。そうでない店では、夕日が携帯しているボトルからこっそり血液を混ぜて食べることになった。血が入っていない麺類でも、スープに入れたらギリギリ食べられるんじゃないだろうか。

 しかし夕日は、信じられないほど馬鹿な提案を聞いたとばかりに、腕を組んでオレをにらみつけた。


「この僕に、下等なヒューマンどもと行列に並べって言うの?」


 イラッとするが、行列が面倒なのはオレも賛成だ。


「わかったわかった、別のラーメン屋にいこう」

「やだ。不愉快だ。今ので絶対にそういう気分じゃなくなった。ラーメンなんて下賤げせんなもの、僕は食べないからな」

「へいへい、わーかりまーしたー」


 オレがラーメン屋に背を向けると、夕日は「返事が悪い」とすねを蹴ってくる。痛いようなものじゃないが、小突かれるのはムカついた。


「蹴んなよ!」

「しつけだよ、しつけ」


 今度はぽんぽんと気安くオレの肩を叩いてくる。さらにすれ違いざま、


「おまえは僕の飼い犬だろ」


 とささやいた。

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