第3話 逃げるが勝なのですわっ!
「答えろ、娘。ここで何をしている」
目の前に現れた王宮侍女全ての憧れである騎士団長様を前に、アリサはこんな場合、どうしたらいいのか、途方に暮れる。
騎士団長様は、何しろ、神は三物を与えた!と呼ばれているくらい、容姿端麗、頭脳明晰、そして、戦わせれば、戦神にも勝るとも劣らないと言われているほどの人物なのだ……さっき、自分が戦神と戦ったばかりだけどね!
それを思い出して、アリサは自虐的な笑いを浮かべた。騎士団の戦神様が、本当の戦神様と戦ってくれたらよかったのに。こんなドジ体質の侍女なんかとはなくて。
騎士団長様(かっこよすぎて、名前忘れた)は、紫がかった銀色の前髪がひとすじ、顔に流れ落ちるのを、煩わしそうに払いのけ、剣をアリサに向けた。(いや、その前に、前髪切れよと、アリサは心の中で思ったのだが)
真っ直ぐな銀色の髪の毛を後ろに束ねた騎士団長様は、紫がかった澄んだ瞳で鋭くアリサを睨みつけている。
こんな美形に真っ直ぐに視線を向けられたら、きっと、どんな女官でも嬉しくなって気が遠くなるだろう。
けれども、今のアリサは、別の意味で気が遠くなりそうだった。
── もしこれが、女官長様の耳に入ったら、どんなお仕置きが待っているのか。
ショックのあまり、頭がくらくらする。目の前の美形の騎士団長様の麗しさなど、女官長様の魔王のごとき視線に比べたら、あまりにも軽い。
今日の木の実採集だって、今までの失敗をちゃらにしてあげるという女官長様のあつい、あつーい、配慮のおかげなのだ。
それなのに。
ここでまた、ドラゴンと騎士団関係でトラブルに巻き込まれたと知ったら、ドジっ子挽回のお仕事が全て水の泡と化す。しかもだ、変なドラゴンから変な能力を伝授されたこと以外は、木の実採取のミッションはほぼ完ぺきに出来ているのだ。
そこで、アリサははっと気が付いた。
もしかして、あのドラゴンに瀕死の重傷を負わせたのは、実は騎士団長様だったのではないか。
戦士がドラゴンを狙う理由はたった一つ。
ドラゴンを倒し、ドラゴンスレイヤーと化す。そして、ドラゴンの超人的な能力を我が身に受け継いで、超人的に強靭な力と戦いのスキルを身に着けることだ。
多分、騎士団長様はあと一太刀でドラゴンを倒せる所まで行ったのだ。そして、ドラゴンが虫の息になった所に、うかつにも、不運体質の自分がのこのこと出てきて、そのドラゴンの能力を得てしまったのに違いない。
……それって、もしかして、すごくまずくない?
あまりにも、シュールな展開のせいで、気が遠くなりそうだ。いっそのこと、ここで気絶してしまえたら、どんなにいいだろう。
そんなアリサの心の中の煩悶はすぐに打ち破られるのである。
「おい、娘、どうした。何か言葉を話せ」
低く凄みのある声が耳に入って、アリサははっと我に返った。
恐れ多くも、全世界の憧れの的である騎士団長様が目の前にいるのにもかかわらず、また、一人で、ぼーっと考え事をしてしまった。
「あ、あの、ごめんなさい……。つい、うっかり……」
「うっかり、なんだ?」
気付けば、アリサの周囲は抜刀した騎士達に囲まれていた。
はやっ。騎士団はやっ。
そりゃそうだ。騎士団長様管轄の第一騎士団は、泣く子も黙る精鋭中の精鋭の集まりなのだから。
それでも、この事態をなんとか穏便に済ませないといけないのだ。
アリサは、侍女の中では下っ端の中の下っ端なので、こんなカーストの頂上に君臨する麗しの騎士団長様と、城の中でばったりと顔を合わせたこともなかったし、これからだって、顔を合わせることもないはずなのだ。
彼は、絶対に私の顔を知らない。そして、第一騎士団の面々も、絶対に自分の顔を知ってるはずがないのだ。
つまり、ここで出会っても、城の中で、二度と彼と出会うことはない!
頭の中で素早くアリサは計算し、さくっと騎士団を無視して、穏便に逃走することに決めた。
ついでに、ここで変なドラゴンの最後を看取ったことも、戦の神様から、本人の意志はともかくとして、変な能力を授けられたことも、全部、見なかったことにしたい、いや、見なかったことにするのだ。
そして、今、目の前で射貫くように鋭い眼孔を発っせられている麗しの騎士団長様とも、今日は合わなかった!(ことにする)
腹が決まれば、即実行に移す!
ドラゴンと出会ってしまったせいか、普段の自分なら絶対に逃げられるとは思わなかっただろう。
けれども、アリサの中のドラゴンが言うのだ。
走れば逃げられる!と。
ドラゴンの野生本能がアリサを突き動かす。次の瞬間、アリサは、突然、くるりと後ろを向いて、脱兎のごとく走り出した。
「おい、待て、娘! 止まらぬか」
恐ろしく低い威嚇の声が背後から響くが、アリサの中のドラゴンに引っ張られるようにして、アリサは気づけば、全力で走っていた。
その心の片隅では、今さっき、無理やり授けられたドラゴンの力が歓喜の声を上げているのを、アリサはしっかり聞いていた。が、今は、ドラゴンどころではないのだ。
目の前の麗しの騎士団長様の魔の手から逃れること。
それが今のアリサの一番の望みだ。
騎士達が抜刀して追撃してきた瞬間、アリサは常人ではありえないフットワークを駆使して、鋭く振り下ろされた刃を見事に潜り抜ける。
「なっ、なんだ、この女。素早いぞ。気をつけろ」
「うわっ。この加速、一体、どういうことだっ」
騎士団長が鋭い声で叫んでいるが、アリサは耳を貸さなかった。ただ、ひたすら、野生の逃走本能がアリサに逃げろと急き立てるのだ。
「待て、娘、立ち止まれ、出なければ、射る!」
次の瞬間、アリサの頬のすぐ横に、ひゅんっと何かがかすっていった。
矢だ。騎士団がアリサに向かって、矢を放ったのだ。その矢はアリサのすぐ横の木に突き刺さり、ブンブンと振動を立てながら前後に揺れている。
(本当に矢を放った?!)
頬から生ぬるい液体がつーっと流れ落ちる。思わずそれを手でぬぐいとってみると、真っ赤な血がついていた。
かよわげな女子に矢を放つとはなんたる無礼者!
幾らアリサが下級侍女だと言っても、一応は城の中では、レディーとして扱われているのだ。それが、ただ逃げただけなのに、後ろから矢で狙ってくるとは。
城の中では、騎士達は騎士道の精神を貫き、女性に乱暴をはたらくなど持ってのほか!
騎士の不文律として、レディーは丁寧に扱うと言うのがある。重い荷物を持っていたら、代わりに持ってくれるとか、扉を開けて、先に通してくれるとか、それが普通なのだ。
それなのに、騎士はまた次の矢をアリサに向かって放った。それは、矢じりに火をつけた火矢であり、ぶすっとアリサの持っていたカゴへと命中した。
(ちょっと、なんてことしてくれるのよ!)
今日、一日、森の中を散々歩きまわって、見つけた木の実だ。それが火矢のせいで焦げ焦げになったら、一体どうしてくれるのか。
女官長様の怒った顔を思い出し、恐れおののいたアリサは、素早く、炎に包まれた矢をアリサは素手で掴み、矢じりの所からぽっきりと折った。気が動転するあまり、自分が素手で火のついた矢を掴んでいることに、気付いていない。
ぐっとアリサの中に怒りが付き上がる。
「いきなり後ろから矢を射るなんて、ひどい!」
今日は散々だったのだ。朝からドジっ子連発で、諦め顔で、侍女頭様から森にお使いに出されたのだ。今日、一日かけて、一生懸命、かき集めた木の実に火を放つなんて!!
アリサは立ち止まり、後ろを振り返ると、ぐっと騎士団を睨みつけた。
「ちょっと、何するのよっ」
そう怒鳴った途端、アリサの背後から大きな炎が燃絵広がる。
その炎は、大きく広がりながら、目の前の騎士団を取り囲んだ。
「えっ?」
アリサは、その瞬間、ふと怒りが収まり、今、どういう状況か咄嗟に理解した。
もしかしたら、この炎は自分が出してしまったのだろうか。状況から考えるときっとそうに違いない。
「ちょっとぉぉ、待ったあ。炎、止まれ、止まりなさいったら」
アリサが慌てて炎に命じると、炎がぴたりと止まった。いや、炎が突然消えうせた、とでもいうべきだろうか。
「あ……」
突然に出現して、急に消滅したの炎の中から、驚いた顔で息を飲む騎士達が目にはいる。
そこには、驚愕の表情で自分を見つめている騎士団長様と一瞬、目があった。
騎士達は全員無事だったことをアリサは確認したので、ほっとしながらも、一目散に、アリサは森の中に逃げ込んだ。
「おい、待て、娘! 待たないか」
声までイケメンな騎士団長様が背後で叫ぶ声が聞こえたが、アリサは一度も振り返ることなく森の中へと消えた。
はあ、はあ・・・・
騎士団長様って、低くてハスキーな声も非常にイケメンだった。城の中で、あんな風に呼び止められたら素敵だっただろうに。
藪をかき分け、道なき道をぐいぐいと進むが、服も破れず、森に茂っていた茨でさえ、アリサの柔らかな皮膚に傷をつけることは出来なかったのである。
これもドラゴンの加護の力のおかげだったが、今のアリサには、そんなことを構っているゆとりはない。
子供の頃から見知った森だ。抜け道を知り尽くしているアリサは、簡単に騎士を巻いて、何食わぬ顔で、城に戻ったのだった。
そんなアリサは騎士団長と邂逅するのが、それから、ほんのすぐ後のことになるのだが、アリサはまだそれを知らなかった。
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