雪の街

澄田こころ(伊勢村朱音)

第1話 ふる

 鉛色した師走の空から、綿菓子のような雪がとめどなく舞い落ちる。暖房のきいた部屋の中からガラス一枚隔てて見れば、この上なくうつくしい光景だろう。


 そのはたから見ればうつくしい雪景色の中、俺は重いスーツケースを引きずり、凍えた背中を丸め歩いていた。


 空港から在来線にのり、実家の最寄り駅でおり、そこから通常ならバスで二十分。今日は大みそか。母親は何かと新年の準備で忙しいのに、車で迎えに来ると言った。


 久しぶりの帰省の道中をゆっくり味わうため、その申し出を断ったけれど、そんな感傷に浸っている場合ではなかった。


 雪がめったにつもらない九州地方。大幅に遅れたバスを大通りで降り、山を切り開いて開発された新興住宅地の坂道をのぼる。


 失敗した。やっぱり駅まで迎えに来てもらえばよかった。

 黒のトレンチコートの肩に降り積もる雪を手で払い、後悔する。


 新興住宅地の頂上付近にある実家まで、十五分歩いてようやく到着した。吐く息は白いが、体にはうっすら汗をかいていた。


 十年前に買った三十五年ローンの三角屋根の住宅は、雪をかぶりヘンゼルとグレーテルに出てくるお菓子の家のよう。チャイムをならし、インターホン越しに自分の名前をつげる。まるでかしこまったセールスマンみたいだ。


 一年ぶりに会う母親は、相変わらず元気だった。電話をくれたら迎えにいったのに、寒かっただろうと、今さら言ってもしようがないことを大きな声で話し続ける。


 暖かいリビングに入りようやく、息をつく。ついたとたん、玄関から母親の声。


「翔太、コロコロ雑巾でふいたけ、二階にもってあがりい」


 上り口におきっぱなしの雪で汚れたスーツケースを思い出し、あわてて引き返し二階までもっていく。


 高三までつかった、ベッドと机だけが置かれたがらんとした部屋に運び入れる。この部屋をつかったのは、たった五年だった。それでも多感な時期をここで過ごしたから愛着はある。それなりの思い出もある。


 スーツケースを床におき、布団が敷かれたベッドへ腰かけた。


「翔太ー、おみかん食べえ。お茶も入れたけん」


 また、母親の声が家中に響く。ゆっくり、思い出にも浸れない。

 よっこいしょと腰をあげ廊下に出て、隣の部屋の前をいったん通り過ぎた。しかし、足をとめ三歩後ろ足で下がり、ドアの中の気配をうかがう。

 隣の部屋からは、なんの物音もしない。


 ソファーにすわりあたたかいお茶をのんで、熱い息とともにあいつの名前を言う。


由奈ゆな……今日も仕事なのか?」


「あー、あの子もめったに帰ってん。病院の寮借りて、夜勤明けはそこで寝とお。うちまで帰って来んでもすぐ寝れていいからって。今日の夜は夜勤で、元旦は寝て二日には帰ってくるち言いよった。あんたは、三日の朝帰るんね?」


 俺はだまってうなずく。

 三つ下の妹の由奈は看護師をしていた。ここ数年、帰省してもめったに顔を合わせない。由奈は年越しライブだ友達と新年会だ、と言ってこの家にいないことが多い。今年も二日は初売りにでもいくのだろう。


 由奈のことを気にかけ、ここにいない父親のことを聞かないのはおかしいと思い、

「そういえば、父さんどうしたの?」

と問うた。別に、父親になんの関心もないのだけれど。


「お父さんは、おせちとりにいってもらっとる。今年は豪華三段重ねやけんね」


「そんな豪華なおせち、高かっただろ。別にいいのに。毎年食べきれないのに」


 正月に帰ると、食べきれない量の食事を母親は用意する。東京に帰って、体重計に乗ると毎年二キロは増えている。その増えた体重を落とすため、ジョギングを始めるのが年始の恒例。


「普段、お父さんとふたり暮らしみたいなもんやけ、準備すんのが楽しいわ。お父さん、最近あんまり食べんけん」


「いいじゃん、遅れてきた新婚生活と思って楽しめばいいよ。二人っきりの生活なんてなかったんだから」


 そう言うと、背中をバチンとたたかれた。この年で照れているのだろうか。

 父親と母親が再婚して十年。そして、父親の連れ子の由奈と兄妹になって十年になる。


「最初は大変やったけんねえ。由奈がなかなか私になれんで」


 俺が中二、由奈は小五の子供だった。再婚と同時にこの山の上の住宅を買って、四人の新生活は始まった。引っ越しにともない由奈は新しい小学校に転校し、俺はバスで以前と同じ中学へ通った。


 新しい母親。新しい家。新しい学校。いきなりづくしで、由奈はパニックを起こしていたのだと思う。


 もともと人見知りで気むずかしい性格の由奈は、俺たちと口を聞こうとしなかった。髪は短くズボンばかりはいている、やせたボーイッシュな弟みたいな妹。

 それまで一人っ子で育ってきた俺にとって、毎日家にいる暗い目のむっつりした性別不明な小学生は、どうあつかっていいのかわからない未知の存在だった。


「いつの間にか、あんたには口きくようになってたなあ。なんでやろ」


 呑気なもんだ。俺の苦労も知らずに。

 いつの間にか二人は仲良くなった、みたいな言い方をする母親にあきれた。

 住宅ローンの返済に追われ、共働きの両親はせっかく買ったこの家に夜遅くしか帰って来なかった。


 俺は母親と二人暮らしが長かったから、カレーや豚汁などの簡単なものはつくれた。そこに冷凍食品やレトルトでも加えれば、立派な夕飯だ。


 俺たちと暮らすまで、由奈は祖母と父親と三人で暮らしていた。だから、祖母がなんでも由奈の世話をやいていたらしい。その祖母はこの再婚に反対し、俺と母親に会ったことがない。


 最初、俺や母親が用意する食事に手をつけなかった由奈。カップラーメンやお菓子ばかり食べていた。それを家族になったばかりの俺たちが、注意できるはずもない。


 でも、さすがにそんな食生活にあきたのか、ある日から揚げをあげる俺のそばへよってきた。

 つんと上を向いた鼻をクンクンさせながら、由奈は言った。


「このから揚げ、何で味つけしてるの?」


 はじめて話しかけられた俺は戸惑ったが、味付けにつかった市販のから揚げ粉の赤い袋を由奈に見せた。


 すると、不愛想にいつもぎゅっとへの字に閉じられた唇はうれしげに開き、目じりをかわいらしく下げて言ったのだ。


「おばあちゃんが使ってるのといっしょ!」


 それだけ言ってひょいと手をのばし、揚げたてのから揚げをひとつつまむと口の中へ放り込んだ。放り込んだと思ったら、


「あっつーーい!」

 と言って、てのひらにはき出した。


「ばっかだなー、揚げたては熱いに決まってるだろ」


 てのひらの上にから揚げをのせ、キョトンとした顔で俺を見あげた由奈。その子供らしい表情を見て、はじめてこの子は妹だと、かわいいと思えたんだ。

 俺は唾液でテラテラとひかるから揚げに口をすぼめ、息を吹きかけた。


「フーフーしたから、これで冷めたよ」


 少し冷めたから揚げを由奈は再び口に入れ、

「おいしい!」

 と言ってわらったんだ。


 それから、毎日由奈とふたりで食べるようになった。

 狭いアパートで、一人無言で食べなくてもいい。それだけは、再婚してうれしいことだった。


              

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