泡を集める

中村ハル

第1話 汲めども尽きぬ

 地震が来ると、本を押さえる。

 本棚に入りきらない本が、机の下、天板に届くほどに詰まっているからだ。布団派なので、目を開ければ目の前は本の壁である。本の壁の後ろには、本の山が机の幅だけ聳えている。

 机の左隣には、180センチほどの五段の本棚がある。一段に、文庫は前後真ん中の三列、単行本は二列、それぞれの本と天板の隙間に入るだけ。右隣の窓に沿って低い本棚が二本。廊下に180センチほどの本棚。あとは床に小山…。

 人など呼ばぬ。呼べぬのだ。

 座る場所がないこともないが、本という性癖を具現化したモノがばら撒かれている部屋になど、誰が入りたいだろう。そして、誰が好き好んで、己の恥部を晒すというのか。

 爽やかな本など、私の本棚には存在しない。いや、あるのかもしれないが、奇々怪界な本たちの中にあるそれは、もはや爽やかさ故に怪しいのである。

 どっかのトキメクうんちゃらとかいうなんでも捨てさせようとする人が、なんか言っていたが、そんなの知らぬ。10年読まなかった本も11年目に読むのだ。

 概ね、本棚を占めているのは、昔買った本だ。捨てない訳じゃない。叩き込むこともある。

 だが、一度捨てた本は二度とこの手に帰らない。痛い目に遭ったのだ。「もう、オトナになるのだ。怪異を語るなかれ、だ」とばかりに幼き日に捨てたあの民話と妖怪の本!絶版だ。国会図書館に行ったが、タイトルが分からん。絵と話は覚えているし、小学館のなんか背表紙が金色にきらきらしてたシリーズなのも覚えてる。でも、検索しても出てこない…返せ…。

 もうあんな辛い思いはしたくない。毎日生まれる新刊は、恐ろしい勢いで、絶版になっていく。見たら買え、後悔先に立たず。書店員だった私は、その葬り去られる非情さをよく知っている。

 そして、本が好きな故に「借りる」ということはしたくない。買わねば作者の、将又、版元の活計が立たぬ。それを口実に、莫迦みたいに買うのである。

 そんな私の本棚だが、当然、キャパシティがある。四次元ポケットではないのだ。収納できる許容量があるからこそ、床にはみ出し、繁殖しているのだ。見ろ、また一山増えたじゃあないか。

 当然、処分する。勿体ない。が、もう読まない、心の底からもう読まない、という本を手放す。床に出ていた本が減る。本当は売りたくないのだが、到底運べる量ではないので、ブックオフ先生を呼びつける。売れば、新刊ではなく古書を買う人がいて、それは私の本意ではないが背に腹は変えられぬ。三年に一度、一回に300冊で、床にはみ出ていた分が刈り取られる。すっきりした。

 だが、見渡せば、本棚に隙はなく、両手に持った本を棚に戻したところで、入りきらないことに気がつく。じっと床を見る。まだ本は溢れている。床にあった本を刈り取ったはずなのに、それは依然としてまた、そこに生えている。

 私は首を傾げ、途方に暮れる。

 どうやら、私の本棚は、四次元ポケットだったようだ。ドナドナと売られていく本を見送り、私は静かに本を積む。賽の河原に石を積みあげるように。今に鬼がやって来て、この業を蹴倒すのだ。

 だから私は、地震が来ると、本を押さえる。

 極楽は、未だ遠く。煩悩は汲めども尽きぬ。

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