師匠、それは幽霊ですか?

瀬川

第一話 閑古鳥の鳴く探偵事務所





 関東、茨城県のとある市の駅前に、雑居ビルが建っている。

 塾、マッサージ、ネイル、飲み屋など各階に様々な業種がテナントを構えていて、朝から夜まで人の出入りが途切れない。

 そのビルの一番上の階、そこに探偵事務所が入っていた。

 事務所の名前は、鳥居跡とりいど……探偵事務所。……の部分は文字がかすれているわけでも、業者がミスしたわけでもない。あえて……という表記にしている。

 しかしその理由を知っているものはいない。


 お世辞にも栄えているとも完全な田舎とも言えないこの町で、毎日閑古鳥が鳴いているその事務所を、地域の住人はあることないこと噂をしていた。

 曰く、金持ちの息子の道楽なんじゃないか。

 探偵事務所を隠れ蓑にした極悪な犯罪組織なんじゃないか。だから客が来なくても、潰れずにずっといる。


 その事務所に、まだ高校生の少女が頻繁に出入りしていることも、噂の対象となっていた。

 少女はブレザーを校則に違反しないように着こなしていて、長い髪をポニーテールにしていた。

 すらりとした手足と、ほど良く日焼けした肌は、スポーツをやっているのではないかというような見た目である。

 悪いところなど無さそうな容姿をしているのだが、出入りしている場所が問題だった。

 見た目とは裏腹に、悪いことに手を染めているんじゃないか。

 制服で出入りしているので、その学校に数回連絡がいったことはあるが、今のところ彼女がいなくなっていない。


 鳥居跡……探偵事務所の所長の名前は、事務所の看板の下に鳥居跡晴明と、見逃してしまいそうなほど小さく書いてある。

 せいめい? はるあき?

 ふりがながふられていないので、誰も本当の名前を知らない。しかし興味が無いから、誰もわざわざ調べようとするほどはしなかった。


 近所の人は、鳥居跡のその風貌だけで、性格を勝手に判断していた。

 見た目は、良くも悪くも不審者だった。お世辞にも真っ当には見えない。

 短めの髪はいつもボサボサ、無精髭、薄い色のサングラス、服装は喪服のような黒スーツ。

 チンピラにも見えるし、浮浪者にも見えるし、妻子に捨てられクビになったサラリーマンにも見える。


 事務所を居住地にしているため、毎日のようにコンビニの袋をさげて歩く姿が目撃されている。

 たまに何に使うのか、大量の荷物が運び込まれていることもあった。

 それなのに仕事をしているようには到底見えないせいで、事務所の中で女子高生と不純な行為に及んでいるのではないか、そんな通報が月に数回警察にされてしまう。

 そのたびに近くの交番から、もうすぐ定年の山田という巡査が事務所まで自転車で訪れ、そして話を数分ほど聞いて、問題なしと判断して帰っていく。

 特に鳥居跡が捕まる気配はない。

 聞き取りや調査ではなく、ただお茶を飲みに言っているのではないか。帰ってきた後の、山田のほくほくとした満足そうな表情を見て、ろくな仕事はしていないと通報した住人はため息を吐く。

 山田はすでに、鳥居跡に抱き込まれている。

 そう言われているが、真偽のほどは明らかではない。



 こういった悪い噂は絶えないが実際の様子を誰も知らず、かといって突撃するほどの勇気があるものもいなかった。

 ただ世間話の一つとして、会話にたまに出るだけである。

 そういうわけで、鳥居跡……探偵事務所は今日もまた、閑古鳥が鳴きながらひっそりと開かれているのであった。




 ♢♢♢




「師匠、いつになったらお客さんが来るんですか?」


 鳥居跡……探偵事務所のバイトである美作みまさかひいらぎは、ハタキを突きつけながら、所長である鳥居跡に絶賛抗議をしていた。

 彼女がこの事務所で働くようになってから、もうすぐ一ヶ月が経つ。その間、一度も依頼人が訪れたことは無かった。ただの一人もである。


「ちゃんと契約した通りのバイト代払ってもらえるんですよね。タダ働きとか、私嫌ですからね!」


 彼女がいない時に仕事をしているのかといえば、全くそんなことも無い。

 一ヶ月、いやそれどころかそれ以上の期間、ここの所長は働いていなかった。

 その様子を見ていて、彼女が心配になるのも無理はない。

 いくら田舎とはいえども、家賃は発生する。

 そこにさらにプラスされる、その他もろもろの経費を考えれば、バイト代がもらえるのかどうかは、彼女にとって一番の心配事だった。


「助手としては働いていませんけど、ここ一ヶ月で事務所の掃除頑張りましたよね? これはお金をもらっても良いレベルですから! 見てください、この床の輝きを」


 彼女の言う通り、ここで働き始めてから事務所の部屋は格段に綺麗になっていた。

 週に四日、駅から徒歩五分の近さにある高校が終わると、彼女は寄り道をせずに制服のまま真っ先に事務所へと向かう。

 扉を開け中に依頼人がいないのを確認し、前日帰る時よりも少し散らかっている部屋の掃除を始めるのが、この一ヶ月のお決まりの流れである。


 掃除しかすることが無く、ここで働く用にわざわざエプロンを買ったぐらいだ。

 水色のシンプルなそれを、ジャケットを脱いだ制服の上から着たのが、彼女の仕事での格好になっている。


「私、この一ヶ月で掃除のスキルが成長していますし、ここまで来るのに足も鍛えられていると思うんですよね。筋肉ついてませんか?」


 このビルの最上階の家賃は、他と比べてかなり安い。立地条件から考えてもありえないぐらい格安である。

 それが何故かと言われると、簡単に説明すればここのビルにエレベーターが無いせいだ。

 オーナーの意向なのか、それとも設計ミスか、はたまたビル自体が古いからか、故障しているわけではなく元からエレベーターは設置されていない。

 そのせいで学校帰りの疲れた体に鞭を打ちながら、彼女はいつも階段を使って、ここまで来ている。軽い運動だった。


「筋肉がついて太くなったら、どうしましょう。ムキムキなのって、男性からしたらどうなんですか? ねえ師匠?」


 まくしたてるように話しているが、今のところ全く返事が無い。

 そのことに目を細め、持っていたハタキをソファに横になっている顔に叩きつけた。


「んあ? 何すんだよ。せっかく寝ていたのに」


 サングラスをかけながら目を閉じていた鳥居跡は、文句を言いながら起き上がる。


「師匠が私の話を聞かずに寝てばっかりいるからです! 働いているところ見たことないんですけど! 色々と大丈夫なんですか?」


 頬を膨らませ、そして腰に手を当てている姿は可愛らしいものだ。

 クラスで一番ではないが、しかし少数に人気があるレベル。

 涼しい目元、快活な性格、ポニーテールが揺れるのをつい目で追ってしまうというのが、同じクラスの男子生徒の評価である。


 しかしそんな容姿の良さも、鳥居跡には全く通用しなかった。

 彼は大きく口を開けてあくびをすると、ガシガシと音を立てながら頭をかいた。


「働き始める前に、最初に忠告しただろ。ここは仕事が少ないって。やることないけどいいかとも聞いたよな」


「確かに聞きましたけど、まさかここまでだとは思わないじゃないですか。だって一人も来ていないんですよ? ただの一人も。収入が無いのに、やっていけるわけがありませんよね。タダ働きは嫌ですよ。学生はお金が無いんですから」


「大丈夫だって。ちゃんと払う」


「師匠の言うことは信用出来ません」


「ちゃんと契約書を交わしただろう。指切りげんまんもつけた方がいいか? それに仕事が多いよりも、少ない方がいい。ゆっくり出来るしな。普通のアルバイトよりも楽だろ」


「確かにお金も重要ですけど、私は師匠の仕事を見たくて働いているんです。掃除をするためじゃありませんから。そこのところ分かっています?」


「だからタイミングだって。今はまだ仕事の来るタイミングじゃないから、働かないだけ。分かったか?」


「それじゃあ、そのタイミングはいつ来るんですか?」


「さあな」


「駄目じゃないですか!」


「はいはい。そのうちそのうち」


 言い合いが面倒になったのか、鳥居跡はまたソファに横になり、目を閉じてしまった。

 そしてわざとらしい寝息を立てながら、彼女に背中を向ける。

 あまりの態度に頭にきて、ハタキで追撃をしようとしたのだが、その耳が微かな物音を拾った。


 階段を上るヒールの音。

 一ヶ月間、一度も聞かなかった音。

 どんどん近づいて来ていて、途中の階で止まることが無さそうだ。

 もしかしたら初めての依頼人かもしれない。

 期待に胸が膨らみ、ソファに横になっている場合じゃないと、鳥居跡を叩き起こそうとしたが、その前に彼は身支度を整えてきちんと座っていた。


「師匠?」


「喜べ。待ちに待った依頼人だぞ」


 まだ完全にここに来ると決まったわけではないのに、彼は依頼人だと確信しているようだった。


「お茶の淹れ方、忘れていないよな? 用意出来るか」


「は、はい。出来ます」


 あまりの変化に文句を言っていたのも忘れ戸惑っていると、足音がすぐ近くで止まった。

 事務所の入口の磨りガラス越しに、女性のシルエットが浮び上がる。


「それじゃあ頼む。久しぶりの仕事だ」


 鳥居跡がニヤリと笑ったと同時に、事務所の扉が控えめにノックされた。




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