第36話 裏事情
ノックをして「どうぞー」と声がかかってから扉を開く。
保健室のベッドの上に、制服を脱いでショートパンツにパーカーという部屋着となんら遜色ない格好の小中先輩が座っていた。
きわどい胸元が露骨に見えているので着替え途中かと思ってしまったが、
そう言えばどうぞーと声がかかったはずだ、俺は間違えていない……と思う。
疲れて聞き間違えたわけじゃないよな? 先輩の悲鳴もないし。
「慌てなくて大丈夫よ、二人きりだしね。
さ、こっちにきなさい。
旅鷹くんの中で、私は甘やかしてくれる先輩なのでしょう?」
「聞いてたんですか」
「あの場にいて聞いていないってことはないでしょうよ」
それもそうだな……微笑する先輩は俺を弄んで嬉しそうだ。
いつものように一人分空いたベッドの空間をとんとんと叩き、座って、と促してくる。
そこに腰を下ろすと、先輩が俺の肩に寄りかかってきた。
「ベッド周りは私の家と同じようにしているから、
まるで私の部屋に旅鷹くんが遊びにきたみたいね……」
「その格好もいつも通りですか?」
「大体こんな感じ。寝る時は裸ね」
「裸……」
「靴下と手袋はしているけど」
「すげえエロく感じますね」
「それは旅鷹くんの趣味なだけでしょ」
俺の方が丸裸にされた気分だった。
それよりも、と先輩が珍しく俺をいじれる話題をわざわざ変えた。
「今日はお疲れさま。私のところに一番にきてくれるなんて、嬉しいわ」
「……ええ、まあ、先輩のおかげですから」
直前に高科と会っていたとは言いづらいな……。
短い時間だったし、会っていた、には入らないか。
いや会っているんだけど、すれ違ったようなものだとしたら言わないでもいいか。
「今日は助かりました、ありがとうございます。
さすが先輩は天才と言われるだけありますね――俺が犯人だってすぐに見抜いてみんなの推理を誘導してくれるなんてえっ!?」
喋っている途中で、先輩が俺の体に覆い被さってきた。
長身の先輩に、押し倒される。
先輩が体重を乗せて俺の両腕をがっちりとベッドに固定しているため、逃げられない。
先輩の長い髪の毛が俺の顔にまとわりついてくるが、もちろん嫌じゃない。
まるで視界を狭めるカーテンだ。
先輩だけを見るように導線が制限されている。
そのため必然、目が合う。
「違うでしょう?」
それは……なにが。
「旅鷹くんが私に理解させるように誘導した……違う?」
「多少は、まあ……でも、気付いたのは先輩ですよ」
実際、尼園は気付いていなかった。
先輩の誘導に乗った時はもしかして、と思ったものだが、
あれは乗ったというよりは乗せられたと言った方が近い。
やはり尼園には難しかったと言える。
分かりにくい情報から見抜いたのは、先輩の実力だ。
「ちなみに、どこで気付きました?」
「『少女Aはなぜ学園を去ったのか?』
……その推理を始める際に旅鷹くんはこう言ったわよね?
――『月並みで悪いけど、退学に追い込まれたケースでいじめの可能性は考えられるか?』って。そこから全員が、少女Aは退学に追い込まれたものだと判断した。
旅鷹くんによって、退学をゴールにして考え始めてしまったのよ」
先輩ならすぐに分かっただろう。だから誘導してくれたとも言える。
「学園から去ることはなにも退学に限定されないわ。
『追い込まれた末の退学』というマイナスイメージでなく、
『勧められた上での転校』でも、同じことが言える。
学園を去ったというのが言い方として悲劇を連想させるけどね。
運営委員会も狙っていたのかも」
「やっぱり先輩もそこで気付きましたか。
……退学だけでなく転校の可能性もあるとそこで指摘されていれば、その後の推理が少女Aに対するマイナスイメージだけでなく、プラスイメージも含まれてしまいますから。
俺が犯人だって見抜かれるのも早かったかもしれないですね」
そこで先輩がすかさず退学方向に舵を切ってくれたおかげで、転校について指摘されることなく推理が展開してくれた。俺が望む方向に。俺を隠してくれる方向に。
「いいえ、気付いたのはもっと前。
……というよりも、旅鷹くんはその時点のことを言っているんでしょう?
私が気付いて、あの子が気付かなかったのは、旅鷹くんの反応がヒントだったのよね?」
……気付いてくれていたと分かると嬉しいものだった。
「私とあの子がいつものように張り合って、旅鷹くんの両腕にしがみついた時、カメラが回っているにもかかわらず旅鷹くんは嫌がらなかった。
どうして? だっていつもの旅鷹くんなら、無理に振りほどこうとはしないものの、文句の一つや二つ言ったはずなのに。いつもと違うのよ。
そう『いつもと違う』――だから旅鷹くんが、犯人だと分かった」
完璧だ。
先輩は推理が始まる前から、俺と同じところにいてくれた。
だから今回、俺は逃げ切ることができたと言える。
「でも最初から勝とうとはしていなかったでしょう?
実際、途中までは犯人だと見抜かれてもいいと思っていたはずよね。
だって実際、木下くんに犯人だと見抜かれていたし、結局、退学に追い込まれたというゴールから視点を変えてしまえば出揃った情報から旅鷹くんが犯人だって分かってしまうもの。
……犯人って言い方も悪いわよね。
旅鷹くん……じゃなくて、少女Aの親友の女の子のお兄さんは、少女Aに転校を勧めただけなのだから――なにも悪いことなんてしていないのよ」
そう、転校を勧めただけ。
少女Aが抱えていた問題はアイドルとして活動することで成績が落ち、
出席日数が足らなくなってしまうこと。
父親は反対し、だけどマネージャーは積極的に売り出したい……、
そこでネックになっているのが、学校なのだ。
学校のシステム。
それを改善するのが難しいのなら、潔く転校すればいい。
現役アイドルの尼園は言っていた。
アイドル活動をしている生徒は、仕事の日は学園を休むことができるが、代わりに課題が出され、それを提出することで出席扱いになると。
これは陽葵代学園に限った話ではない。探せば芸能科がある学校だってあるのだ。
アイドルが出席日数で苦しむのなら、
売れているアイドルに全員学歴がないのかと言えば、そうではない。
それに合った教育機関が必ずあるはずなのだ。
だから親友女子の兄は、少女Aに転校を勧めた。
動機は簡単だ、告白は断ったがなにも嫌いなわけではない。
妹の親友が苦しんでいるのであれば力になりたいと思うだろうし、振った罪悪感もあった。
嫌いで振ったのではなく妹との絆を優先させた結果なのだから。
隠す必要もないので明かしてしまうが、好意はあった。
妹と少女Aが親友でなければ、受け入れていただろう。
ただしその場合は、出会っていなかったのかもしれないが。
少女Aの妹に探りを入れていたのは、
既に転校という視点が少女Aの家族にあるのかどうかをはっきりさせるためだった。
もしもあるなら自分がしようとしていることは大きなお世話になる……、
人の家の事情に首を突っ込むにはやはり準備が必要だからだ。
実際、転校という発想がなかった少女Aとその家族にとっては新しい視点だった。
転校してしまえば、全てとはいかないまでも滞ったものが円滑に回り出す。
両立できるなら父親は文句ないし、
浮気願望があった母親も、教師との距離ができれば必然的に心は戻ってくる。
娘の問題による弱みにつけ込まれた一時の迷いだった。
学生生活に支障が出なければマネージャーも仕事が入れられる。
妹との姉妹喧嘩は……こればかりは仕方ない。
少女Aがどうこうではなく、妹がそれをどう捉えるか次第だ。
友人男子のストーキングは遅かれ早かれ悪化すれば警察の厄介になるだろう。
転校したことで活動範囲が広がれば誰かの目に止まる数も多くなる。
少女Aに告白された親友少女の兄が、彼を野放しにするわけもないが……。
転校することでおよそのことが円滑に回るが、ただ一つだけ、デメリットがある。
少女Aからすれば、精神的な抵抗感だ。
それは親友と学校が変わってしまうこと。
絆を壊さないように恋人関係にはならなかったのに、そのことで二人は仲違いをしてしまう。
少女Aの困った現状から助けるために転校を勧めたら、
今度は物理的に二人は離れてしまうことになる。
裏目だ。
失敗したわけではないが、行動の一つ一つが裏目に出てしまっている。
でも、
喧嘩して、学校が変わって、距離が離れてしまっても。
それでもまた一緒にいられることができるのが、幼馴染みなのではないだろうか。
俺が勝手に想う幼馴染み像であり、親友の形だと信じたいだけなのかもしれない。
実際、二人はこのまま一生会わないまま、
絆が途切れてしまっているかもしれないが、そんな結末をあえて想像するのは勿体ない。
二人は仲直りをして、大人になっても、年を取っても、一緒にいる。
そんな風に考えた方が、絶対にいいだろう。
「……そうですね、俺は木下に犯人であると指摘されるつもりでいました。
木下でなくとも、誰だっていい。
逃げ切るつもりはありませんでしたし、負けるつもりがなかったわけでもないです。
どっちでも良かったんです。たった一つ、手を出すだけで簡単に形勢を逆転できるだけの種は仕込んでおいていましたから」
「きっかけは、陽葵ちゃん?」
「……そうですね、茜川を助けるために、勝とうと思ったんです」
「それで手を出したのね。手を出したのは鳴滝くんだけど」
……そこまで気付いて……天才であることを隠しているにしては、
胸中では全てを見抜いているじゃないですか……先輩。
人に自慢するようなことはしない、ってことだろうけど。
「鳴滝くんと組んでいたのね。一体いつから?」
「具体的にはちょっと。
ただ、鳴滝先輩を助けたことがあって、その恩をあの時に返してもらったんです。
わざと茜川を突き飛ばし、失格になることで、
俺からでは操作できない部分をいじってもらっていたんですよ」
「ふうん。
だから『タイムアップまで残り何分』の放送がなかったのね」
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