第8話 林田旅鷹

「俺を? なんで?」

「あたしに聞かれても分かりませんよ。で、なんで先輩をストーキングしてたの?」


 男子生徒が蹴られた尻の汚れを手ではたき落としながら、


「尼園には関係ないじゃないか」


「あのね、先輩が困ってあたしに助けを求めてきたの。怪我をした先輩を動き回らせるのにどれだけ罪悪感があったか分かる? 全部、ストーキングしてるあんたを特定するためなのよ。本当は序盤も序盤で分かったけど、あんたを捕まえようとすると、その時に限って邪魔が入るから、結果的に用意してた教室を全部使っちゃったけど……」


 なるほど、ストーカーを特定するために俺をあちこちに移動させたのか。

 方法自体は俺も序盤も序盤で気付いたが、それにしては尼園から接触がないとは思っていた。

 だから推測違いかとも不安にもなったが、どうやら当たっていたようだ。

 誤算があるとすれば、尼園の例のあれ、不幸体質のことだ。


 それがあるから、彼を特定できても、こうして捕まえることができるまで長くなってしまったらしい。それにしても、俺をストーキングしてるのが男子だとは予想外だった。

 いや、逆に女子ならあり得ると言いたいわけではないのだが……。

 俺をなんでも屋と知っての相談ごとなら、女子も男子も関係なくいるかもしれない。


「なにか困ってるのか? 尼園を外させようか?」

「お願いします」


「ちょっ、即答!? いいけど、外すけど! 先輩じゃなくてあたしに直接、言いなさいよ! そこがなんだか納得いかない!」

「尼園、ちょっと出てくれ。あと、聞き耳を立てるの禁止な」


「そんなことしませんよ!」

 と言うも、うずうずしているのが分かる。


 近くにいさせたら、たぶんこいつは聞き耳を立てようとして、不幸な目に遭うんだろうなと目に見えたので、コインを一枚、投げてやることにした。

 放物線を描いたコインが尼園の額に当たり、「――たっ!?」と彼女の手の平に収まる。


「それで購買にあるジュースでも買って飲んで、待っててくれ」

「えっ、いちごみるくでもいいんですか!?」

「なにを飲むのかは好きにしろよ……」


 それがお気に入りらしい。

 渡しておけばご機嫌になるなら、頭の中のメモ帳に記しておいて損はなさそうだ。


 スキップをしながら尼園が教室を出たところで、部活動の声が遠巻きに聞こえる放課後の静けさを破るように、男子生徒が名乗った。


「木下鳶雄です」


 ……聞かない名だ。

 会ったこともないだろう。今のこれが初対面だ。


「林田旅鷹だ……って、知ってるか。俺を……見てたんだから」

「気を遣わなくて大丈夫です。ストーキングしてたのは事実ですから」


 なんでそんなことを? と聞くよりも、用件を聞いた方が早いな。


「俺になんの用だ?」

「気になりまして。林田先輩。どうして、もっとできるのにやらないのですか?」


「……? 偏差値ぎりぎりの合格だったんだ。いや、少し下か? 追いついていけてはいるが、これよりもっととなるときついな……、買い被ってるみたいだが、気のせいだ」


「勉強のことではないですよ」


 指でこめかみをとんとんと叩いた後、木下が片腕を叩いて示す。


「こっちの話です」

「おいおい、喧嘩の話か?」

「それもありますが、腕っ節ではなく『腕』のことです」


 ……木下鳶雄、と言ったな。

 こいつは、何者だ?

 この言いよう、昔の俺を知っているとしか思えない。


「林田先輩、学力と知恵は、違いますよ。先輩の学力はそうでもないみたいですが、知恵の方はありますよね? 頭もよく回ります。そんな先輩がこの学園で天下を取れないわけがないです。どうして今の、便利屋扱いに甘んじているのか不思議でしかありませんし、似合わないです。……相応しくない」


 まったく、相応しくない――と、木下が繰り返した。

 困ったな……どうやら昔の俺を知っているようだが、敵ではないようだ。


 喜ぶべきだが、逆に、敵でないから扱いに困る。無下にもできない。

 かと言って彼の要望に答えて昔に逆戻りすることは俺自身が許せない……。


 そうなると、だ。


「これが俺の、今の実力だよ」


 そう言うしかなかった。

 しかし誤魔化すためでなく嘘偽りない本音だ。


 俺の実力なんてたかが知れている。木下の評価が高いことも否定はしないが、それはこの学園だからこそ高く見えてしまうだけだ。


 井の中の蛙、大海を知らず。

 凄い奴なんて他にたくさんいる。

 もう連絡を取っていないが、卒業した中学時代の連中の方が、俺よりの何倍も腕がある。


 腕があって、悪知恵が働く。

 つるんでいた俺がしたことなんてただの手伝いだ。

 荷担していた、とも言えるが……。


「…………」


「納得しないか? だったら俺と契約でも交わすか? お前が俺に『本気を見せてください』と言って俺が頷けば、俺は本気を見せなくちゃならなくなる……新一年でもそれくらいの校則は知ってるだろ?」


「もちろん知っています……けど、その契約の強制力はあるようでありません。今の契約で言えば、先輩が思う本気を出すことでも成立しますから。僕が見たいのは先輩が隠している方の本気です」


「ねえよそんなもんは。お前は俺を知ってるみたいだし、いつの俺なのか分からないけど……、周囲の人間に引き上げられた一時的な場面をお前が見ただけかもしれない。スポーツでもよくあるだろ、頑張ってる選手に感化されて、実力以上のプレイができちまうあれ。そん時の俺を見たんだろ。だったらそれが奇跡で、今の俺が普通なんだ。俺に凄いところなんか一つもねえよ。凄いのは……あいつの方だよ」


 そう……あいつ。

 俺が突き放した、親友の方が、俺よりも何百倍も凄い奴だ。


「そんなことありませんよ。林田先輩も凄いです。それを僕が証明してみせましょう」

「……証明? おいっ、証明って、どう――」

「では、これで失礼します。もうストーキングはしません、ご迷惑をおかけしました」


 木下鳶雄はそう言って、教室から出ていってしまった。……呼び止める暇もなかった。

 証明、証明ねえ……手荒な真似をしてこなければいいが……。


 すると、木下と入れ替わりで、尼園が教室に戻ってくる。

 着ている服が制服からぶかぶかのジャージに変わっていたので、いつもの不幸かと思っていたが、尼園の様子がいつもと違う。

 いつもなら不機嫌さを隠そうともしないのだが、今日は逆に嬉しそうだ。


 ちらちらとこちらを窺い、聞いてほしそうな視線を向けてくる。


「どうしたんだよその格好」

「あ、気付きましたか先輩っ。それがですね、いつもの不幸の後なんですけど――」


 嬉しそうに喋る尼園は、園芸部の水まきに巻き込まれて、びしょびしょになった自分を助けてくれた三年生のことを教えてくれた。


 この時はまさかその相手が小中先輩で、今後、長いこと犬猿の仲になるとは思ってもいなかったが……。



「小中先輩って、すっごい美人ですよね!」



「尼園、澄華ちゃん、よね……? あの子、可愛いわよね」



 最初こそはこうだった。


「美人ですからねー、先輩がそっちにいっちゃうのも分かりますよーだ」

「可愛い子に目がないから、旅鷹くんは。困っていたらすぐに助けてしまうもの」


 いつからか、こんな風に俺が責められるようになった。



 気付けば二人の対立が激化していき……あれ?

 俺が間にいるから、二人の仲が悪くなったのでは……?

 俺のせい? 俺が関わらなければ……なにもしなければ。


 そこにいなければ、こんな問題が起きることもなかったんじゃないか?


 やっぱり、そうだ。

 いつもいつも、発端は、俺だ――。

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