第249話 リューブラント陣営にて (後) -三人称-

 左の胸にグランフェルト辺境伯家の紋章を刻んだ革鎧に身を包んだラウラが、敵の奇襲部隊を飲み込むようにして燃え広がっている火の海を見つめながらつぶやく。


「あれは本当にフジワラ様でしょうか」


 そうつぶやくラウラは少し小首を傾げると直ぐ左隣に控えているローゼとセルマへと視線を向けた。


「言われて見れば……フジワラ様でしたらもう少し派手な攻撃魔法をお使いになりそうですね」


「単体での魔法はあまりお使いになりません。だいたいは四・五種類の複合魔法をお使いになっていらっしゃいますね」


 ラウラの疑問にローゼとセルマの不思議なセリフがなおも続くなか、リューブラント侯爵と諸侯、騎士たち――ラウラ、セルマ、ローゼ、ネッツァーの四名を除いた全員、彼女たちの会話を不思議なものを見るような眼差しを向けて聞いていた。


 もちろん、ただ聞いているだけではない。

 その胸中では様々な疑問や戸惑い、疑いが渦巻いていた。


 もう少し派手な魔法? 目の前に広がる火の海と連鎖的に発生している爆裂系の魔法は派手ではないと言うのか?

 いや、それ以上にセルマは今何と言った? 『四・五種類の複合魔法』だと?

 二種類の複合魔法ですら魔道具の助けなしで発動させるのは難しいはずだ。いや、彼が優秀な魔術師であることは知っている。知っているがそこまでのことが出来る魔術師などいない。


 まさか、グランフェルト領では我が領地や王都を凌駕するほどの魔術が発達しているのか? カナン王国やベルエルス王国と国境を接しているために知識が流れ込んできていたのか?

 疑問とともに将来への懸念がリューブラント侯爵の胸の内に湧き上がる。


 だとすると今後のカナン王国との交渉やベルエルス王国との交渉が難題となる。

 それどころかベルエルス王国とは最悪の事態として、ことを構えることになるかもしれないとの思いが胸中をぎる。


 リューブラント侯爵をはじめとした彼女たちを除く人たちに疑問と混乱を生じさせたラウラたちの会話はさらに続く。


 セルマはラウラへ受け答えしながらも火の海に飲み込まれた前線の様子を観察している。

 火の海に飲み込まれることのなかった目視可能な敵兵士はわずかだ。そのわずかに残った敵兵士も突然現れた火の海により自軍と分断され、こちらの軍の中に取り残された格好になっている。


 取り残された敵兵士が持ちこたえることはないだろう。

 この場にいる誰もがそう思った。


「ここから見た限りですが敵側にだけ被害が出ていますし。敵側が何らかの失策で魔術を誤って使用したとしても、ここまで都合良く敵側にだけ被害がでるとは考え難いかと――なにより、あれほどの魔術を行使できる魔術師は我が方にはフジワラ様方を除いて心当たりがございません」


 そう話すセルマにリューブラント侯爵をはじめとした諸侯、騎士たちの視線が集まり誰もが耳を傾けていた。


「そうですね、ではあれはやはりフジワラ様ですね」


「味方に被害をださないように威力を抑えていらっしゃるのでしょう」


 何を言っているのだ? 言っている意味が分からん。

 リューブラント侯爵だけではない。残っていた諸侯と騎士団員たちその会話を聞いていた全員が思う。そこにはリューブラント侯爵と同じように困惑と思考が停止したような表情を浮かべた諸侯と騎士団の顔があった。


 リューブラント侯爵が不思議そうな表情で、ミチナガの話を続ける三人に視線を走らせると再び最前線となっているはずの火の海へと視線を向ける。

 彼女たちの会話の通り、燃え広がる火の海とその中で起きる爆発が味方の兵士に被害が及んでいる様子はない。


 理解し難い思いで視線を前線へと戻したリューブラント侯爵に腹心の一人であるネッツァーがすかさず助け舟を出した。


「リューブラント様、あの火炎系の火魔法はまず間違いなくフジワラ様かと――」


 反論をしたそうにしている諸侯を押し留めるような鋭い視線を向けるとネッツァーは力強い口調で続ける。


「――セルマも申していましたがあれほどの魔術を行使できる魔術師は我が方にはおりません」


 それは先程セルマから聞いた。

 全く助け舟になっていないネッツァーの言葉にリューブラント侯爵は心の中でつぶやき、諸侯へと視線を向けるとひとり、またひとりとリューブラント侯爵から視線を外すために戦場へと視線を移す。


 ラウラとお付の二人の女性、ネッツァーの言葉はどれも信じられない話であり、反論をしたいが反論できないのはリューブラント侯爵以外皆同じ。

 この場にあって、ラウラへ反論できるのはリューブラント侯爵とセルマ、ネッツァーくらいのもだ。


 そんな現実逃避をするようにしてその場の大半の人間が視線を向けていた火の海が次第に終息して行く。

 視界が開け先程まで火の海が広がっていた先に見えたものは、もはや攻撃部隊の体をなしていない敵の奇襲部隊の残骸だった。士気も低下しているのか逃亡をはじめる者たちまで確認できた。


 命からがらあの火の海を抜け出したのだろう。遠目にも分かるほどに疲弊をし動きに精彩が無い。

 いや、あの業火と爆発の中あれだけの数が生き残ったことに驚きを隠せない諸侯や騎士たちが見受けられる。あの火の海はそれほど効果的に敵奇襲部隊を飲み込んではいなかった。そう自分に言い聞かせるように小声で会話する者たちもいた。


 ◇

 ◆

 ◇


 突然の陥没とそれによってできたクレータへと降り注ぐ無数の攻撃魔法が、大地を揺らし空気を震えさせる。そして敵味方の別なく戦場にある者たちに恐怖と驚愕をもたらした。


 それはリューブラント侯爵のいる本陣も同様だ。

 その攻撃魔術の規模と威力に誰もが目を見張った。いや、本陣にいる者たちの方が驚きは大きい。目の前で起きている敵奇襲部隊の撃破が、恐らく一人の魔術師によって実現されたことであることを知っている。


 リューブラント侯爵をはじめとしたその場にいた首脳陣や騎士たちは目の前で起きている出来事を夢でも見ているかのような心境で眺めていた。

 そんな彼らをよそに、ラウラ一人がミチナガのもたらした結果に安堵すると共に胸を高鳴らせる。


「セルマ、ローゼ。前線へ赴きます。ミチナガ様をお迎えに行きましょう」


 ラウラは胸の鼓動を押さえるように、革鎧の左胸に刻まれたグランフェルト辺境伯家の紋章に両手のひらを置き、頬を紅潮させてセルマとローゼを見つめる。


 ラウラ姫の言葉が合図になったのか、リューブラント侯爵が傍らに控えるネッツァーと伝令兵に向けて指示をだし、これに諸侯と騎士団が続く。


「騎士団を出せ! それと救護部隊もだっ! こちらの被害と敵の残存兵力の捕獲を急ぎ進めよっ!」


「敵を逃がすなよっ!」


「傭兵や探索者に後れを取るんじゃないぞ、お前らっ!」


「戦場を迂回させる部隊も忘れるなよ。敵の撤退を許すなっ!」


 度肝を抜かれていようが混乱していようが、ひとたび動き出せば早い。そこは戦の経験豊富な国の貴族、騎士団だ。

 本陣の中を怒声にも似た号令や命令が響き渡ると、それは波紋が広がるようにして実際の行動となって軍全体へと広がっていった。


 前線へと赴くよう自分の取り巻きへと指示を出しているラウラヘ向けてリューブラント侯爵が注意を促す。


「ラウラ、前線の詳しい様子が分かるまではここにいなさい。何があるか分からない――」


「フジワラ様の制圧されたエリアです。それにそこがたとえ最前線であったとしても、フジワラ様がかたわらにいらっしゃるのでしたらそこに勝る安全な場所などありません」


 リューブラント侯爵の言葉が途切れるのに合わせてラウラが凛とした声で言い切り、左肩に乗せたスライムに左手で触れ、直ぐ後ろに控えているアンデッド・アーマードタイガーへと振り向く。


「それにカラフルとアンデッド・アーマードタイガーがいます。ご心配には及びませんわ、お祖父様」


「リューブラント侯爵、ご心配には及びません。これまでの経験から十分に安全の範囲であると判断致します」


 セルマはリューブラント侯爵の助けを求めるような視線を受け流すように深々と頭を下げながら伝えた。


 リューブラント侯爵は改めて前線へと視線を向けた。

 誰の目にも明らかだ。大勢は決している。


 先程まで縦に長く伸びた本軍を横から突き破りながら本陣へと向かっていた脅威――敵奇襲部隊の面影はない。それどころか散り散りに逃げ延びる敵兵士の姿すらない。

 リューブラント侯爵はセルマに身振りで了解の意を示すと、自分の騎士団の一隊にラウラへ同行するように指示を出した。


 それがリューブラント侯爵がラウラに嫌われずにできる精一杯のことだった。



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        あとがき

■■■■■■■■■■■■■■■ 青山 有


【コミカライズ情報】

ニコニコ静画「水曜日のシリウス」にて毎月第二・第四水曜日配信中

以下、URLです

どうぞよろしくお願いいたします

https://seiga.nicovideo.jp/comic/54399?track=official_list_s1

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