第173話 オーガ討伐隊(5)

 子どもたちの相手をしながら緩やかな起伏のある草原をしばらく歩き続ける。

 草原に生える下草は密度も高く長さもある。何よりも夏の強い陽射しの中、水分を放出して周囲の不快指数を上げまくっている。


 丘の低い場所を歩いていると湿気がこもり、気温と湿度の両方を敵に回したような錯覚を起こす。

 全員を置き去りにして転移魔法で拠点に戻る誘惑に駆られる。


 そんな誘惑を振り払い草原の高い位置に差し掛かると、穏やかな風を受けて涼を取ることができる。森の入り口付近に設置したバリケードと拠点の一部がときどき視界に入るので歩く気力が湧く。


 そんなことを何度か繰り返すうちに拠点が姿をあらわす。

 そして、昼食の仕度をしているのだろう、湯気や煙が幾つも見える。


 俺にまとわりついている子供たちも歩いている最中にお腹を鳴らしていたので、白アリの作ってくれたクッキーを配るとお礼と賞賛の声が次々と上がる。


「良い匂いがする」


「美味しー」


「これ、なあに?」


「甘ーい」


「こんなの初めて食べた」


「お兄ちゃん、ありがとう」


 子供たちは、お礼と賞賛の言葉を口にしながらクッキーを食べている。

 食べたら食べたで、さらなる驚きと賞賛の声が上がる。


 貴族や裕福層でもない限りお菓子なんて滅多に口にできない。

 まして、クッキーなどこの世界には無いのだから驚くのも無理はない。


「どうした? その食べ物――クッキーっていうんだけど違うお菓子の方が良かったかな?」


 四・五歳くらいのひとりの女の子がクッキーをカリカリと削るように食べていたので甘いものが嫌いなのかと思い声を掛けた。


「ううん、とっても美味しいよ」


 ちょっと驚いたような表情をした後でニッコリと子供らしい笑顔を見せたあとでクッキーを小さな手のひらで包み込むようにしてさらに続けた。


「あのね、とっても美味しいからすぐになくならないように、ちょっとずつ食べてるの」


 そう言うと大切そうにクッキーをポケットにしまう。


 その言葉と仕草に思わず抱きしめたくなったが、周囲の目があるのでさすがにそんなことは出来ない。


「内緒だよ」


 クッキーくらい、何枚でもあげるよ。いつでもおいで。という言葉を飲み込んで、周囲から見えないようにクッキーが十枚ほど入った小さな袋を渡す。


 中身を覗き込んでクッキーが入っていることが分かると、パアッと笑顔が広がる。


「ありがとう、お兄ちゃん」


 何度もお礼を言い、なおも離れようとしない女の子を「お母さんが心配してるから」と母親のもとへ行かせる。


 途中、何度も振り返りお礼の言葉を発し、何度も手を振っていた。


 食べ終わった子供たちは夢心地な表情をしながらも、まだクッキーを手に持っている子供たちを羨ましそうに見ている。

 さらに追加のクッキーを配ると再び歓声が上がった。


 そんな子どもたちの言葉と幸せそうな笑顔を見て、唾を飲み、お腹を鳴らす親たちや若い娘たちが次々と現れる。


 だが、そこは大人だ。我慢をしてもらおう。

 だいたい、そんなにたくさんのクッキーなど持ち合わせていない。


 拠点が視界に入るころには拠点周辺で適当に散らばり昼食を摂っている人たちの姿が散見されだした。

 既に食事を終えたのか、昼寝をしている人の姿も見える。


 俺たち――拠点へと向かって歩く集団からも、ポツリポツリと抜けて食事の用意を始める人たちが出始めた。

 この調子だと、白アリたちの用意した食卓に辿り着く頃には俺と四名の護衛だけになりそうだな。草原に直に座って食事を始める人たちを眺め、そんなことを予想しながら歩を進めた。


 ◇


 遠目にも周囲から一際浮いた食卓の様子がうかがえる。白アリたちの用意した食卓だ。周囲の人たちも興味深げにチラチラと見ている。

 何よりも目を引くのはその量だ。五つも並べられた大テーブルの上には所狭しと料理が並んでいた。しかも、この異世界の感覚からするとどれも手の込んだ料理ばかりである。中には見たこともないような料理もあるだろう。


 事前に「多めに作って周りの人に配る」とは聞いていたが多すぎないか?

 そして、昼食はこれからだというのに山のようにクッキーが積まれていて、その周りを水の精霊ウィンディーネがウロウロと忙しげに動き回っている。


 昼食の開始と同時にクッキーにかじり付きそうな顔だな、あれは。

 だいたい、物欲しそうにクッキーの周囲をうろつくだけならともかく、甘い匂いに誘われて寄ってきた子どもたちを威嚇するのは恥ずかしいのでやめてくれ。何よりも俺たちの評判が落ちる。


「うちの女の子たち、周りに配るために食事を多めに作るって言ってたんだ。もし良かったら食べ物を少し持っていってもらえないかな?」


 寄ってくる子どもたちを威嚇している水の精霊ウィンディーネを奇妙な目で見ていたアルとロミ、そして食卓の上の食事を驚きの目で見ていたジェラルドとウルリヒに向けて言った。


「え? わー、良いんですかっ!」


「すみませんっ。ご馳走様です」


 目を輝かせるアルを横目に、恥ずかしそうな表情を見せながらロミが頭を下げる。


「俺たちろくな食事の用意してないんでお言葉に甘えさせて頂きます」


「ありがとうございます。遠慮なく頂きます」


 ジェラルドとウルリヒは護衛の任務の経験が多いのか、護衛対象である俺からの厚意を素直に受ける。


「ああ、構わないさ」


 自分で作ったのでもない食事で、四人から向けられる感謝の言葉に鷹揚にうなずき、食事の準備をしている女性陣の方へと足を速めた。


「白アリ、俺の護衛をしてくれていた人たちだ。食事を少し分けてもらえないか?」


 俺の後ろにいる四人を指し、大なべをかき回している白アリに向かって、それぞれのパーティーのこの討伐隊に参加している人数を伝えた。


「良いわよ。アレクシス、適当にお皿に食事を取り分けて頂戴」


 空中に高火力の炎を発生させ、その炎の上で中華鍋のような鍋を白アリが軽快に扱いながら、食卓に木の皿を並べていたアレクシスに声を掛ける。


「はいっ、白姉さま」


 何枚かの皿を抱えると料理の並んだテーブルへと駆け寄る。


 既に何人にも食事を分けているのだろう、アレクシスが迷いなく料理を取り分けていく。その様子を見ると、配るための食べ物と自分たちの食事とをあらかじめ分けていたようだ。


 ◇

 ◆

 ◇


 昼食を摂りながら、お互いの午前中の行動について報告をし合った。


「――――配ったのでクッキーが無くなったんだ。済まないが追加でもらえないかな」


 ゴブリンとオークと接触したこと。

 光魔法のスキルを持っているのに発現していない女の子がいることなど、単独行動中の出来事を一通り話す。


「良いわよ。たくさん作ったから余るでしょ」


 冷却系の火魔法で桃のような果物を凍らせて作ったシャーベットをスプーンで突きながら了解をする白アリの言葉に欠食児童がピクリと反応した。


 どうやら独り占めするつもりだったらしい。

 山と積まれたクッキーを見つめる目が涙ぐんでいる。


 欠食児童が涙ぐんでいるのは意識の外に追いやり、ティナとアレクシスに向き直る。


「光魔法って、普通はどうやって覚えるものなのかな」


「私の里では魔法の才能がある者を光魔法の使える魔術師のもとで修行させます。光魔法の才能があればそこでいつの間にか習得します」


「私たち人族も同じですね。何らかの魔法の才能がある者が光魔法の魔術師に師事して見よう見まねで会得するものです」


 俺の突然の質問に一瞬だが戸惑いを見せたが、すぐに気を取り直してアレクシスに続いてティナと二人が教えてくれた。


「随分と効率が悪いですね」


「効率とかじゃネェな。当てずっぽう過ぎるだろ」


「そりぁ、光魔法の使い手が少ない訳よね」


 アレクシスとティナの説明に聖女、ボギーさん、白アリがあきれ顏になる。

 いや、言葉を発していない俺やテリーも三人に同意見だ。


 だが、これではっきりした。光魔法の明確な発現方法はない。

 光魔法の使える魔術師の側にいて、見よう見まねで覚えるしかないということか。


 おそらくは他の魔法も似たり寄ったりなんだろうな。

 魔法スキルの発現方法とか切っ掛けなんかを調べても良いかもな。


 ドンッ! ドンッ! ドンッ!


 空気を震わせる爆裂球が連続して上空に響き渡る。

 オーガ発見の合図だ。


 爆裂球に続いて、一拍置きながら火球が上空に打ち上げられた。

 俺たちは上空に打ち上げられる火球を注視する。


「七つだな」


 ボギーさんが打ち上げられた火球数を口にし、食事を切り上げるように席を立つ。


 火球は発見したオーガの数を示す。七体は今回の想定している数の上限だ。

 想定の範囲内とはいえ、前線は相当に厳しいことになるな。遭遇の状況によっては総崩れもあり得る数だ。


 俺たちは互いに目配せをした。全員が静かに首肯する。

 どうやら思いは同じようだ。


 この状態を自分たちが想定した最悪の一歩手前の事態と判断する。ギルドや騎士団の判断や意見は無視する。

 予定通りに俺と聖女、ボギーさんの三人で急ぎ本隊への合流するために行動を開始した。

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