へびつかい座と、こいぬ座

「まさか阿久津先輩の方からご夕食に招待していただけるだなんて驚きです。これはあれですね。炎上してしまった後輩を励ますための先輩の粋な計らいというやつでしょう」


「ははっ、まあ、そんな感じっすかね」


「そしてこの香りはカレーですね。誰もが大好きご家庭の味です。期待に小さな胸の高鳴りが止まらなくなってます。どきどき」


 同時刻、零の部屋ではキッチンに立つ彼と、テーブルに座って料理の完成を待つ紫音の姿があった。

 ふわりと漂うカレーの香りに鼻をひくつかせながら、普段通りに振る舞う紫音は平坦な口調で話し続ける。


「こう言ってしまうと怒られてしまうでしょうが、こんなふうに慰めていただけるのならば炎上も悪くありませんね。わざとするつもりはないですけど」


「はははっ、まあ、初めての炎上ですしね。今回はそこまで轟さんたちに非があるわけではないですし、怒るようなことはしませんよ。ただ、これからは炎上しない方向でお願いします」


「はい、もちろんです。燃えてご迷惑をかけるのは良くない、学びましたから」


 そう言いながらテーブルを見回した紫音は、自分と枢の他にもう一つ分のランチョンマットが敷いてあることに気付く。

 まあ、流石に優人と澪の交際疑惑が出ている中で大絶賛炎上中の後輩兼女子である自分と二人きりで食事というのはリスクがあり過ぎるため、もう一人同席させるつもりなのだろうと考えた紫音は、特にそれを気にすることなく再び視線を零へと向けた。


 有栖か薫子か、あるいは自分と同じく燃えてしまって凹んでいる伊織を呼ぶつもりなのかなと思いながら、次に話すことを考える紫音。

 しかし、彼女が口を開く前に零がこんな質問を投げかけてくる。


「それで……どうして臼井さんを庇ったんですか?」


「………」


 びくっ、と体が震えた。

 予想外の質問に驚き、僅かに表情を歪ませた紫音であったが、即座にそれを掻き消すと何を言っているのかわからないといった雰囲気で零に答える。


「どういう意味でしょうか? 申し訳ないのですが、私には先輩が何を言っているのかがわかりません」


「……普段が普段な分、わかりやすいっすね。声としゃべり方に焦りが浮き出てますよ」


「………」


 零の様子から察するに、彼は自分と伊織が隠している秘密を知っているのだろう。

 それでも正しい回答がわからずに紫音が押し黙る中、零は優しい口調で彼女へとこう言葉をかける。


「大丈夫ですよ。別に怒ったり、お説教したりするつもりはないですから。ただちょっと、話がしたいなって思ってるだけです」


 多分、その言葉に嘘はない。零はこう見えてかなり優しいし、人を騙したりするのは苦手な人間だ。

 その彼がそう言っているのだから、本当に彼には自分たちを叱るつもりはないのだろうと……そう判断した紫音がまず最初に発したのは、純粋な疑問だった。


「……どうしてわかったんですか? 私が、伊織ちゃんを庇ってるって……」


「……なんですよ、これで。前に一度、似たようなことがあったんです」


 苦笑しつつカレーをかき混ぜ、そう答える零。

 よくわからないといった表情を浮かべる紫音へと、彼はこう続ける。


「ちょうど一年くらい前の話なんですけどね。自分がコラボを提案したせいで、事務所や同期を巻き込んだとんでもない炎上を招いてしまった……って、とある人から謝罪されたことがあったんです。臼井さんから話を聞いた時、どうしてだかその時のことを思い出しちゃいましてね。もしかしたらそうなのかなって」


「確証があったわけじゃないんですね。自白して損しました」


「ははっ、正直でいいことで。でも、半ば確信してましたよ。わかるんです、そういうのは」


 あれからもう一年が過ぎようとしていることに複雑な感情を抱きながらも、自分は一生あの日のことを忘れないのだろうなと思う零。

 文字通り、人生の転機となる出来事を振り返った彼は、キッチンからリビングにやって来ると紫音の真正面に座り、改めて問いかける。


「それを踏まえた上で、もう一度聞かせてもらいますね。轟さんは、どうして臼井さんを庇ったんですか?」


「……別に大した意味はありません。そっちの方が自然かなって……そう、思ってやりました」


 予想していた通りの答えを聞いた零が緩く息を吐く。

 思っていた通り過ぎてなんと言うべきか逆に迷ってしまった彼は、敢えて捻らずに思ったことを言うことにした。


「なんとなくそんな気がしてたんですけどね、やっぱりそうか」


「……やっぱり、とは? 迂闊で考え無しに行動する人間という意味でしょうか?」


「いやいや、そうじゃないですよ。むしろその逆っていうか、う~ん……」


 ちょっと今の紫音はネガティブだぞと、言葉を選ぶ必要がありそうだなと考える零。

 上手く話せるか自信はないが、思ったことをしっかりと伝えるべきだと思いながら、彼は紫音へとこう告げる。


「今、思い返してみたらの話なんですけど……轟さんはむしろ周囲の人、特に臼井さんに気を遣ってるんだなって、そう思ったんです」


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