バスから降りて、その後

「……りすさん、有栖さん!」


「うん、んん……?」


 ぽんぽんと肩を叩かれ、体を軽く揺さぶられ、そうやって名前を呼ばれた有栖が小さくかわいらしい呻きをもらしながら目を開く。

 薄っすらと見える視界の中で、自分を見つめる零の姿を目にした彼女が彼とデートに出掛けていたことを思い出すと同時に、笑みを浮かべた零が頷きながら言う。


「おはよう。そろそろ駅に着くから、降りる準備をしようか」


「ん……わかった……」


 まだ少し眠い。というか、眠気が大分残っている。

 バスが目的地に到着するまでにこの眠気をどうにかしないと零に迷惑をかけてしまうぞと、ぼんやりとした頭で考えた有栖はそこで自分の体が彼の体にもたれ掛かっていることに気が付き、若干の驚きを感じながら口を開く。


「わ、私、いつからこうしてた?」


「ん~? こうしてたって、何?」


「その、零くんに寄りかかっちゃってたのって、いつから?」


「俺もわかんないよ。気が付いたらこうなってた」


 あはは、と笑いながら答える零を見つめながら、有栖はかなり早い段階で自分が彼にもたれ掛かっていたことを確信する。

 零がこうやって話をごまかす時は、大体が相手に負担をかけたり罪悪感を抱かせないようにしている時なのだと、そのことを理解している有栖は多少の申し訳なさを感じると共に、羞恥に顔を赤らめた。


(大丈夫だったかな? 零くん、大変じゃあなかったかな……?)


 優しい彼のことだ、もたれ掛かってきた自分を起こさないように体を動かさないことを徹底していたに違いない。

 自分のように寝落ちすることも、体を揺らすこともできない状況というのは結構しんどいもので、それを長い時間零に強制してしまったことに罪悪感を感じる有栖であったが、当の本人はまるで気にしていないようだ。


「少しは疲れが取れた? まだ眠い?」


「ああ、えっと、まだ寝ぼけてるから、ちょっとよくわからない、かな……?」


「そっか。有栖さん、結構すやすやだったよ。ぐっすり眠れてるみたいでよかった」


 自分でも自覚しているが、零の言う通り、有栖は熟睡していたようだ。

 万が一にもいびきでもかいていて、それを彼に聞かれていたりなんてしたら生きていけないぞと、乙女の尊厳に関わる事態に羞恥と危機感を抱く有栖であったが、流石にそれを零に問い質す勇気はない。


 彼が普通に接してくれていることから、自分が寝ている間に恥ずかしい真似をしていたり、寝言を呟いていないということを察して……というより、そういうことにしておきたい有栖が口ごもる中、ゆっくりとスピードを落としたバスが目的地である駅へと到着し、扉を開いた。


「着いたよ。荷物持って降りようか」


「うん……」


 降りていく乗客を見つめながら、自分たちが席を立つタイミングを見計らいながら、声をかけてきた零へと答える有栖。

 続々とバスから乗客たちが降りていく中、先んじて立ち上がって席の上部に置いてあった荷物を手に取った彼は、振り返ると共に口を開く。


「さあ、行こう」


 両手に荷物を手にして、歩き出す零。

 有栖もその背中を追って席を立ち、バスのステップを降り、外に出る。


 そんなに時間が経っているわけではないのに、どうしてだか外気に触れるのが久しぶりに思えた。

 未だに残る眠気をぐぐ~っと体を伸ばすことであくびと共に吐き出した有栖は、しぱしぱとまばたきをしてから零へと視線を向ける。


「お手洗いとか大丈夫? ここからまた少し電車に乗るし、今のうちに行っておいた方がいいよ」


「あ、だ、大丈夫……!」


「そっか。なら、そろそろ行こうか」


 どこまでも気を遣ってくれる零に感謝しつつも、彼の両手が荷物で塞がっていることに有栖は若干の不満を抱いてしまう。

 バスに乗る前には繋いでくれていた手を、今度はこちらに伸ばしてもくれない彼の態度に思うところがある彼女であったが、引っ込み思案な性格が災いして何も言えずにいた。


 こういう零の態度を見ていると、テーマパークでのあれこれは夢だったのではないかと思えてしまう。

 たった今、バスの中で眠っていた自分が見た、都合のいい夢を現実だと思い込んでいるのではないかと思う有栖が口ごもる中、電車の時刻表を見ていた零が彼女へと声をかけた。


「電車、もう少ししたら来るってさ。余裕を持って動こうか」


「……うん」


 不満はある。だけど、それを直接零に言うことはできない。

 心の中に言葉にし難いもやもやとした感覚を抱えた有栖は、隣を歩く零の姿を横目でちらちらと見つめながら、ホームに向かって歩いていった。

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