夕方、無気力な零くん

「あ~……もうこんな時間かあ……」


 その日の夕方、自室のリビングの床に寝転んでいた零は、時計の針を見てどこか他人事のような呟きをもらしていた。

 気怠いというか、覇気が感じられない彼は、そのまま天井を見つめながら独り言を続ける。


「飯、どうすっかなあ……?」


 そういえば朝食も牛乳一杯で済ませてしまったし、昼は何も食べていないような気がする。

 お腹が空いているような、そうでもないような微妙な感じだ。


 健康的な生活を心掛けている彼は、いつもだったらとりあえず何かを作ろうと動き出すのだろうが……現在の気落ちしている状態では、そんな気分にもなれないようだった。


「作るの怠いなあ……何か買うか? 出前でも頼むか? なんかもう、何も食べなくてもいい気がしてきたなあ……」


 何に対してもやる気が湧かない。三大欲求の一つである食事でさえも取らなくていいと思ってしまう。

 自暴自棄というか、抜け殻状態というか、燃え尽きてしまっている零は完全に気力を失っている。


「……狩栖さん、今頃何をしてんのかなぁ……?」


 ここ最近、考えてしまうのはそればかり。いなくなってしまった優人が何をしているか、だ。

 連絡を取ろうと思えば取れるのだが、今の彼は元【トランプキングダム】のメンバーの救済のために忙しい日々を送っているだろうし、それを邪魔するような真似をしたくはない。


 あの澪ですら自分から彼に連絡を取ろうとしていないというのに、自分がそういった気遣いを忘れて我がままなことをするわけにもいかないだろうと己を律している零だが、心に負った傷は相当に深いようで、先ほどからため息を連発している。


「どうすりゃよかったんだろうなあ……?」


 全部が上手くいったとはずだ。声劇の内容も、その準備も、ファンたちからの反響も、零の目から見れば十分に上々といえるものであった。

 しかし、それでも優人の引退を止めることができなかったと、そのことに少なからずダメージを受けている零は、そうやって自問自答を繰り返している。


 わかっている、これが高望みだということは。零がどんなに頑張ったところで、一つの企業の行く末を変えることなんてできはしないのだ。

 それでも……もっと自分にできたことはないのかと、後悔しながら考えてしまうことを止められずにいた。


「……飯どうするかな? 別に今日は何も食わなくてもいいか……」


 そうして、思考をループさせた零が、空腹なのにそれを感じていないというそこそこにマズい状態に陥りながら呟く。

 心の病は体に大きな影響を与えることを証明するかのような反応を見せる彼がぼんやりと天井を見上げていると、不意に来客を告げるチャイムが鳴り響いた。


「お客さん? 誰だ……?」


 のそのそと起き上がり、玄関へと向かう零。

 特に何も考えずに扉を開けた彼は、そこに立っていた有栖と対面して目を丸くする。


 大きめのビニール袋を手に、笑みを浮かべて自分のことを見つめてる彼女は、明るい声で話しかけてきた。


「急にごめんね、零くん。今日の晩御飯、もう作っちゃった?」


「え……? いや、まだだけど……」


「よかった! 実はさっきまで喜屋武さんから料理を教えてもらっててね、材料が余っちゃったの。良ければ今日の夜ご飯、私に作らせてもらってもいい?」


「べ、別にいいけど……」


 なんともまあタイミングがいいというか、狙いすましたような状況でやって来たなと思いつつ、有栖の頼みを断れない零は彼女を家に上げることにした。

 キッチンへと移動した彼女は、持参した袋の中から食材が詰まったタッパーとエプロンを取り出すと、テキパキと準備を進めていく。


「ちょっと冷蔵庫借りるね。先にお米を炊いちゃうから」


「あ……なら、冷凍庫の中に余った白飯があるから、それを使うよ。レンジで温めればすぐだからさ」


「本当? じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうね。そっちは零くんに任せて、私は主菜の用意をするよ。フライパン、お借りします」


 エプロンを装着した有栖が、調理器具をコンロへと並べていく。

 そうした後で彼女がタッパーから取り出した食材を覗き込んだ零は、有栖へと質問を投げかけた。


「それ、鶏肉? 周りに付いてるのは……塩麹かな?」


「うん、そうだよ! 鶏肉の塩麹漬け! 漬けて焼くだけの簡単なレシピだからって、喜屋武さんに教えてもらったんだ! 付け合わせの野菜も用意できるし、栄養バランスもバッチリだね!」


 そう、笑顔で零へと告げた有栖が、フライパンに油を敷いてからコンロに火をつける。

 僅かに緊張を覚えながら、それでも彼にそれを悟られないようにしながら……満面の笑みを浮かべた有栖は、朗らかな口調で零へと言った。


「美味しいご飯作るから、楽しみにしててね! 零くん!」

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