尻軽の、サソリナ

 澪がその名を口にした瞬間、室内の空気が若干のピリつきをみせた。

 彼女の言葉になんと反応すればいいのかわからない零は、視線を泳がせながら、澪こと左右田紗理奈の情報を頭の中で振り返っていく。


 左右田紗理奈……【CRE8】一期生タレントの一人にして、八人の中で最もクリエイティブな活動を行っているVtuber。

 【CRE8】所属タレントの一部が季節ごとに出すボイス脚本の制作からサムネイル作り、更には声劇の台本と演出を担当するなど、やや裏方寄りの活動をしている彼女ではあるが、演者としての人気も非常に高い。


 赤色の髪をさそりの尾を思わせる編み込んだポニーテールに纏め、ゴスロリ風のワンピースを基本衣装としている彼女だが……その胸には、谷間を見せつけるためのハート型の穴が空いている。

 所謂ロリ巨乳体型である彼女は、自身の強みを最大限に発揮したあざとい格好をすることで世の男性ファンの心を掴んでおり、この穴は他の衣装にも共通している彼女のアイコンとも呼べる存在になっていた。


 実際、その紗理奈のモデルとなった澪に関してもそれはそれは見事なお胸をしているわけで、そういう部分も含めて零は彼女のことをミニ沙織と評したわけである。

 ただまあ、その程度で彼女が尻軽ビッチ呼ばわりされているわけではない。問題は、彼女の同業者への絡み方にあった。


 男性であろうと、女性であろうと、彼女は平然とコラボを行い、絡み、相手と仲良くする。

 だがしかし、暫くするとその相手とはまた別の相手を探して、その人物とコラボを行って、同じように仲良くして……それを何度も何度も繰り返すわけだ。


 熱狂的な男性ファンユニコーンが怒り狂うような男性Vtuberとの一対一でのコラボも普通に行うし、今までコラボした相手の数は間違いなく【CRE8】でも一番多いといわれている彼女だが、あまり同じ相手と長く付き合わないというふうにも言われていた。


 男好きする体型とそれを活かしたあざとい服装、自由奔放な性格に加え、数多くの男たちとの関係性を作り上げるコラボへの姿勢。

 それら全てが組み合わさった結果……アンチをはじめとする一部のファンたちは彼女のことを尻軽ビッチのサソリナと呼び、忌み嫌うようになっている、というわけだ。


「尻軽だなんてひどいと思わない? あたし、こんなにおっきくて重そうなお尻してるのにさ~!」


「後輩にセクハラすんじゃないよ。あんた、そんなんだから叩かれるんだって……」


「ひひっ! 怒られちゃった~! てへぺろ」


 ぺんぺん、と自分のお尻を叩いて軽いセクハラ兼ジョークを口にした澪を叱責する薫子。

 事務所の代表からのお叱りに舌を出してお茶目に笑う彼女は、そこまでそれを気にしている様子はなさそうだ。


 骸骨のTシャツの上から丈の長いスタッズパーカーを羽織り、赤と黒のチェック模様のミニスカートを合わせた澪のパンク風のファッションから、そういう反骨精神的なものを大事にしている人なのかな~、と思いつつも若干の焦げ臭さを感じる零が早くも引くべきラインの見極めを開始する中、少し迷い気味の薫子が口を開く。


「はぁ~……あんたは料理もできるし、店内放送とかの脚本作りにも慣れてるから、このメンバーに入れたわけだけどさ……なんだか不安になってきたよ、私は」


「大丈夫、大丈夫! 流石のあたしも今回は弁えますって! それに、別に本当に男漁りをしてるわけじゃないっていうのは薫子さんもわかってるでしょ?」


 薫子の心配をよそに、どかっと音を立ててソファーに座った澪が明るい笑みを浮かべながら言う。

 渋い顔をしながら、そんな彼女のことを見つめていた薫子は、不意にはぁと大きなため息を吐いた後に零たちへと視線を向け、口を開いた。


「まあ、こんな調子の奴ではあるが、悪い奴でも考えなしの人間でもない。少なくとも梨子よりは扱いやすい先輩だと思うから、仲良くしてやってくれ」


「よろしくね~! そんな気を遣わないでいいから、楽しくやろうよ! あっ、それよりもさあ――」


 ひらひらと手を振って、実に軽い雰囲気で改めて挨拶をした澪が座ったままの体勢で前のめりになる。

 零の顔を真っ直ぐに見つめ、好奇の感情を瞳に浮かべた彼女は、少しだけ熱の籠った声で彼へとこんなことを言ってきた。


「阿久津零くん……蛇道枢くんの魂を担当してる子だよね? よければ今度、あたしとご飯食べに行かない? あたし、あなたに興味があってさ……」


「澪っ! あんた、人がせっかくフォローしたってのに、そのすぐ後にそんなことを――!!」


「わわわっ!? 薫子さん、タンマ! 違うんだって~! そういうんじゃなくって、零くんに紹介したい人がいるの! 知り合って間もない後輩の男の子と二人で食事だなんて、そんなことしないってば~!」


 薫子からの本気の叱責に流石に慌てた澪が、そう言い訳のようなことを言う。

 そのすぐ後で再び零へと向き直った彼女は、手を合わせながらこう続けた。


「薫子さんと同期の沙織ちゃんの前で話をしてるんだからさ、嘘をついてるわけじゃないってわかってくれるでしょ? ホント、零くんにとっても悪くない話だと思うからさ、今度少し付き合ってよ、ねっ!?」


――――――――――


「……って、言われて暫く経つけど、今のところはお誘いはきてねえな。まあ、そっちのが助かるんだけどさ」


 と、澪との出会いを振り返った零が、改めて通話アプリのメッセージ履歴を確認してから独り言を呟く。


 あんなことを言っていた彼女だが、顔合わせから暫く過ぎた今も連絡はない。

 すっかり忘れてしまっているのか、あるいは会わせたい相手の都合がつかないのかはわからないが、現在の自分の状況を考えるとそっちの方が助かるなと思いながら、零はPCの電源を落とし、就寝の準備に入った。


「複数のVtuber事務所が参加する大型コラボ案件に、尻軽で有名な先輩ねえ……なんかもう、嫌な予感しかしねえんだよなあ……」


 既に燃えている自分が言うのもなんだが、やっぱりマズい気しかしない。

 自分を燃やすツートップの片割れ沙織と一緒に長期間仕事をするだけでも危ないというのに、そこに更なる燃料が投下されるとあっては、自分の死は逃れられない決定事項のような気がしてきた。


「お願いします、サンタさん……いい子にするから、今年のクリスマスはどうか俺に平和な毎日をプレゼントしてください……!!」


 ある種悲痛な祈りを天に捧げつつ、どうせそれは叶わないんだろうなと心の何処かで理解している零は、とりあえず前向きにいこうと炎上の真っ只中にいることを(強引に)忘れ、明日の仕事に備えて休むことにした。

 こうして、蛇道枢(阿久津零)は初の大規模な外部コラボ兼大型案件に参加に臨むことになり、彼はここから慌ただしい毎日を送ることになる。


 ……そう、本当に慌ただしく、大変で、様々な出会いと別れが交錯する数週間の日々が、幕を開けたのであった。

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