有栖による、最終捜査

「……大丈夫、大丈夫。落ち着いて、落ち着いて……!」


 深く息を吸って、吐く。もう何度もそれを繰り返しているが、早鐘を打っている心臓の鼓動が落ち着いてくれる様子はまるでない。


 零の部屋の前に立って、呼び鈴を鳴らす前に気持ちを落ち着かせようとしている有栖は、既に十分はこの場所で同じ行動を続けている。

 これから彼を疑って、問い詰めて、悪事を暴くような真似をすると思うと、どうしても罪悪感や緊張が込み上げてしまうと、そしてもしも零が本当に酒を飲んでいたら……と繰り広げてしまった悪い想像を追い払うように頭をぶんぶんと振った有栖は、意を決すると呼び鈴を鳴らしてみせた。


「は~い。あれ、有栖さん? どうかしたの?」


「あ、うん、ちょっと……」


 インターホン越しに聞こえてきた零の声にびくりと体を震わせつつ、曖昧な返事をする有栖。

 夕時に突如として家を訪れた彼女のことを少なからず不審に思っている零だが、あまり深くは考えなかったのか、ドアを開けるといつものように有栖を部屋の中へと迎え入れた。


「どうかした? もしかしてだけど、今日の晩御飯がない、とか?」


「う、ううん。そんなんじゃないよ。ただ、その……話を聞いて、さ……」


「話? 話って、なんの?」


 こうして対面してしまうとはっきりと物が言えなくなってしまう自分自身の弱さに歯噛みしながら、有栖は懸命に言葉を選んで零へと疑惑の追及を行おうとする。

 妙な態度を見せる彼女の様子に多少のおかしさを感じていた零は小首を傾げていたのだが、暫し悩んだ後で何かに納得したように頷くと、明るい口調で有栖へとこう言ってきた。


「ああ、そういうことね。まったく、だったらまず俺に言ってくれればいいのに……ごめんね、有栖さん。これから準備するところだからさ、ここじゃなんだし、リビングで待っててよ」


「えっ? あの、ちょっと……!?」


 なんだか一人で納得してしまった零の反応に翻弄されつつも、彼に促されるままリビングへと向かう有栖。

 彼の口振りからして、どうやら零は梨子が自分に飲酒疑惑を抱いていることを知っていたように思えるのだが、それにしては反応が軽過ぎはしないだろうか……と、また新たな疑念を抱く中、有栖をリビングにある椅子に座らせた零は、ウキウキ気分で小躍りしながらキッチンへと向かい、そして――


「よ~しよし、よく冷えてるな……!!」


「あっ……!?」


 ――冷蔵庫の野菜室から、銀色に輝くビール缶を取り出すと、嬉しそうに笑みを浮かべてみせた。


 梨子の言った通り、本当にあそこにビールがしまってあったのだと、その動かぬ証拠を見てしまって愕然とした有栖は、震える声で零へと問いかける。


「れ、零くん、そ、それって……!?」


「ん? ああ、ビールだよ。ある意味では本日の主役だね」


「そ、それ、アルコール入ってるの? ノンアルコールのやつとかじゃあ……!?」


「いや、しっかりアルコールが入ってるやつだよ。そうじゃないと意味ないもん。今から使うんだけど、しっかり冷えてるみたいで安心したよ。まあ、ずっと前からしまってあったから当然っちゃ当然なんだけどさ」


 そう言いながら、キッチン台の上にビール缶を置いた零が足で冷蔵庫を閉める。

 その間、彼から自白とも取れる証言を聞いてしまった有栖は呆然とした後……とんでもない無力感に苛まれていた。


 梨子が心配していたように、零は未成年でありながら飲酒に手を染めていたのだ。

 Vtuber活動の中で受けたストレスや、炎上による苛立ちを紛らわせるために、彼は酒に手を出してしまっていたのだと……そう理解した有栖は、拳をぎゅっと握り締めると、肩を震わせて嗚咽し始めた。


「うっ、ぐすっ、ひっくっ、ひっく……っ!」


「ん? あれ……? あ、有栖さん? どどど、どうして泣いてるの!? な、何か悲しいことでもあった!? ね、ねえっ!? なんでっ!?」


 明らかに涙している様子の有栖の姿を見た零が素っ頓狂な声を上げて台所から彼女の下へと一目散に駆け寄ってくる。

 涙を流したまま、目を赤くしたまま、顔を上げて困惑する彼の瞳を見つめ返した有栖は、ぼふっと音を響かせながら彼の胸へと顔を埋め、大声で叫んだ。


「だめだよぉ、そんなことしちゃ……! まだ二十歳前なのに、そんなことしたら、だめだってばあ……!!」


「えっ? えっ!? な、何? どういうこと!?」


「もっ、もしもこんなことがバレたら、炎上じゃあ済まないよ……!! それで芸能界を引退しちゃう人もいるんだし、零くんもVtuberを辞めなきゃいけなくなっちゃうってばぁ……! だからもう、こんなこと止めてよ。お願いだから。私にできることだったら何でもするから、だから、だからっ……!!」


「お、お~、よしよし。有栖さん、落ち着いて……! ホント、なんで泣いてるのかわかんないし、どうしてこうなってるのかも全くわかんないから、とりあえず事情を説明してよ、ねっ?」


「ううぅぅぅ……! ぐすっ、ひっく……! あう、うぅぅぅ……っ!!」


 泣きじゃくって会話ができない有栖と、彼女から一方的に言葉をぶつけられて困惑することしかできない零。

 完全に意思の疎通ができていない状況の中、なんとなくではあるが感情を涙として溢れさせる有栖が自分のことを想ってこんなふうになっていることを理解した零は、半ば彼女を抱き締めるようにしながら優しく頭を撫で、有栖を落ち着かせようとしていたのだが……?


「お~い、零! あんた、家の鍵開けっ放しだったぞ~! いくら社員寮とはいえ、不用心にもほどがあるだろ? いつぞやの有栖じゃないんだから、その辺のことはもう少しきちっと……えっ!?」


 そんな、能天気に零の不始末を叱る誰かの声を耳にした有栖は、零の胸に半分顔を埋めた状態でその声がした方へと首を動かした。

 そうすれば、そこは自分たちが所属する事務所の代表であり零の叔母でもある、薫子が立っているではないか。


「あ~、えっと、その……? しゅ、修羅場か? 零! あんた有栖に何をしたんだい!?」


「俺もわかんないんだって! 急に家に来たかと思えば、これまた急に泣き始めちゃって……っていうか、薫子さんが呼んだんじゃあなかったんすか!?」


「んぇ? あう、ん……?」


 完全にパニック状態になっている甥&叔母コンビが、わーぎゃーと騒ぎながらお互いに叫び合う。

 そんな二人の様子をぽかんとしながら見つめていた有栖であったが……そんな彼女へと視線を向けた薫子はいったん咳払いをすると、できるかぎり平静を取り繕った雰囲気で、優しく声をかけてきた。


「あ、有栖……安心しな。私は口が堅いし、今日ここで見たことは誰にも言わないよ。それとその、社内恋愛を禁止してるわけじゃあないから、落ち着いたら報告してもらえると嬉しいかなって……その、あんたがうちの親族になるかもって話だし……」


「違う! 違うから! 薫子さん、根本的にとんでもない勘違いをしてるから! お願いだからこれ以上事態をややこしくしないでください! マジで!!」


 誤解に誤解を深めていく叔母へとツッコミを入れつつ、この混沌極まる状況に頭を抱える零。

 そんな彼に抱き締められながら視線を下にずらした有栖は、薫子が手にしているビニール袋の中身を見て、驚きに息を飲む。


「あ、あの……薫子さん、それって……?」


「え? ああ、今日飲むようのビールだけど……あ、零。こいつ冷蔵庫に入れさせてもらってもいい?」


「あ、はい。野菜室に前持ってきてもらった半ダースのがあるんで、並べていれておいてください……って、違う! 今はそういう流れじゃねえって!!」


 一瞬だけ普段通りに戻った部屋の空気を自ら否定し、再び有栖がどうして涙しているのか、その理由を探ろうと悩み始める零。

 が、しかし……ここまでの話を聞いた有栖は、ようやく自分が何か思い違いをしていることに気が付くと共に、すぐ近くに見える彼の顔を見つめながら呆然とした声で言った。


「あの、ビール……零くんじゃなくって、薫子さんの物、なの……?」


「え……? ああ、うん。そうだけど……? え? えっ? なに? どういうこと?」


「そっか、そうだったんだ……よ、よかっ、あうぅぅぅ、ひっく、ひっくっ……!!」


「わわわわわっ!? なんでまた泣き出してるのっ!? そろそろマジで理由を説明してくれないと、頭がパニック状態なんだけどっ!?」


 全ての疑念が晴れ、零が無実であることを理解すると共に安堵して泣き出した有栖は、困惑している彼にぎゅうっと抱き着きながらわんわんと泣き続けている。

 そんな二人の姿を半ば傍観者として眺め続けている薫子は、そろそろ本気で自分は帰った方がいいんじゃないのかと、本気で帰宅を検討し始めるのであった。

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