誤解です、誤解

「部屋の温度、これくらいでいい? 寒かったりしない?」


「大丈夫だよ、ありがとう」


「よかった……熱さまシート貼るから、おでこ出してくれる?」


「いいよ、そこまでしなくても。それくらい自分でできるさ」


「だ~め! 零くんは病人なんだから、今は私の言うことを聞いて安静にするの! いいから前髪上げて、おでこ出して!」


 いつもより強引な有栖の態度に苦笑しつつ、彼女の言うことに従って右手で前髪を持ち上げる零。

 ペリペリと薄い透明のフィルムを剥がした有栖は、露わになった零の額に冷却用のシートを貼り付ける。


 優しく、そっと中央部分を押し、そこから端までを両手で伸ばすように手を動かす彼女は、たかだかシート一枚貼るだけとは思えないくらい慎重に作業を行っていた。


「できた! 変な感じ、してない?」


「大丈夫、問題ないよ。ありがとう、有栖さん」


 丁寧かつ慎重に、細心の注意を払って自分の看病をしてくれる有栖へと感謝しつつ、零が彼女へと微笑みかける。

 少しだけ恥ずかしそうにもじもじとした態度を見せた有栖は、持ってきたビニール袋の中から栄養ドリンクを数本取り出すとそれを小さな机の上に並べながら言う。


「これ、栄養ドリンク! 飲めば元気になるはずだから、飲み過ぎに注意しながら飲んで! あと、お薬も持ってきたよ! ……って、しまった。薬を飲むんだったら、まず先にご飯食べなきゃだよね……私、そういうの用意してないや……」


「ははは、気にしないでよ。その辺は自分で適当に用意するからさ」


「だから、だめだってば! 病み上がりどころか病んでる真っ最中なのに、自分の食事を自分で用意するのはおかしいでしょ!?」


「いや、別に高熱で立てないくらい苦しんでるわけじゃあないし、そのくらいは自分ででき――」


 そう、途中まで言いかけた零であったが、目の前の有栖が頬をぷくっと膨らませて拗ねモードに入っている様を見て取った瞬間、口を閉ざして話を中断した。

 また自分の悪い癖が出てしまったなと思いつつも、彼女に料理を任せるのはかなり不安だな……という彼の考えを見抜いたのか、有栖はぎりぎり実現できる範囲内での手段を口にしてみせる。


「大丈夫だもん。零くんを寝かしつけたら、その間にコンビニに行ってレトルトのおかゆを買ってくるから。温めるだけのやつなら、流石の私でも失敗しないでしょ?」


「う~ん……まあ、それならギリかなぁ……? ってか何? 俺を寝かしつけるって?」


「起きてる間に出掛けたら、零くんが寂しい思いしちゃうでしょ? だから、ぐっすり眠ってるタイミングで買い物に行って、起きたらご飯を食べてもらえるようにしようかなって」


「さ、流石にそこまでしてもらうのは恥ずかしいっていうか、寝かしつける必要なんてどこにも……へっくしっ!!」


 思ったよりも献身的というより、かなり甲斐甲斐しく世話を焼いてくれようとしている有栖に対して、ありがたいのだが恥ずかしさも感じてしまった零が慌てた様子で口を開くも……そこから大きなくしゃみが飛び出した瞬間、彼女の眼の色が変わった。

 零が鼻をすすっている間にタオルを取り出した有栖は、ずいっと彼に迫りながらこんなことを言い出す。


「零くん、汗かいてるんじゃない? 着替えさせてあげるから、服を脱いで。ついでに汗も拭くからさ」


「え、ええっ!? いやいやいや、それは本当にマズいってば!!」


「また遠慮して! 病人なんだから、意地張って無理しないの!」


「いやっ! これは意地を張ってるとかじゃなくって、普通にマズ、おあ~っ!?」


 汗を拭くだの、着替えさせるだの、流石に行き過ぎなんじゃないかというレベルまで世話を焼こうとする有栖を窘めようとした零であったが、体調不良の状態では強引に迫る彼女のことを拒むことができず、無理矢理にシャツを脱がされてしまう。

 上半身裸になった彼の体を拭くべくタオルを手にする有栖であったが、そこで零からの猛反発に遭ってしまった。


「有栖さん、これはマズいから! そこは自分でやるから! ねっ!?」


「だから、暴れると熱が酷くなるよ!? 大人しくしてればすぐに終わるんだから、じっとしててって!」


「してらんないって! タオル! タオル貸して! 俺が自分でやるから!!」


「ふにゅぅぅ……!! また私の言うこと無視してぇ……! こうなったら強硬手段だ! えいっ!!」


「わわっ!? わ~っ!!」


 零が被っている布団を剥ぎ、彼を強引に押し倒す有栖。

 そのままベッドの上に体を乗せた彼女は、零の体に触れながら息を切らして言う。


「じっとしてればすぐに終わるから、暴れないでね……! 大丈夫、大丈夫だから……!!」


「いや、あの、有栖さん? この状況、誰かに見られたら大分マズいような……!!」


 立場が逆であれば、間違いなく通報ものであるシチュエーション。

 ベッドの上で有栖に半ば覆い被さられているこの状況を誰かに見られたら本気でマズいと零が考えたその瞬間……(ある意味)奇跡が起こる。


「れ~い~、あんた家の鍵開けっ放しにしてたわよ。不用心なんだから、気を付けなさい、って……っ!?」


 ガチャリと音を響かせながら部屋に入ってきた第三の人物……秤屋天は、その中で繰り広げられていた光景を目の当たりにして硬直した。


 ベッドの上で絡み合う(絡み合ってはいない)男女。

 男の方は上半身裸で、女の方は顔を赤くしながら息を切らして彼の上に覆い被さらんとしている。


 極寒のブリザードでも発生したのではないかと思わせるくらいに急速に温度が低下していく室内にて、三人はそれぞれ視線を交わらせながら十秒以上固まり続けていた。

 その後、表情を一切変えずに頷いた天が、まるで逆再生でもするかのように今しがた入ってきたばかりの部屋のドアを閉めながら、この場から退去しにかかる。


「……お邪魔しました。どうぞ、夫婦でごゆっくりお過ごしください……」


「ちょっ! ちがっ、秤屋さんっ!! あなたは今、盛大な誤解をしていますから! とりあえず入ってきてください!!」


「いやホント、邪魔しちゃってすいません。まさかそんな、ねぇ? 入ったところで夫婦がイチャついてるとは思わなかったもので……」


「だから違うんです! 本当に違うんですって! ちょっと、話を聞けってばよ!!」


 明らかによろしくない誤解をしている天を引き留めるべく、体に鞭打って逃げようとする彼女を呼び止めにかかる零。

 この騒動のせいで若干彼の熱は上がり、余計に体力を消耗してしまったそうな……。

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