その名は、尊死(ほろび)

『おっ、来た来た! おはよう。 あはは、そんな気にしないでよ。俺も今、来たところだしさ』


「枢……! 俺を待っていてくれたのか? そんなふうに包容力たっぷりのスパダリムーブしやがって、俺のことをどれだけ夢中にさせたら気が済むんだよ……!?」


 枢の第一声に対して、明らかに情緒不安定な反応を見せる界人。

 ほんの数秒前まであんなに落ち着いていたのに、どうして一気にここまでおかしくなってしまったんだと聞いてはいけない。オタクにとって、これは日常茶飯事なのだから。


『うん、今日もお洒落でかわいいね。気合入れて準備してくれたみたいで、嬉しいよ。……いや、違う違う。かわいいのは服じゃなくって、それを着てる人の方ね? 普通、そんな勘違いする?』


「ぐふぅっ! そんな、かわいいだなんて褒め言葉を投げかけてきやがって……! 俺をメスにしてどうするつもりだ? もう俺はお前に落とされてるっていうのに、これ以上夢中にさせるだなんて、どんな魂胆があってのことなんだ!?」


『いや、本当のことを言ってるだけだし、そんなに照れないでって。これくらい普通でしょ、普通』


「ふっ、ふふふふっ、ふぅぅぅぅ……っ!! く、枢……っ!! お前はいつからそんな浮ついた台詞を言える男になった? そんなことされたら、全国の男女がメスになっちまうだろうが……!! 自分の魅力と台詞の破壊力を考えろ、馬鹿野郎っ! でも好きっ!! 愛してるっ! ホテルを取ってあるから、今夜は一緒にそこで最高の夜を過ごそう! 枢っ!」


 繋がっているようで繋がっていないやり取りを繰り返す界人が、自宅の床の上で悶えながら転げまわる。

 何をどう考えても不審者の行動でしかないのだが、限界オタクである彼は今、自身の胸の内で燃ゆるこの感情を抑えることができないようだ。


『さて、このままからかい続けるのも面白いけど、そろそろ行こうか? 今日は絶対に楽しい一日にしてみせるから、期待しててよ!』


「くっ、枢が俺をエスコートぉ……っ! 枢が俺のためにデートプランを考えてくれ……うぐっ!? ぐっ、し、心臓がっ! がふっ……! ……はっ! ふうっ! ふぅぅっ! マズい、興奮と喜びで肉体と精神が言うことを聞かな、んぐっ!?」


 苦悶の表情を浮かべながら心臓を抑えていた界人が呻き声を上げて体をビクつかせると共に、安らかな表情を浮かべて動かなくなる。

 その数秒後、大きく目を見開いてセルフで心肺を蘇生させた彼は、またしても鼓動が落ち着かない心臓を抑えるように左胸に強く手を当て、尊死し……暫し、それを繰り返す。


 超高速でループするその反応を何度も繰り返した果てに、興奮のボルテージをも高め続けた彼は……ボイスの締めとなる枢の台詞を耳にした瞬間、意識をブラックアウトさせた。


『……ふふふっ! 手、繋ぎたいんだ? うん、いいよ。ただし、恥ずかしいって言っても俺は離さないから……そのつもりでいてよね?』


「アッ……!?」




――――――――――

―――――――

―――――

―――




「……はっ!? お、俺は……? そうだ、枢のボイスの破壊力によって死を迎え、そして復活したんだった……!!」


 それからきっかり五分後、気絶(あるいは心停止状態)から復活した界人は、床に倒れた体勢からむくりと上半身を起き上がらせるとそう呟いた。

 あまりの衝撃のせいか、すっかり酔いは覚めており、されども枢のボイスのせいで気分が落ち着かないでいる彼は荒い呼吸を繰り返しながら独り言を漏らし続ける。


「あれはずるいって、俺の方からは離さないはヤバいって……! ガチ恋勢は全員落ちるじゃん。もう落ちてるのに更に落ちるから、文字的にはの方じゃん。底なし沼じゃん、堕ちるっていうよりかは沈むじゃん……!!」


 なんだか枢を責めているような口ぶりではあるが、今の界人の胸中にあるのは感動と感謝と興奮であり、このボイスに対しての不満は一切ない。

 あまりにも完璧なスパダリを演じた枢に若干の違和感があるような気がしなくもないが、それでも普段見ることができない彼の素晴らしい姿を見ることができたことに感謝する界人は、様々な感情が込められたため息を吐きだしてから再び呟く。


「いや~、本当に良かったわ~……! 二期生全部良かったけど、やっぱり枢だな、枢! 俺もあんなふうに枢と待ち合わせして、デートに行きた――」


 ――その瞬間、界人に電撃が走る。

 凄まじい衝撃が彼の体を貫き、駆け抜け、弾け飛び……その手に握られていたスマートフォンがぽとりと床へと落下していく。


 素晴らしい、素晴らしいにも程がある最推し、蛇道枢の演技。

 一緒にお出掛けする際の待ち合わせのワンシーンを切り取ったあのシチュエーションをたった一回ながらも全身全霊を以て聞き、その細部までもを記憶だけでなく魂にまで刻み込んだ彼は、ここで……気付いてしまった。


「ま、さか……!? そういうこと、なのか……!?」


 愕然とし、その事実をにわかには信じられないとばかりに何度も首を振った界人が、改めて蛇道枢(私服Ver)のボイスを確認する。

 今度は尊死を耐え、一言一句彼の台詞に全神経を集中しながら耳を傾けた彼は、自分の考えが間違っていなかったことを確信すると共に、今日一番の大声で叫んだ。


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