夕時の、風来坊
「くっ……! やはり、ここにはもう枢のファイルは残ってなかったか……!」
夕方、普段より少し早い時間に退勤した(そうなるように努力した)界人は、家に帰る前に駅前のCマートに寄っていた。
期待はしていなかったのだが、人通りも多く、目立つ位置にあるこの店にはやはり二期生で随一の人気を誇る枢のファイル(私服Ver)は残っておらず、その無念さに界人が苦悶の呻きを上げる。
昼間に仁義を通して中島と共に愛鈴のファイルを選んだことは後悔していないが、どうせならあそこでもう一つファイルを貰えるように対象商品を買っておくべきだったと今更ながら無念を噛み締め始めた彼であったが、そこで気持ちを切り替えると再びクリアファイルが並ぶ棚を見つめた。
(落ち着け。確かに枢のファイルは無いが、まだ俺が確保できていないファイルもここには残っている。本命のCマートは別にあるし、ここでは枢以外のファイルを回収しておけばいいじゃないか)
コラボ開始直後に芽衣のファイルを確保し、昼時に愛鈴のファイルを回収した界人は、今の時点で五点以上の商品購入で貰えるポストカードも含めれば、今回のコラボグッズの半数以上を確保していることになる。
自分が今、所持していないクリアファイルは、私服衣装の枢のファイルにたらば、リアがそれぞれ二種類ずつの合計五種のクリアファイルのみ。
その内、このコンビニには枢のファイルこそ残っていないものの、たらばとリアのファイルは私服、制服、どちらの衣装も残っているのだから、今回はこちらを確保すればいい。
問題は、その残っているクリアファイルの数もあまり多くはないということで、ここで一気に四種類のファイルを集めてしまうのは界人的には気が引けた。
もしかしたら、自分よりも遅くに仕事を終えた【CRE8】ファンたちが一縷の望みを胸にこのCマートを訪れるかもしれないと考えると、自分が大量にファイルを回収するのも申し訳なく思えてしまう彼は、たらばかリアのファイルの内、どちらか片方だけを貰おうと決めて吟味にかかる。
(無難なのはたらばか……? チャンネル登録者や人気度合い的にも上だし、イラストアドも強い。単体人気でいえば枢に匹敵するだろうし、むしろこの時間帯に来客が多いこの店にファイルが残っていること自体が奇跡みたいなもんだろう。しかし、リア様の人気も低くはないし、特に私服衣装のファイルはたらばよりも残数が少ない。他の店も同じような状態だとしたら、俺が帰宅する前にこちらが品切れになる可能性もあるかもしれん……)
意外なことに、私服衣装に関してのみならばたらばよりもリアの方が人気であるようで、まだ余裕がありそうな制服衣装と比べて私服衣装の方は残りが僅かとなっている。
たらばの方はバランスよくファイルが減っており、こちらも決して余裕があるわけではなさそうだ。
たらばの方は私服衣装の露出が多めだから、レジに持っていくことを躊躇ってしまうのだろうか?
しかし、それだったら朝に遭遇した厄介ファンの女性のようにセルフレジを使えばいいだけだし……と、このファイルの減り方にちょっとした疑問を抱いた界人が考えを深めていると――
「でゅ、でゅふっ! そちらの御仁、あなたも拙者と同じ【CRE8】のファンですかな?」
「は、はい……?」
不意に声をかけられた界人が振り向けば、そこにはなんともキャラの濃い男性が立っていた。
THE・オタク! といった感じの肥満体型&丸眼鏡&ファッションセンスという今時逆に珍しい姿をしたその男性は、期待に満ちた目で界人のことを見つめている。
「え、ええ、まあ、そうですね……」
「やはりそうでしたか! 突然のお声掛け、失礼いたしました。しかしこうしてクリアファイルを真剣に見つめるあなたの姿に同志としてのオーラを感じてしまいましてな。ついつい話しかけてしまったというわけでござる」
結構奇異な見た目をしている男性だが、割とまともな感性をしているようだ。
少なくとも、これまで出会った厄介ファンと対立厨に比べればずっとマシだなと考える界人に対して、彼はフレンドリーに話しかけてくる。
「それで、貴殿の推しはどなたですかな? やはり健康な成人男性としては、たらばのたわわなたらばに惹かれてしまうものですか?」
「あ、いえ、自分は枢が最推しで……」
と、ついつい勢いに飲まれて正直なことを言ってしまった界人であったが、そこでしまったと自分の失敗に気が付く。
今でこそ蛇道枢は【CRE8】の一員として多くのファンからも認められているが、女性ばかりの事務所に所属する男性Vtuberである彼のことを地雷だと考える者も存在しないわけではない。
もしも目の前のこの男性がそういった百合の間に挟まる男を嫌悪するタイプの人間だったら、また余計なトラブルに巻き込まれてしまうかも……と、考えた界人であったが、その答えを聞いた男性はおおっ、と意外そうな表情を浮かべると、大きく頷いた後で肯定的な返事をしてくれた。
「おお、くるるんですか! いや、いいところに目をつけていらっしゃいますな!!」
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