始まりの夜の、出来事

「すいません、薫子さん。わざわざ迎えに来てもらった上に、飯まで奢ってもらっちゃって」


「いいさ。そんなことよりも零、あんた……」


 対面の席に座る甥へとそこまで声をかけた薫子は、それ以上彼に何を言えばいいのかがわからなくなって口を閉ざした。

 時刻は深夜に差し掛かった頃、都内のファミレスで食事を奢っていた彼女は、改めて胸の内に溜まるモヤモヤとした感情を甥へと吐露する。


「……私の馬鹿姉貴がすまない。まさかあいつが、ここまでするだなんて……」


「ははは、薫子さんが謝る必要なんてないっすよ。俺もまさか一応は血が繋がってるはずの母親が弟のプライドを守るために俺の合格通知書を盗むだなんて思ってなかったですし」


 深刻そうな自分に対して、底抜けだと思えるくらいの明るい声で返事をした甥の姿に形容し難い感情を抱える薫子。

 どうしてそこまで楽観視できるのだと聞きたくなる彼女であったが、薫子のそんな考えを見抜いているかのように彼はこう答えた。


「……こういうもんなんですよ、俺の人生。何でもかんでも、あの馬鹿家族が邪魔をしてくる。物心ついた時からこんな感じだったってのは薫子さんだって知ってるでしょう?」


「それはそうだが、今回は重みが――」


「ええ、まあそうでしょうね。勝手に大学の入学を辞退しやがるだなんて、マジで厄介極まりないっすよ。推薦入学だったから高校の先生たちにも迷惑かける羽目になっちまっただろうし、本当にクソめんどくせえことしてくれやがったなぁ……」


 まるで他人事のように語る零だが、それが彼なりの防衛策だということは薫子にも理解できていた。

 身を守る、というよりかは長年の経験によって染みついてしまった諦めの考え方だろうか?

 自分の人生はこういうものなのだから、色々とすっぱり諦めた方が楽になれる……家族たちによって苦しめられ続けた彼は、大きく人生を狂わされた自分自身の現状すらも諦めと共に受け入れているようだった。


「まあ、こうなっちまったもんはしょうがないっすよ。考え方を変えれば、これで晴れて家族とも縁が切れたわけですし……ここからはあいつらに邪魔されずに生きていけるんですから、そこはよかったと思うべきでしょうね」


 食事を終えた零は手にしていた箸を置きながら笑みを浮かべてそう言った。

 どこか物悲しくて、見ていると胸が締め付けられるようなその笑みを彼は本気で浮かべていることを知っている薫子は、食事の代金を支払ってから車に乗り、零に問う。


「どうするんだい、これから? 行くあてとかもないんだろう?」


「ああ、そのことなんですけどね。申し訳ないっすけど、仕事が見つかるまでの間、薫子さんのところに泊めてもらえません? 身元保証人とかでもお世話になる可能性もあるかもなんで、親戚として少しだけ力を貸してくれたら助かるんですけど」


「いいよ、わかった。こうなったのはうちの馬鹿姉貴とその家族が原因だ。あんたの叔母として、あの姉の妹として、責任を取らせてもらうよ」


「すいません、ありがとうございます」


 車を走らせながら、自宅へと向かいながら、零とそんな話をする薫子。

 思い描いていた未来を実の家族に潰されたというのに、どこまでも明るく振る舞う甥の姿に痛々しさを感じる彼女は、彼にこう問いかける。


「……何かやりたいこととかあるのかい? この先、自分がどうしたいとか、そういう目標みたいなのはある?」


「うん? どうしたい、かぁ……」


 薫子からすれば、それは今の零には何か就きたい職があるのかという意味で投げかけた質問だった。

 彼の夢や希望を聞いた上で自分の伝手を使えば、少しでも零のことを支援できるのではないかと……そう、彼の将来を手助けするつもりで問いかけた質問に対して零が返したのは、薫子が思ってもみなかった回答であった。


「……、かな」

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