三人目・秤屋天

 コンコン、という短いノックの音が響く。

 その音を耳にした薫子は小さく息を吐くと、ドアの向こうにいる人物へと声をかけた。


「どうぞ、お入りください」


「はい。失礼します」


 はきはきと返事をしたその女性の声は、かわいらしくもよく通る聞き取りやすいものだ。

 開いたドアの向こう側から姿を現したのはその声に似つかわしい小柄な女性で、礼儀正しく扉を閉めた彼女は面接官である薫子に頭を下げると、椅子のすぐ近くまで歩いていく。


「どうぞ、お座りください」


「失礼いたします」


 着席時のマナーも完璧で、実に模範的ではないか。

 提出してもらった自己紹介シートによれば、この見た目で成人しているらしいが、この様子を見るとそれも嘘ではないということが理解できる。


「秤屋天さん。年齢は20歳で、声優を目指して活動中と……どこかの事務所に所属しているのでしょうか?」


「いえ、恥ずかしながらオーディションで合格を掴むことができず、事務所に入ることすらできていません」


「なるほど、そうでしたか……」


 いきなり言いにくいことを聞いてしまったなと心の中で反省しつつ、そこから天へと二つ三つと質問を投げかける薫子。

 彼女はその質問に丁寧かつしっかりとした受け答えを見せ、面接は順調に進んでいった。


(話している感じ、問題らしい問題は見受けられない。オーディション用に送ってきた動画で確認した演技力や声の出し方も十分なものだった)


 声優としてデビューするために重ねてきた天の努力は、疑う余地のないものだろう。

 おそらくは歌唱能力も人並み以上のものを有しているだろうし、これならば即戦力として期待ができる。


 ただ、決して彼女に懸念点がないわけではない。

 幾つか抱いている不安の内、真っ先に薫子が思ったものといえば――


過ぎる。本当に良くも悪くも、この子は普通の人間だね)


 面接のマナーを完璧に守り、挨拶も会話の応対もしっかりとこなして、はきはきと自分の質問に答えてくれる天は普通の会社ならば間違いなく合格を勝ち取れている人材だろう。

 だが、ここはVtuber事務所【CRE8】……芸能事務所なのだ。


 Vtuberとして活動する人物には、良くも悪くもぶっ飛んだ性格をしている者が多い。

 頭のねじが外れているというと言い過ぎかもしれないが、数えきれない程に存在しているVtuberたちの中に埋もれないように活動するためには、そういった濃いキャラクターが必要だというのも間違いない事実だ。


 そういった面では、天は普通の人間過ぎた。

 声はかわいいし、決して没個性というわけではないのだが、それでも濃過ぎる程のキャラクター性を持つ【CRE8】所属のタレントたちと比べるとどうしても見劣りしてしまう気がする。


 そしてもう1つ、薫子が彼女に抱いている懸念点があった。

 こうして直に顔を合わせて会話をしているというのに、その奥にあるものが読み取れないということだ。


 天が年齢相応の振る舞いができる人間で、声優を志していることはわかった。

 その情熱が偽物であるとは疑っていないし、彼女が邪悪な人間だとも薫子は思っていない。

 ただ……見えないのだ、本当の彼女が。薫子の目には天の奥底にある本来の性格というか、彼女自身の心の形が見えないでいる。


 これが彼女がオーディションに落ち続ける原因かと、薫子は理解した。

 ことに関してならば彼女の技術は卓越している。今もこうして面接の際に相応しい大人としての姿を見せて、薫子に接していることからもそれが見て取れるだろう。

 だが、そのキャラにということになると話は別だ。今の天を見る限り、そういった部分に不安が残る。


 言うなれば、小手先の技術は素晴らしいが根幹が抜けているということだろうか?

 こうして言葉にするとかなりひどいなと思いながら、薫子は天の合否について考え始める。


 決して彼女は悪い人材ではない。今回のオーディションに応募してきた人たちの中では間違いなく上位に属する人間だ。

 だが、今の彼女がVtuberとしてデビューして、人気を獲得できるだろうか? 声の良さや演技力だけで、ファンたちの心を掴めるだろうか?


 暫し悩み続けた薫子は、顔を上げると共に天を真っ直ぐに見つめた。

 そして、彼女に向けてこんな質問を投げかける。


「秤屋さん。応募要項にもあった通り、今回は5名のタレントを募集しています。つまりあなたが2期生としてデビューすることになった場合、あなたには4人の同期ができるわけです」


「はい。それが何か?」


 少しだけ不思議そうに自分に尋ねる天の顔を見つめながら、薫子は勝負となる質問を投げかける。

 彼女の本心を、心の奥底にある感情を探るための問いを、言葉としてぶつけてみせた。


「同期としてデビューしたタレントたちとは、当然ながら比較され続けることになるでしょう。その時、あなたは何番目にいたいですか? 5人の同期の内、自分の順位はどこでありたいと考えていますか?」


 少し残酷で、意地の悪い質問。

 この質問に正解はない。強いて挙げるならば、そういった評価は気にせずに全力で活動に取り組む、というものだろうか。


 だが、薫子はもしもそんな答えを天がした時には、彼女を不合格にするつもりだった。

 少しでいい、僅かで構わない。この質問を通して、天の心の中にあるものを見たい。


 彼女の答えから天自身の想いを汲み取ることができればという考えの下に薫子が投げかけた質問に対して、天はほぼノータイムでこう答えた。


「1番がいいです。というより、それ以外を目指す必要はありますか?」


「……ほう?」


 その答えの中に確かに込められている天の想いを感じ取った薫子が興味深そうな声を漏らす。

 そんな彼女の促すような視線に応えるようにして、天は自分の考えを述べていった。


「Vtuberが人気商売ということは理解しています。相当に厳しい世界であるということも。なら、その世界に飛び込むからには全力で活動に打ち込むのは当然のことでしょう。その上で……同期たちを食う勢いで努力しなくては話にならない。違いますか?」


「……同期と馴れ合うつもりはないと?」


「そういう意味ではありませんが、半分は正しいかもしれません。声優のオーディションも合格を勝ち取れるのはただ1人だけ。応募してきた人間の中で1番を取れなければなんの意味もないんです。だからこそ、私は1番になりたい。ここでトップになれなければ、声優になるという夢を掴むのは到底不可能でしょうから」


 ……確かに、天の魂の輪郭が見えた。

 彼女はプライドが高いが、責任感も同じくらいに強い。そして、非常に高い向上心も持っている。


1番になりたいと臆面もなく言い切ってみせたその反応から彼女の真の姿を感じ取った薫子は、そこに天の魅力と危うさが詰まっているのだと理解した。


 その素の部分を出して活動しろと言ったところで、今の彼女は聞く耳を持たないだろう。

 だがしかし、もしも天がVtuberとして活動する中で一皮剥けることができたとしたら……間違いなく、彼女は化けるに違いないという確信があった。


「ありがとうございました。面接はこれで以上です。お疲れ様でした」


「本日はお忙しい中、お時間をいただきありがとうございました」


 全ての質問を終えた薫子が天へとそう告げれば、彼女はまた完璧な振る舞いを見せて部屋を後にした。

 手元にある資料にある彼女の名前に〇を書き込んだ薫子は、小さく息を吐くと共に1人になった部屋で呟く。


「これで3人。だけど、まだ何かが足りないな……」


 総合力の沙織、歌姫のスイ、演技派の天と、各属性が被らぬようにそれぞれの得意分野が違う人材を確保することはできている。

 だが、まだ何かが足りない。このままでは2期生という歯車が完全に回るような気がしない。


 そしてもう1つ、薫子が欲しているものがある。

 【CRE8】初の男性タレント……その重大な役目を任せられるだけの信頼に足る人物だ。


 5人の枠の中、既に3人の合格者が決まり、半数以上の枠が埋まったことになる。

 だが、まだ足りない。必要不可欠なピースが、埋まっている気がしない。


「残り2人……ここからは、より慎重な判断が必要になるね……」


 果たして残る応募者たちの中に自分が必要だと思えるような人間はいてくれるのだろうか? 自分は胸を張って2期生たちをデビューさせることができるだろうか?

 期待よりも不安の方が大きい感情を抱えながら、薫子は自分が求めているものを持つ存在を探して、応募用の動画を確認し始めるのであった。

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