諦める必要なんて、どこにもない


「えっ……?」


 不意に口を開いた零からの問いかけにはっとした陽彩と有栖が彼の方へと顔を向ける。

 2人の視線を浴びながら、零は同じ質問をもう1度繰り返した。


「蓮池先輩は、それで後悔しませんか? 本当に【ペガサスカップ】への参加を諦めていいんですか?」


「………」


 2度目の零からの問いかけに、無理して浮かべていた痛々しい笑みを引っ込めた陽彩が彼を見つめながら押し黙る。

 口を真一文字に結んだまま視線を逸らした彼女へと、零はこう続けていった。


「先輩が俺たちのことを心配してくれてるっていうのはわかります。その気持ちも、凄くありがたく思ってます。でも……そのせいで先輩が本当にやりたいことを諦めるっていうのなら、そんな気遣いはしてほしくないです」


「っ……!!」


 ズバッと、陽彩が抱えている葛藤に対して思い切って踏み込む零。

 心の中にある想いを言い当てられた陽彩が小さく息を飲む様を見つめる有栖は、ただ黙って彼女と共に零の話へと耳を傾け続ける。


「【ペガサスカップ】に出よう、って決めてから蓮池先輩が一生懸命頑張ってる姿を俺たちは近くで見てきました。その頑張りが報われてほしいって思ってるのは、俺だけじゃないはずです。有栖さんも、配信を通して蓮池先輩を応援してくれてたリスナーたちも、同じことを思ってるはずですよ」


「……でも、ボクが我を通せば2人だってタダじゃ済まない。配信も荒れるかもしれないし、そうなったらボクたちを応援してくれるファンのみんなだって嫌な思いをする羽目になるし、それに……」


「そうですね。でも、それは大会参加を辞退したとしても同じだと思います。どっちがマシかって話になったとしても判断なんかできませんよ。どちらにせよ、別々の方向で大いに荒れると思いますし」


 陽彩の言う通り、ここで【ペガサスカップ】への参加を辞退すれば、被害は最小限に抑えられる可能性がある。

 だが、それと同時にまた別方向での炎上を引き起こす可能性もあった。


 ここまで何の問題もなく練習を重ねてきた零たちがこのタイミングで大会参加を辞退すれば、誰もがその原因が緑縞穂香の炎上であることに気が付くだろう。

 そうなったら緑縞穂香や【VGA】に非難の声が集中することは明らかで、もっというならば夕張ルピアをはじめとした同じ事務所のタレントにも被害が及ぶかもしれない。

 そうなれば今度は炎上とは無関係のタレントを攻撃するなと【VGA】側のファンたちが【CRE8】のタレントへと報復のために攻撃を行う可能性もある。


 いつだって、どんな時だって、ファンの暴走とは恐ろしいものだ。歯止めが効かないし、自分が正しく相手が悪だという思いは人を際限なく残酷に、攻撃的にしてしまう。

 そういったファンたちからの攻撃を受け、炎上させられてきた者としてその恐ろしさを理解している零は、陽彩の意見は間違っていないと前置きした上で自分の考えを述べた。


「何をしたって、どっちを選んだって、燃える時は燃えるもんです。だったら、本当にしたいことをして燃えた方がいいと思いません? 辛くて大変かもしれませんけど、やりたいことをやってるんだって思えばそれだって乗り越えられると思うんです。俺も、有栖さんも、もう覚悟はできてます。後は蓮池先輩の気持ち次第ですよ」


「でも、でも……そんなことしたら2人も炎上しちゃうよ! 今でもボクのせいで嫌な思いをしてるっていうのに、これ以上2人を巻き込むわけには……!!」


 長い零の説得を受けた陽彩が、顔を上げて彼を見つめながら自分の想いを告げる。

 自分のせいでこれ以上2人に傷ついてほしくないというその言葉を途中で制した零は、彼女の目を真っ直ぐに見つめ返しながらこう言った。


「2つ、いいっすか? まず、蓮池先輩は何も悪くないです。俺も有栖さんも、【ペガサスカップ】に誘ってもらえたことを感謝してますし、この2週間は本当に楽しかったと思ってます。今回のこれは、ただ運が悪かっただけなんです。先輩が責任を感じる必要なんて、これっぽっちもないんですよ」


「う……」


 真っ直ぐに、迷いなく、陽彩に責はないと言い切る零。

 その言葉に声を詰まらせた陽彩が小さな呻きを漏らす中、彼はもう1つの想いを彼女へと告げる。


「で、2つ目なんすけど……迷惑をかけるだとか、炎上に巻き込むだとか、気にしないでくださいよ。さっき言った通り、俺も有栖さんも覚悟はできてます。蓮池先輩が俺たちのことを大切に想ってくれているように、俺たちも先輩のことを大切だと思ってる。だからこそ、先輩に自分のやりたいことを諦めてほしくないんです」


「……でも、ボクは2人の先輩で、後輩である2人を守らなくちゃいけなくって、それで――っ!!」


 この炎上に零と有栖を巻き込んだのは、2人を【ペガサスカップ】に誘った自分自身だ。

 その恩を仇で返したくない、これ以上2人に嫌な思いをしてほしくない、先輩として、2人を守らなくちゃならない。


 そんな思いで凝り固まった心のままに、瞳に涙を浮かべて自分のすべきことを語る陽彩の背後から、震えた声が響く。


「友達……でしょ? 私たち、確かに先輩後輩だけど、それ以前に……今の私たちは友達でしょう?」


「有栖、ちゃん……?」


「守らなくちゃだなんて思わないでよ。迷惑かけたくないだなんて思わないでよ……私たち、友達じゃない。そんな風に気を遣い合う関係じゃないって、私は思ってる。陽彩ちゃんがしたいことがあるっていうのなら、私たちは全力で手を貸すよ。そのせいで誰かから何かを言われたとしても、私は全然気にしない。友達の、陽彩ちゃんのためなら、炎上だって怖くないよ」


「あ、ぅ……っ!!」


 溢れる感情を涙としてこぼしながら自分にそう告げる有栖の姿とその言葉を聞いた陽彩は、声にならない声を喉から絞り出しながらくしゃりと顔を歪めた。

 それが喜びなのか、感動なのか、それともまた別の感情なのかはわからない。

 だが、無理して笑っている時よりかはずっとマシなその表情になった彼女もまた、複雑な感情を溢れさせるように涙しながら口を開く。


「怖いよ……凄く、怖い。大好きなゲームが原因の炎上に直面することも、そのせいで2人に嫌な思いをさせちゃうことも、凄く怖いんだ……! でも、でもやっぱり、ボク……っ!!」


「……言ってください、蓮池先輩。あなたが何をしたいのか、どうしたいのかを、俺たちに聞かせてください」


 呻き、涙し、苦しみながら声を絞り出す陽彩へと問いかける零。

 陽彩は、その問いに対する答えを未だ振り払えぬ迷いを抱きながらも、確かに言葉として彼に伝えてみせた。


「許されるのなら……ボクは、【ペガサスカップ】に出場したい……!! ここまでの頑張りや、みんなから応援を無駄にはしたくない。こんなことで、諦めたくなんかないよ……!」


「……だったら出ましょうよ。俺たちのことを気遣って迷う必要なんてないですから、蓮池先輩は自分の夢に向かって突っ走ってください。大丈夫! こう言っちゃなんですけど、先輩がゲームに詳しいように、炎上に関してなら俺もちょっとしたもんですから!」


 そう言って、笑いながら自分の胸を叩いて陽彩を元気付ける零。

 有栖はそんな彼の姿に、確かな既視感を覚えていた。


(あの時と一緒だ。デビューしたての、私が入院した時と同じ……)


 半年前、まだ蛇道枢が多くのファンたちに叩かれていた頃、アルパ・マリの事件によって大炎上した有栖は、精神的な負荷に耐え切れず気を失い、病院に搬送された。

 その病室で、お互いの傷を曝け出し合ったあの時に見せたのと同じ雰囲気を、今の零は発している。

 いや、あの時よりもずっと温かく、力強く、そして確かなを感じさせる彼の姿を目にした有栖は、在りし日のことを思い返しながら小さく頷く。


 自分の時と同じ……誰かの夢を守りたいと思う時に、零が誰よりも何よりも強くなれることを有栖は知っている。

 今、陽彩が自分が本当にしたいことを告げた瞬間、彼の心には大きな炎が灯ったのだろう。


 どれだけ燃やされたとしても、攻撃されたとしても、彼が挫けることはない。

 胸の内に夢の炎を燃やした零の姿が、陽彩の夢の護り手となった彼の姿が、そこにあった。

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