立ち込める、暗雲



『……何、これ? どういうことなの……?』


 自分と同じくまとめサイトを閲覧したであろう有栖の呆然とした声を聞きながら、零は必死にパニックになりそうな頭を落ち着かせて考えを纏めていた。

 時折、ゲーム界隈の専門用語らしきものが出てはいたが、スレッドの話を総合するとこういうことだろうという結論を出した彼は、喉の奥から声を絞り出し、同期たちへと自身の意見を述べる。


「はっきりとしたことはわからないけど……緑縞さんは、ゲーマーとしてやっちゃいけないタブーを犯しちゃったんだと思う。それがバレて、滅茶苦茶に叩かれてる……それが、現状みたいだ」


『スマーフとか、ブーストとか、その辺の単語の意味がよくわからないけど、そこがやっちゃいけないことだったんだろうね。でも、炎上の発端になった元プロゲーマーさんより、緑縞さんの方が叩かれてるのは何でだろう?』


『スレにも書いてあったでしょ? 噂に尾ひれがついて、その緑縞穂香ってVtuberと元プロゲーマーがデキてるって話になってるからよ。男の元プロより、女のVtuberの方がガチ恋勢が多い。プロゲーマーの方は純粋に尊敬していた人たちを裏切っただけだけど、Vtuberの方はそれプラスで自分のところの男性ファンを裏切った形になるから、こうしてぶっ叩かれてるのよ』


 冷静に、的確に……今回の炎上について語る天の話を聞きながら、零は自分の周囲でも過去にこんなことがあったなと思い、そのことについて振り返っていた。

 確かあれは自分たちがデビューして間もない頃、蛇道枢が『CRE8』の忌み子としてファンたちから盛大なバッシングを受けていた頃の話だ。


 配信中にパニックになり、気を失ってしまった有栖を助けるために彼女の部屋に飛び込んだ際、零はまだ閉じられていなかった配信を彼女に代わって締めてしまった。

 その結果、蛇道枢と羊坂芽衣は同居しているだとか、2人は恋人関係だとか、クリーンなイメージで売っていた芽衣はこれで終わりだとか、そんな意見がSNSのあちらこちらでヘドロのように沸き上がったものだ。


 零たちの場合は、自分たちに非がなかったお陰で無事に炎上は収束したが……今回は、完全に穂香の方に問題があるらしい。

 であるならば、そう簡単に騒動が治まるとは思えない。むしろここから新事実の発覚やデマの流布などが続けば、炎は更に大きく燃え上がることとなるだろう。


 そして、この炎上は間違いなく【ペガサスカップ】にも大きな影響を与えるはずだ。

 それも、悪い影響を。VtuberとFPSの2つの界隈にマイナスのイメージを与えてしまうこの事件が参加者全員によくない影響を与えることは目に見えている。


 その影響を最も受けるであろう対象として自分や有栖、陽彩の名前が挙がっていることに零が息を飲んだ瞬間、デスクの上に置いてあったスマートフォンがぶるぶると震え始めた。

 着信だ……と、その画面に目を向けた彼は、そこに表示されている名前を見て、はっとした表情を浮かべた後で同期たちに言う。


「すいません、電話がきたからミュートにします。ちょっと待っててください」


 マウスを動かし、マイクのアイコンをクリックした零は、こちらの声が同期たちに聞こえなくなったことを確認してからスマートフォンを手に取り、通話ボタンをタップした。

 ややあって、電話の向こうから聞こえてきた慌ただしい息遣いを耳にしながら、彼は落ち着いた声で相手に声をかける。


「お疲れ様です、蓮池先輩」


『あっ、あっ、あ、あく、阿久津くん! 急にごめん! で、でも、今、とんでもないことになってて……』


「緑縞穂香さんの炎上の件ですよね? 俺も今知りました。なんとなくですけど、有栖さんも事情を把握してます」


『そ、そっか、そうなんだね……』


 零の言葉に安堵したような、それでいて落胆したようでもある反応を見せた陽彩は、呼吸を整えるとそこからこう続ける。


『実はさっき、薫子さんの方から連絡があって……明日の昼、この件についてみんなで話し合いをするから事務所に集まってくれって言われたんだ。2人とも、大丈夫かな?』


「わかりました。有栖さんには俺から伝えておきます」


『うん、よろしくね……それじゃあ、また明日……』


 陽彩との電話を終えた零は、一呼吸間を開けてからミュートを解除した。

 直後に自分へと質問を投げかけてくる同期たちに対して、会話の内容を説明しながら落ち着いて対応していく。


『そっか、明日、薫子さんを交えて話すことになったんだね。それじゃあ、あんまりここで騒いで不安になるような真似はしない方がいいさ~』


『こう言っちゃなんだけど、私たちは部外者だしね。大会に参加するメンバーでしっかり話し合った方がいいわよ』


『わー、よぐわがらねけど……いい方向さ話纏まるどいいですね』


 零と有栖に気を遣った言葉を残し、次々とサーバーから落ちていく2期生たち。

 最後まで残った2人が押し黙る中、有栖は怯えを感じさせる声で彼にこう問いかけてきた。


『……大会、参加を辞退することになったりはしないよね? 私たちは何も悪くないし、ここまで一生懸命練習してきたんだから、それを無駄にはしたくないよ……』


「……わからない。でも、最終的な決定権は俺たちにあるはずさ。明日、蓮池先輩も交えてしっかりと話をしよう」


 本当は大丈夫だと言ってあげたかった。何も問題はないと、そう有栖のことを元気付けてあげたかった。

 しかし、事はそう単純ではないということを理解してしまっている零は、無責任なことを言うよりも現実的な意見を口にすることを選び、それを彼女へと告げる。


 これまでの頑張りを、これからの楽しみを、こんなことで潰されたくはないと……そう、悲しそうに言った有栖は、零の言葉に何も言わぬまま通話を切断する。

 零もまた、予想外の方向から襲ってきた火の手に対して怒りとも悔しさともいえない複雑な感情を湛えたままサーバーから抜け、明日の話し合いに備え、落ち着かない心のままに休息を取るのであった。

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