AM3:00・廊下にて


「……ん、んぅ……ふあぁ……」


 寝惚けた声を出して呻いた有栖は、そこで自分の顔面に当たる柔らかい何かの感触にぱちぱちと目をしばたたかせながら意識を覚醒させていく。

 横になった体勢で、ゆっくりと俯き気味になっていた顔を上げた彼女は、そこに見えるを目にして一気に目を覚ました。


「ぴゃう……っ!?」


 目の前……というより、こうしてそのたわわな胸に顔が埋まるくらいの距離にいることを驚いた有栖がびくりと体を震わせてその場から後退る。

 緩く抱き締められていたが故にほんのちょっとだけ沙織から離れるのに苦労したが、彼女の腕から脱出した有栖はばくんばくんと鳴る心臓を抑えるように自身の左胸に手を置きながら、小さく息を吐いた。


「えっと……確か、あの後……」


 雑魚寝している女性陣の姿と、明かりが消えた部屋の中を見回した有栖が、まだ完全には目覚めきっていない頭を働かせてどうしてこうなったのかを思い返し始める。

 確か……そうだ。零が夜明けまで部屋に残ってくれることになって、そのことに安堵と喜びを抱いた自分たちはリビングにクッションや毛布を持ち込んで簡易的な寝床を作って、そこから暫し離れた位置に腰を下ろした零を含めてお喋りを始めたというところまでは記憶に残っている。 

 そのすぐ後にスイが眠気を訴えてふらふらとし始め、そんな彼女の姿を目にした自分もまた今日までの疲れと共に眠気が込み上げてきて……そこで有栖の記憶は途切れていた。


 どうやら自分はあの後、睡魔に負けてしまったらしい。夜が明けるまでパジャマパーティーだなんだと騒いでいたが、結局は眠気には勝てなかったようだ。

 自分よりも早くに眠気を訴えていたスイはもちろん、沙織と天もまた簡易寝床に横になって夢の世界に旅立っているようで……スイに抱き枕にされて少し寝苦しそうにしている天の姿を見た有栖は、クスクスとその光景に笑みをこぼした。


 現在時刻は3時27分。もう少しで日が昇り始めるか否かという、実に微妙な時間だ。


 きちんとした寝床で横にならなかったせいか、寝つきが悪かったみたいだな……と、1時間程度で目を覚ましてしまった自分自身の眠りの浅さをぼんやりと振り返った有栖は、そこで同じリビングにいたはずの零の姿がないことに気が付く。

 当然ながら自分たちと同じ寝床で横になっているはずもない彼の気配が感じられなかったことから、有栖は零が自室に帰ってしまったのではないかと考えたのだが、そこで廊下の方から僅かな物音が聞こえてきた。


 その音の正体を確かめるべく、立ち上がった有栖が廊下に続くドアを開ける。

 そうすれば、玄関とリビングのちょうど中間辺りの位置に腰掛ける零の姿が目に映った。


「零、くん……? どうして、そんなところにいるの……?」


「ああ、有栖さん。目、覚ましたんだ」


 クッションだけを廊下に持ち込み、その上に座っている零が有栖の声に反応しこちらへと顔を向ける。

 手にしたスマートフォンが放つ薄ぼんやりとした光を浴びている彼の顔は実に眠たそうで、自分たちと違って零が一睡もしていないことを見て取った有栖はドアの前に立ち尽くしながら彼へと質問を投げかけていった。


「どうしてそんなところにいるの? 廊下なんかじゃなくて、リビングに来なよ」


「そりゃあ、無理でしょ。ぐっすり寝てる女の人たちと同じ部屋で夜を過ごすだなんて、男としてマナー違反だし」


「なら、自分の部屋に戻ればよかったのに……」


「そうしようかとも思ったんだけどさ、俺以外全員寝ちゃったから、玄関の鍵を閉めてくれる人がいなかったんだよ。鍵開けっ放しのままにしておいて、有栖さんたちの身に万が一のことがあったらって考えたら、どうしても出ていけなくってさ」


「じゃあ……せめてリビングにあった掛け布団とか毛布を使いなよ。そんなクッション1つじゃ、体も休まらないじゃない」


「ん~……喜屋武さんが使ってる布団を男の俺が使うのは、ちょっとね。まあ、別に問題ないよ。俺だけ布団が無いなんて事態には慣れてるしさ」


 そう言いながら、肩と首のコリを解すように伸びをする零。

 ボキッ、ゴキッという骨の鳴る音を耳にした有栖は、そんな彼に対して謝罪の言葉を口にした。


「……ごめんね。また、私たちのわがままのせいで無理させちゃって……」


「あはははは、大丈夫だよ。最初からこうなるだろうなって気はしてたし、本当に嫌だったら制止を振り切ってでも帰るもの」


「どうする? 私も起きたし、家に帰る? もう朝が近いけど、ベッドで休んだ方が――」


「いいよ、大丈夫。今帰るのも、みんなが目を覚ましてから帰るのも、もう大差ないでしょ。みんなが起きた後、文句の1つでも言ってから帰らせてもらうよ」


 有栖の申し出を断った零は、彼女へと優しい笑みを見せながらしっしっと手を払う動作を取る。

 廊下ここは決して居心地のいい場所ではないから、自分のことは気にせずにリビングでゆっくり休んでいなよ……という彼の気遣いを感じ取った有栖は、ゆっくりとドアを閉めるとリビングへと戻った。


 彼女を見送り、再び手にしているスマートフォンへと視線を落そうとした零であったが……その耳に、再びドアが開く音が響く。

 驚いて顔を上げた彼が目にしたのは、自分用のクッションと毛布を抱えてこちらへと歩いてくる有栖の姿だった。


「あ、有栖さん? 何、してるの?」


「……私もこっちで過ごす。私たちの我がままに付き合ってくれた零くんをひとりぼっちにするなんて、悪いもん」


「いや、だからといってこれは流石に……」


 自分のすぐ横に腰を下ろし、持ってきた毛布を2人の膝にかかるように広げる有栖へと困惑しながら声をかける零。

 そんな彼の言葉を無視した有栖は、肩と肩が触れ合うくらいに距離を詰めると零の顔を見つめながら言った。


「映画の時に似たようなことしたんだし、これだって今更でしょ? それに、前に言ったじゃない。おひつじ座わたしへびつかい座あなたの隣にいるって……それを最高だって言ったのは、零くんだよ?」


 初めてのコラボ配信の際、彼女が自分にかけてくれた言葉を思い出した零が小さく息を飲む。

 そう言った後で視線を逸らし、ただ黙って自分の傍に居続けてくれる有栖の姿を見つめ続けた彼は、微笑みを浮かべると彼女の言葉にこう応えた。


「……そうだったね、有栖さんの言う通りだ。じゃあ、少しだけ……俺の暇潰しに付き合ってもらおうか」


「……うん」


 短く、簡潔な言葉であったが、その2文字の返事を口にした有栖の横顔がどこか嬉しそうに見えるのは、自分の勘違いではないだろう。

 1人で過ごしていた時には感じられなかった温もりを心に感じながら、零は数か月前の出来事を懐かしむように口を開き、有栖へと話しかける。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る