波乱もある、信じる気持ちもある
「……でも、今の秤屋さんは俺たちと信頼関係を結ぼうとしてる。今まで隠してた弱みを見せるようになったのがその証拠だ」
「ああ、その通りさね。スイとは逆で、自分だけで……って考えてたあの子が誰かを頼るようになったことは本当にいいことだと私は思う。だからこそ、ファンたちにもそのことが伝わってほしいと思うんだ」
もう間もなく寮というところでの会話は、2人の本心が出ていた。
天の今後について真剣に語り合いながら、等身大の自分を出せるようになった彼女のことをファンたちにも理解してほしいと……そう語った薫子は、社員寮の前に車を止めると、叔母ではなく社長として零に言う。
「でも、病み上がりのあんたがここでまた動き回るのは駄目だよ。復帰に向けて、体を休めておくれ」
「わかってますよ。俺だって馬鹿じゃないんだ、同じ轍は踏みませんって」
どうにもワーカーホリック気味というか、周りの人間を助けるために自分を軽視しがちな零に釘を刺した薫子は、彼がしっかりと体を休めることを約束してくれたことに安堵の表情を見せる。
まあ、彼が事態をただ静観するつもりもないということを知っていた彼女の予想に違わず、続けて口を開いた零は薫子に向けてこんなことを言ってきた。
「薫子さん、あの約束は覚えてますよね? 休む条件として出したあれです」
「ああ、あれね……勿論、覚えてるよ。あれもあいつに渡しておいたから、安心してくれ。一応言っておくけど、私は中身は見てないから」
結構、と言わんばかりの頷きを見せた零が、荷物を手に車から降りる。
部屋まで一緒に行こうかと視線で尋ねる薫子の申し出を辞退した彼は、軽い笑みを浮かべながら彼女へと言った。
「なら、俺はみんなを信じて黙って見守ってますよ。きっと……大丈夫だって、信じてますから」
それだけ言い残して寮の中へと入っていった零を見送った後、再び薫子は車を走らせる。
1人きりになった車内で、1週間前の会話を思い返した彼女は、先程の零の言葉を繰り返すようにして呟く。
「きっと大丈夫、か……なら、その信頼に応えなきゃね……」
天の復帰配信は、大きな波乱を生み出すこととなるだろう。
それでも、彼女が前に進むために必要な行為だと信じているからこそ、薫子と沙織を含めた3人で話し合ってその内容を決めた。
バックアップも、メンタルのケアも、今度こそは抜かりのないようにしなければならない。
それこそが事務所の代表であり、タレントを預かる責任者である自分の責務なのだから。
今もきっと今夜の配信に備えているであろう天と、今しがた別れた零のことを想いながら、薫子はそんな考えを思い浮かべるのであった。
「そろそろ時間だな。出はる支度すとがねど……」
同時刻、薫子が零を社員寮に送り届けていた頃。
都心に出ている間の住まいとしている部屋の中で、スイは出掛ける準備をしていた。
この後、薫子と共に配信環境を充実させるための買い物に行く予定の彼女は、待ち合わせの時間が近付いていることを確認しながら欲しいものをリストアップする。
配信に必要な機材やあると便利な品物を都会に出掛けている間に買ってしまおうと考えた彼女は、車を出してもらうついでにそれについてのアドバイスを薫子にしてもらうために彼女と約束を取り付けていた。
既に着替え等は済ませており、別に化粧などをする必要もないスイは時間に余裕を持った状態で薫子からの連絡を待っている。
薫子は退院する零を迎えに行ってからこちらに向かうと言っていたし、SNSに零が退院を報告するコメントをしていたことから考えても、そろそろ彼女から何か連絡がある頃かな……とスイが考えていると、メールの着信を告げるスマートフォンの通知音が響いた。
「あ、薫子さんからかな? あとどれくらいで着くだろ……?」
時間的にそれが薫子からの連絡だと思ったスイは、そんなことを呟きながら画面を見やる。
そして、そこに表示されるメールの送り主の名前を見て、一瞬怪訝な表情を浮かべた。
「あれ……? 秤屋さんから……?」
そのメールを送ってきたのはこれから出掛ける予定の薫子ではなく、今日復帰配信を行う予定の天であった。
どうして彼女が自分にメールを……? と疑問に思うスイであったが、とにかく送られてきたメールの中身を確認してみようと考え、それを開く。
冒頭の送り先を確認してみれば、天からのメールは零を除く2期生全員に送られているようだ。
思っていたよりも長い文章が綴られているそのメールを目にしたスイは、最後までその内容を読んで、そして――
「え……? これ、本気なの……?」
――そんな、驚きに満ちた呟きを漏らした。
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