スイの、秘密


 そこからどんなことをしたのかは、あまりはっきりとは覚えていない。

 改めて自分たちの歌を聞き、感想を言い合って、薫子からもアドバイスを受けたりして……というようなことをしたという記憶はぼんやりと残っているが、その印象が全くないというのが正直な感想だ。


 おそらくは玲央から最大限に優遇された零ですらその調子なのだから、逆に最大級の酷評を受けたスイと天は企画会議に集中出来るような精神状況ではなくなっているだろう。

 実際、再び会議室に戻ってきた一同の中で話し合いを続けているのは零と沙織が主で、空気を読んだ有栖がぽつぽつと意見を口にするものの、スイと天は完全に押し黙ってしまっている。


 気持ちはわかるが、これでは会議にならない。なんとかして、2人を話し合いに引き込まなければ。

 そう考えた沙織が深く息を吸うと、出来る限り明るい声を発して同期たちへとこう問いかけてみせた。


「さて! お互いの実力はわかったし、ここからは具体的な案を詰めていこうよ~! どの曲を歌うか? それぞれの歌声や適性、難易度なんかを考えて、動画で歌う曲を決めよう!!」


「そうっすね。早く決められれば、その分練習時間も長く取れますし……ジャンルぐらいまでなら決めちゃってもいいんじゃないですか?」


 沙織の意見に同意しつつ、気落ちしている2人へと視線を向ける零。

 彼と同じように2人の方を見つめた沙織は、まずはスイに声を掛け、意見を募る。


「スイちゃんはどう? なにか、歌いたい曲とかある? 私より音楽には詳しそうだし、意見を聞かせてほしいな」


「……私、は――」


 ここまで無言を貫き続け、玲央からの酷評を受けてもそれを崩さなかったスイから言葉を引き出すべく、沙織が彼女に接触を試みる。

 この答えからどうにかして話題を広げ、天を含めた5人での話し合いへと場を戻そうと考える彼女であったが、言葉少ななスイはそんな沙織の質問にさえもまともな返答を寄越さない。


「――なんでも、いいです……皆さんが決めた曲を、歌います……」


「い、いや、なんでもいいじゃなくって、折角だし全員で意見を出し合って決めましょうよ。いい意見が出たら全部採用して、複数のチャンネルで歌ってみた動画を出すって案を取ることだって無きにしも非ずなんですから……」


 またも自分の意見を出さず、流されるままに企画を進めようとするスイのことを零がやんわりと窘める。

 これは2期生全員で企画する、記念すべき初の同期コラボなのだ。ただ参加すればいいというわけではなく、その過程で協力することこそがなによりも大事なことなのである。


 だから、どうかその話し合いにスイも参加してほしいと……そう、彼女を説得しようとした零であったが、そんな彼へと冷たい制止の声が投げかけられた。


「いいよ、零くん。その子を無理に話し合いに参加させる必要はない。やる気のない奴になにを言っても無駄じゃん」


「そ、天ちゃん……!」


 自分の向かい側の席に座る天からの、憎悪の感情がありありと込められた言葉に息を飲む零。

 その怒りと憎しみが自分ではなくスイに向けられていることを感じ取った彼や沙織が天のことを止めるよりも早く、立ち上がった彼女が吼えるようにしてスイへと厳しい言葉を吐きかける。


「さっきからず~っと思ってたけどさ、あんたは何なの? 来栖先輩からあそこまで言われて、まだだんまりを決め込むつもり?」


「お、落ち着いて、天ちゃん! きっとスイちゃんもさっきのことで凹んでるから――」


「凹んでるのは私も同じなんだけど? っていうか、そもそもこいつがなにも言わないのは今に始まった話じゃないじゃん。会議が始まってから……ううん、それより前からず~っと、この子は自分を出そうとしてないじゃない!」


 バンっ、と机を叩き、スイへと身を乗り出すようにして詰め寄る天。

 沙織がそんな彼女を必死に止めようとするが、これまで我慢に我慢を重ねてきたであろう天の怒りはそう簡単に止められるものではなかった。


「最初の企画会議の時もそう! 歌ってみた動画を出そうって案を出したのは沙織ちゃんと零くんであって、あなたは何も言わなかった! 歌か声劇かの2択を迫られてようやく歌にしたいって言っただけ! それだけじゃない! この間の零くんとのコラボ配信も、私とのコラボの時も、3人でのコラボの時だってそう! あんた何にも言わないで、ぬぼ~っと黙ったままそこにいるだけで……! 何しにここに来てんの!?」


「………」


「天ちゃん、言い過ぎだよ! 気持ちはわかるけど、ここで喧嘩してもなんの得もないさ~!」


「それを言うなら、この子がこの場に居たところでなんの得もないじゃない! むしろ、なにも言わないこいつに気を遣わなきゃいけないんだから、居るだけでマイナスでしょう!? やる気がないなら出て行けばいいのよ! 私たちが選んだ歌なら何でもいいんでしょう? 才能がある人はいいよね~! 本当に羨ましいわ!」


「天ちゃんっ!!」


 ヒートアップしていく一方の天を止めるべく、沙織も大声を出しながら立ち上がった。

 また新たな争いが勃発しそうなこの場の空気に有栖は完全に怯え切っており、不安気な表情で全員の顔を順番に見回すという落ち着きのない行動を取り続けている。


 誰がどう見ても、よろしくない空気だ……と、場の空気と同期たちの仲が険悪になっていることを感じ取った零が危機感を抱きながら思う。

 どうにかしてこの場の雰囲気を変えなければならないと考えた彼がその方法を模索する中、隣に座っていたスイが不意に立ち上がると、か細い声での呟きを漏らした。


「……すいません、でした……」


「あっ!? 三瓶さんっ!?」


 呻くように、嗚咽するように、それだけを言い残したスイが会議室から走り去る。

 その背へと手を伸ばした零の呼び掛けにも応えずに部屋を飛び出してしまった彼女の足音が、どんどんと遠くなっていく。


「み、三瓶さん、出て行っちゃいましたけど、ど、ど、どうしましょう……!?」


「丁度いいんじゃない? 出て行ったってことは話し合いに参加する気がないってことでしょうし、私たちだけで会議を進めましょうよ」


「そういうわけにはいかないよ~! 全員で揃って話し合わなきゃ、2期生コラボの意味がないさ~!!」


 沙織の言う通りだと、零は思った。

 確かに天の言い分は正しいし、ここまで消極的なスイを話し合いに参加させる意味というものが見出せないということもまた事実であろう。


 だがしかし、初めて同期全員で絡むことになるこの企画で、誰か1人を除け者になんてしたくはない。

 そんなことをしては同期コラボの意味がないではないか……と考えた零は、沙織へと大声でこう叫ぶ。


「俺、三瓶さんを追いかけます! どうすりゃいいのかはわかんねえけど、このまま放っておくことが正解じゃないってことだけは間違いないっすよね!?」


 零の言葉に頷いた沙織が、言葉に出さず目で彼にスイを頼むと語る。

 大きく頷いた零は後を彼女に任せると、一目散にスイを追って部屋を飛び出していった。


(そう遠くには行ってないはずだ! まだ本社内に居る可能性が高い! ここを出て行く前に捕まえて、話をしないと!!)


 エレベーターが現在の階層よりも上に在ることを確認した零が、大急ぎで階段へと向かって駆け出す。

 もしもスイが本社ビルから出ようとしているのなら、階段を使うはずだと……エレベーターホールに姿がなかった彼女の行動を予測しながら、どうにかしてスイを見つけ出し、フォローをしなければと焦る零は、この後どうしようかなんて考えずにただ走り続けた。


 幸いにも他の社員たちの人影も見えず、自身の全力疾走を阻む者がいないという幸運に感謝しながら階段ホールに辿り着いた零は、急いでそこを駆け下りようとしたところで、少し下の踊り場にスイの姿を見つけ出し、ほっと安堵の溜息を吐いた。


(よかった、追い付けた。とにかく落ち着いてもらって、話はそこから――)


 踊り場の壁に手を付け、がっくりと項垂れているスイの姿を見ながら零が思う。

 やはり彼女も凹んでいるのだろうと、年下であるスイのことを慮った彼が声は掛けるタイミングを見計らいながら、まるで絵画のように様になっている今の彼女の姿をじっと見つめる。


 やや遠巻きである上に俯いているために顔はよく見えないが、きっと今のスイは物憂げな表情を浮かべているのだろう。

 もう少しドラマティックな場所であれば、外国のお姫様のような彼女のルックスと合わさって、きっと実に絵になる姿が見られたはず――


「はぁ~……ま~だやってまったぁ。みんなに迷惑がげでばすで、なにやってらんだびょん、わー……」


「……はい? えっ……?」


 ――何か今、とんでもないものを聞いた気がする。

 アンニュイなスイの姿に見とれていた零は、不意に頭をハンマーでぶん殴られたかのような衝撃を覚えると共に、口から疑問の呟きを漏らしていた。


 今、確かに……自分は、誰かの声を聞いた。

 誰か、というよりかは間違いなくスイの声だったわけだが、問題はその発音というか、言葉遣いだ。


 彼女が今、口にした言葉の意味が、半分以上理解出来ない。

 ほんの少しだけ読み取ることが出来たその呟きの内容から、おそらくは自分の言動を反省していると思わしきスイのことを唖然とした表情で見つめていた零は、ついうっかり漏らしてしまった驚きの声を耳にして振り返った彼女と視線を交わらせた。


「あ、阿久津あぐつさん? もすかすて今、わーの話ば……!?」


「え? え? えっ……!?」


 スイの口の動きに合わせて、強い訛りの言葉が階段の踊り場に響く。

 愕然とした表情を浮かべて自分のことを見つめているスイの顔を見つめた零は、わなわなと唇を震わせながら、不慮の事故によって辿り着いてしまったスイが無言を貫く答えを、そのまま口にする。


「ま、まさか……!? 三瓶さんの口数が極端に少ないのって、そののせい、なんですか……?」


「う、う、あぅ……! バレだ、バレでまったぁ……!」


 これまでの無表情を崩したくしゃくしゃの泣き顔を浮かべ、踊り場にぺたんとへたり込んだスイが、絶望の涙を流す。

 現実を受け止めきれずに思考と体の動きをフリーズさせて呆然とする零の目の前でおいおいと泣き喚く彼女の叫びが、【CRE8】本社ビル内の階段踊り場にこだました。


「わ、わ……わっきゃ、もうおすまいだ~っ! うわ~~んっ!!」


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