配信に向けて、準備と願いを
「頼まれてたもの、用意できました。送信するんで確認お願いします」
『ありがとね~! すっごく助かっちゃったよ~!』
夜、PCを操作しながら沙織と会話する零が、用意したファイルを沙織へと送る。
ややあって、送信完了の文字が表示された画面を確認した彼の耳に朗らかな沙織の声が響いた。
『OK、中身は後で確認するね~。必要な編集とかはこっちでやっとくさ~。本当にありがと~!』
「別に俺だけの功績じゃあないっすよ。有栖さんも動いてくれたんで、お礼言ってあげてください」
『そっか……女の人と話すの苦手なのに、私のために頑張ってくれたんだね。次に会った時、きちんとお礼を言っとくよ~』
このファイルを用意するために動いたのは、零だけではなかった。
有栖もまた彼女なりに行動してくれたからこそ、数日後の歌配信に必要なこのファイルが用意できたことを沙織に伝えつつ、零は更にもう二人の協力者たちにも心の中で感謝する。
とりあえず、業務連絡に近しい本題はこれで終わりだ。
しかし、個人的に気になっていることがある零はこれをいい機会だとばかりに沙織との会話を繰り広げていく。
「大丈夫でしたか? さっき配信したんですよね?」
『うん? まあ、ね。色々とリスナーのみんなには心配かけちゃったし、大丈夫だよ~ってことを説明しておかないと余計に不安にさせちゃうからさ。それにほら、歌配信の告知もしなきゃだったし』
「……荒れませんでした?」
『う~ん……多少は荒れたけど、予想よりはマシだった……って感じかなぁ? そりゃあ、こんな状況だからボロクソに叩いてくる人もいるにはいるさ~。でも、いちいち反応して怒ったり悲しんだりしてファンのみんなが熱くなったら、これからしようとしてることが無駄になっちゃうからね』
あっけらかんとそう告げた沙織の様子には、苦しみを堪えている風はなかった。
どうやら本当に想像していたよりも軽微な荒らされ様で済んだみたいだなと、悪い予感が当たってしまわなくてよかったと零が安堵する。
それでも決して、完全にノーダメージというわけでもないだろうに、その痛みをおくびにも出さない沙織の手慣れた反応に感心した彼は、素直にそのことを賞賛した。
「……大人なんすね、喜屋武さんは。上手く言えないけど、そんな感じがするっす」
『はっは~! そだよ~! お姉さんは20歳を超えた立派な大人なんさ! 泡盛だって堂々と飲めるし、おっぱいもこんなにおっきいんだもんね~!』
「ふくっ! そ、そういう意味じゃないんですけど……」
『あはは、わかってるわかってる。……二年前から諦めることとか、割り切ることが段々と得意になってたからね。そういう意味では、私も知らず知らずのうちに大人になってたってことなのかなぁ……?』
しみじみと、ほんの少しの寂しさを湛えた沙織の言葉には、零も深い共感を禁じ得なかった。
毒親と我儘な弟のせいで家族から見放されていた自分もまた、彼らに期待することや助けてもらうことを諦めながら生きてきた。
沙織もまた、二年前にアイドルという夢を諦めざるを得なくなった時点で、様々な事柄に対する諦め癖がついてしまったのだろう。
なんとなく、自分と彼女は似ているんだな……と、そういった境遇や性格の類似点を見出した零が思う中、その沙織が明るくとも静かとも取れる声で、こんな風に語り掛けてきた。
『ありがとね、零くん。君には本当に色々と助けてもらっちゃってるね』
「気にしないでくださいよ。同僚なんだから、助け合うのは当然でしょう?」
『それを抜きにしても助かっちゃってるよ~! お礼に今度、ちょっとだけだったらおっぱい揉ませてあげてもいいよ~!』
「断固拒否します! そんなことしたら、今度は俺が炎上するでしょうが!!」
冗談、冗談……と、からからと笑いながらセクハラ発言を撤回する沙織に大きな溜息を吐く零であったが、実はちょっとだけ勿体ないなとも思っていた。
まあ、沙織がこんな馬鹿げたことを本気で言っているはずがないとは頭ではわかっているのだが、それでも期待してしまうのが健全な青少年の性というやつなのだ。
また、お馴染みのお茶らけか……と、そんなことを考えながら半笑いで話を聞いていた零であったが、続いて聞こえてくる沙織の声が真剣なものであることに気が付き、ぴくりと眉を動かして反応を見せる。
『……本当に感謝してるんだよ。お陰で私は、二年前に置きっぱなしにしちゃってた忘れ物を取りに行けそうだからさ。これが吉と出るか凶と出るかは全部私次第だっていうのなら……燃えるっきゃないよね』
その声からは、沙織の本気が感じ取れた。
二年前、不幸に襲われた彼女が置いてきぼりにした、アイドルという名の夢ともう1度真っ向から対面する機会が訪れたことに、今度は沙織も恐怖してはいない。
正真正銘、全力で、過去の仲間たちとぶつかり合うつもりなのだと、彼女の言葉を聞いた零には理解できた。
「本気で大丈夫ですか? この作戦、喜屋武さんの負担がデカいと思うんですけど……」
『ああ、そのことね。確かにちょっち厳しいかな~、って思ったけど……大丈夫だよ。今の私、過去一で調子がいいみたいだから』
零の不安も一蹴し、調子の良さを伺わせる言葉を口にする沙織は、本当に頼もしく思える。
この作戦の成否を決めるキーパーソンである彼女の満ち足りた雰囲気にPCの前で笑みを浮かべた零が、彼女ならば大丈夫だという確信を抱いたその時、沙織が不意にこんなことを言った。
『……ねえ、零くん。ちょっとお願いがあるんだ。歌配信の……【SunRise】のデビューライブの日、李衣菜ちゃんたちに会いに行ってほしいの。それで、伝えてほしいことがあるんだ』
「えっ……!?」
突然の頼みに困惑する零は、流石にそれを快諾することは出来なかった。
デビューライブというとても重大なイベントを行っているアイドルグループに、面識はあるとはいえ一般人である自分が会いに行くなど、到底不可能としか思えないのだが……と、返事に迷う零へと、沙織が慌てた様子で言葉を付け加える。
『あ、ああ、大丈夫だよ。きちんと会いに行ける手筈は整ってるからさ。警備員さんを強引に突破してくれってわけじゃないから、安心して』
「あっ、そ、そうなんすね? それじゃあ、別に構わないですけど……」
スパイ映画のように警備の目を掻い潜り、こっそりと対象と接触しろという無理難題を押し付けられたわけではないと知った零が安堵の溜息を漏らす。
そうした後、ならばと沙織からの頼みを引き受けた彼は、続けてその目的について尋ねた。
「それで、何を伝えればいいんですか? っていうかそれ、直接喜屋武さんが会って話した方がいいこととかじゃないですよね?」
『あはは、大丈夫だよ。全てが終わったら、きちんと自分の口で伝えるべきことは伝える。そう決めたからさ。……だから、これは特別。私の行けないライブの日に、信頼できる零くんだからこそお願いする、極秘のミッションなのだ!』
おどけた口調ながらも、どうやら沙織が自分に頼もうとしていることは結構真剣な内容であることを悟った零が気を引き締め、彼女の言葉に耳を傾ける。
PC越しの会話である故に、表情は見えないものの……零の雰囲気を察知した沙織は、彼がしっかりと自分の想いをかつての仲間たちに伝えてくれようとしていることに感謝しながら、その伝言を彼へと告げた。
『あのね――』
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