真実は、どうして秘匿された?
平坦に、淡々とした声で、話をしていた沙織の言葉に、僅かな哀しみが宿った。
その悲哀は犯人の死を悼むが故に生まれたものなのか、あるいは真の意味で己の罪から逃げ出した男の行動に怒りを通り越して憐みを抱いたが故に生じたものなのかは、零には判断がつかない。
ただ、唯一の未来への指標ともなり得る犯人の贖罪を見届けるという行為すらも奪われた彼女が、深い絶望を味わったことだけは想像がついた。
「なんで……その情報を、開示しなかったんですか? ファンには詳しい事情を伝えられなくっても、親友だった小泉さんには事情を説明することだって――」
「出来なかったんだ。その理由は、3つある。1つ、精神的なショックが大き過ぎた私が、手術後数日間に渡ってまともに会話が出来る状況じゃなかったってこと。この間に、【ワンダーエンターテインメント】は私の引退を決めた。傷を消すことが不可能なんだもん、アイドルとしての価値が消えた私を残しておくメリットは何一つとしてないってことくらい、私にもわかるさ」
僅かに感情の揺らぎを感じさせる声で、沙織が零の質問に答える。
その僅かな震えを感じさせる声の様子から、彼女が李衣菜や仲間たちに対して真実を伝えられなかったことや、そのせいで今現在の混乱を招いていることを後悔しているであろうことを感じ取った零は、ただ黙って沙織が語る3つの理由へと耳を傾けた。
「……2つ、この事件について、事務所からの口止めがあったんさ。さっきも言った通り、犯人の動機は【SunRise】の内部事情をよく知る誰かが流したデマを真に受けたってことだった。【ワンダーエンターテインメント】は、それが【SunRise】のメンバーの誰かだって考えてたみたい。……詳しく事情を話せば、李衣菜ちゃんたちも事件の全てを知ることになる。情報が流出すれば、ファンのみんなの間にもよくない噂が広がっちゃう。あの時はまだ、【SunRise】のデビューが取り止めにならない可能性があった。そのためには、メンバーにもファンたちにも、余計な動揺を与えることは禁物だって……そう、当時の担当者さんに言われちゃってね。それを真に受けちゃったからな~……」
「じゃあ、小泉さんたちは本当に何も知らないんですか? 事務所からも、喜屋武さんの身に何が起きたのかを教えてもらってないってことなんですか?」
「多分ね。何らかの事件に巻き込まれて、アイドルとしての活動が困難になったって話くらいはされてると思うよ。ただ、デビューが完全に流れてからは、私の話は
【ワンダーエンターテインメント】としては、当時力を込めたプロデュースを行っていた【SunRise】のデビューを流さないために必死に手を回していたのだろう。
センターを務めていた沙織が事件に巻き込まれ、引退を余儀なくされた際も、悪手であることを理解していながらもその道を突っ走るしかなかった。
結果として、その判断は大きな過ちであり、今や過去の事件の真実や沙織の引退理由を開示したところで、ファンたちの暴走は押し止められないところまで炎上の規模は大きくなってしまっている。
2年前、正しい形で処理しなかった時限爆弾が大爆発を起こし、より大きな被害を生み出している様を、当時の関係者たちはどんな気持ちで見守っているのだろうか?
少なくとも……沙織と同じくらいの後悔を抱いていてくれなければ、大人たちの言葉を信じた彼女が報われないではないかと、零は思う。
そうして、そんなことを考える彼へと、沙織は3つ目の理由を言葉として紡ぎ出した。
「……そして、3つ目。純粋に、単純に……嫌だった。自分の口で、李衣菜ちゃんに真実を告げることが怖かった。もう一緒にアイドル出来ないって、世界一のアイドルになるっていう夢も叶えられなくなったって、そう伝えるのが本当に、本当に……苦しくって、逃げちゃったんだ。たった1回だけの、最初で最後のチャンスを自ら放棄した私は、それから二度と李衣菜ちゃんと話すことなく時を過ごし……昨日、久々の再会を経験した、ってわけ」
最後の理由を語る沙織の声には、ありありと後悔の感情が滲み出ていた。
何故あの時、恐怖や苦しみを耐えて親友に真実を伝えられなかったのかと、そのせいで李衣菜を傷付け、何も告げずに消えた自分を信じ続けてくれた彼女を深く傷つけてしまったのだと、沙織は2年前の自分の弱さを激しく悔いている。
けれども、零は彼女の弱さを責める気にはなれなかった。
若干18歳、高校も卒業していない子供であった当時の沙織に、その決断を下させるにはあまりにも惨過ぎる。
自分が彼女であったとしても、親友に赤裸々に全てを話した上でもう一緒に夢を追うことは出来ないと宣告することなど、到底出来るとは思えなかった。
「……これが、2年前に起きた事件の全て。アイドルだった喜屋武沙織が、【SunRise】を脱退して芸能界を引退することになった理由だよ」
そう言って、力なく笑った沙織の目は、僅かに充血しているように見えた。
ここまで壮絶な過去を語り、体と心に刻まれた傷跡を曝け出したというのにも関わらず、涙の1滴も零さない彼女の姿を目の当たりにして、零は理解する。
沙織の時間は、未だに2年前で止まったままなのだ、ということを。
子供の頃から追い続けてきたアイドルになるという夢を木端微塵に粉砕され、犯人の贖罪を見届けるという現実を受け止めるために必要なステップさえ踏むことが出来ず、親友に何も告げずに目の前から去ることになってしまったことを後悔し続けることしか出来ない日々を、彼女は2年もの間、送り続けてきた。
絶望の海に沈んだ心が、錆び付いてしまった夢の重しを捨てることを許してはくれない。
呼吸も出来ない深海で藻掻き、苦しもうとも、物心ついた時から抱き続けてきた夢の残骸を捨てることが出来ないまま、沙織は今日まで生き続けてきたのだ。
もしも事務所が別の判断を下し、李衣菜や仲間たちに事情を説明した上で夢を託すようにして納得のいく形での引退が出来ていたならば、あるいは、彼女の人生を狂わせた男が己の罪を償おうとする様を見守り続け、心の内の痛みと向き合うだけの時間が作れていたならば……沙織が苦しみ続けることもなかったのだろう。
アイドルになる、という夢を捨て去る切っ掛けを、沙織は完全に失ってしまった。
それが故に、その夢は呪いとなって彼女を苦しめ続け、過去の痛みと首に残る傷跡と共に彼女の心を蝕んでいるのだ。
そこまで理解して、考えた零は、最後に残った謎にもまた答えを見出していた。
大きな事件とスキャンダルが原因で芸能界から消えた沙織が、どうしてまたこの世界に戻ってきたのか?
それも
その答えもまた、彼女が捨て切れなかった夢の中に存在していたのだ。
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