羊、来る
このまま引退したとしても、自分の過去のせいで起きた炎上は収まらない。
零の言う通り、悪化の一途を辿るだけだ。
【CRE8】のみんなも、かつての仲間である【SunRise】も、自分が居なくなったバーチャル界とアイドル界でこの事態をどうにかすべく奮闘し続けることになるのだろう。
ここで引退し、『花咲たらば』としても『喜屋武沙織』としても世界から消えることが責任を取る正しい方法ではないことは理解していた。
そんな風に格好をつけるのならば、歯を食いしばってでもこの炎上に立ち向かうことこそが正しい責任の取り方であることもだ。
『花咲たらば』を応援してくれているファンを裏切りたくない。『喜屋武沙織』を応援してくれていたファンを裏切りたくない。
かつての仲間をこれ以上失望させたくもないし、新しく出来た仲間を置いて逃げ出すなんて真似もしたくない。
そして何より……沙織にとって最後のチャンスである、Vtuberという名の夢の切符を手放したくはないと、強く彼女は思っている。
深く暗い海の中で、彼女は一縷の希望を見た。
Vtuberとしてならば、『花咲たらば』としてならば、もう1度だけ夢を見られるのではないかと、そう思うことが出来た。
重しとなり、塩水で錆びて朽ちかけているこの夢が再び輝きを取り戻せたのは、Vtuberという存在に出会えたからだ。
ここで逃げたら、もう次はない。一生自分は後悔し続けながら生き続けることになる。
わかっている、わかっていた、理解している、身に染みる程に理解出来ていた。
だが、それでも……どう立ち向かえばいい? 己の過去に、この痛みに、どう向き合えばいいというのだ?
『喜屋武沙織』としてこの問題に対処することは出来ない。自分に出来るのは、『花咲たらば』として活動し続けることだけ。
そうなれば、沙織の方から自身の過去について触れることは出来ない。否定も出来なければ、釈明も出来ないのだ。
魂である沙織が前に出てしまうというのは、それは許されざる行為。Vtuberとしての最後の一線を超えてしまうもの。
であるならば、この問題に一切触れず、ただ鎮火を待って黙り続けることが唯一の選択肢となるのであろうが……本当に、それでいいのだろうか?
「……また、ドツボに嵌っちゃいそうだな」
答えの出ない苦悩に頭を抱えて、延々と1人で孤独に悩み続けて……そんな自分の姿を想像した沙織が、自嘲気味な呟きを漏らす。
裸のままの彼女がそんな苦しみを吐露した、その時だった。
「……?」
ピンポーン、という暗い沙織の胸中とは裏腹な軽快な音が響く。
それがこの部屋のチャイムであることに気が付き、すっかり夜も深くなってきたこの時間帯に自分を訪ねて誰かがやって来たことに驚いた彼女は、インターホン越しに来客者の正体を確かめてみると……
『あ、あの……入江、です……ちょっとお話、出来ませんか?』
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