やられっぱなしで済ませるもんか!

 返ってきたメッセージが謝罪の文章ではなく、罵倒が並ぶものであることを見て取った有栖が諦めの表情を浮かべる。


 何となくわかってはいたが、そもそも簡単に自分の非を認めて謝罪するような人物ならば、最初からこんな真似をしたりはしないだろう。

 こうして自分から直に拒絶の意志を伝えられれば何かが変わるかもしれないと思ったが、相手には何も響かなかったようだ。


【本当は裏で男たちとよろしくやってるんだろ? 可愛い子ぶってんじゃねえよ】

【入院した時にそのまま〇んどきゃよかったのになwwwゴミカス女がいなくなった方が世の中のためだろwww】

【いじめられてたのにも納得のメンヘラ具合だな。そのまま一生ネットの玩具になっとけよ】


 こうして有栖が相手に自分の忠告が届かなかったことを残念に思っている間にも、次々と罵倒のメッセージが送られてきている。

 事ここに至ってまだ罵詈雑言を吐き続けるこの人物には、これ以上どんなに言葉を尽くしても無駄だろう。


 これからも暫くは粘着されて暴言を吐き続けられるのだろうが、グロテスクな男性器の写真や自慰に使ったティッシュの画像を送られるよりかは何十倍もマシだ。

 単純な脅し文句や嘲りの言葉なら、いじめられていた頃にこれでもかと浴びせられたお陰で慣れてしまっているし、直接手を出せるわけでもない相手からの言葉に怯える必要は何処にもない。


 まあ、こんな不用意な真似をしてしまったことに関しては、薫子に怒られてしまうかもしれないがそれを差し引いたとしても相手に対する恐怖心が消え去ったことは大きな収穫だ。

 ここからは相手の言葉を無視し、事務所が犯人の特定を済ませるまで待とう……と、結論付け、相手との会話を止めようとした有栖であったが、その目に気になるメッセージが映った。


【散々人の心を弄んでおいて、都合が悪くなったらポイかよ。マジで性格の悪い女だな】


「……はい?」


 ぴしりと、有栖は自分の心の中の我慢の堤防にひびが入ったことを感じた。


 人に卑猥な画像や完璧にアウトなセクハラ文章を送り付け、粘着質に付きまとってきた癖に、どうしてこいつは被害者面が出来るのだろうか?

 仮にこの人物が羊坂芽衣の配信に来てくれるリスナーだったとしても、捨て垢を使っている時点で彼が誰であるかなど有栖がわかるはずがない。

 そもそも、多額の投げ銭をしてくれたファンであろうとも、だからといって人に犯罪同様のセクハラ行為をしてもいいはずがないのだ。


 自分がやっていることが悪いことだと騒がれて、不安になって発狂して、そこから更に芽衣に拒絶されてまた発狂して……どうしてこの流れで自分が被害者だと思い込める? 悪いのは羊坂芽衣の方だと思えるのか?

 その自分勝手な言い分は、これまで相手から散々ストレスを与えられてきた有栖の堪忍袋の緒を切れさせるには十分過ぎるだけの威力を誇っており……無言のまま、無表情のまま、スマートフォンを手に立ち上がった彼女は、すたすたと足早にキッチンに向かうと、冷蔵庫の中からお気に入りのいちごミルクを取り出して配信部屋へと向かった。


 防音設備が整えられている部屋のドアを閉め、軽く深呼吸。

 飲み物のキャップを開け、腰に左手を当てて、右手に持っているボトルを傾けて一気にいちごミルクを飲み干した有栖は、再び深呼吸をした後、思いの丈を思いっきり叫び散らす。


「ふざっ、けるなぁぁぁっっ!! あんなもの送られて誰が喜ぶもんか!! 怖かったに決まってるじゃない!! Mだのマゾだのご主人様になってあげるだの、気持ち悪いとしか思えないに決まってるじゃないっっ!! それを、こんな、さも自分は悪くないって態度で……!! にゃあああああっっ!!」


 珍しく大声を出し、防音室の中で不満をぶちまけた有栖は、ドタバタと部屋の中を転げまわりながら手にしているスマートフォンを睨む。

 今もなお送られ続けているメッセージの相手に対する怒りはこれまで堪えてきた反動の分、いっそう大きく膨れ上がっており、とにかく何か一言でも言い返してやらなければ気が済まないという気持ちで有栖の意志は固まっていた。


「むにむむむぅぅぅぅっ! ふんにゅぅぅぅぅ……っ!!」


 どこか愛らしくもある鳴き声を上げ、怒りを示す有栖。

 その感情はそのままに、相手に対する文句を考えていた彼女であったが、多少の落ち着きを取り戻したことで自分の中の理性が下手なことを言うのはやめろという忠告をしてきた。


 確かに、相手を刺激するメッセージを送ることが今後の自分の活動の不利益になる可能性は十分にあり得る。

 また薫子に迷惑をかけることを避けるためにも、ここは無視の一択が賢い判断だということは有栖も理解は出来ていた。


 だが、しかし、その理性を以てしても……この怒りは、そう簡単に鎮められるものではない。

 これまで何も言わなかったことに増長し、どうせこのメッセージは表に出ないのだろうと高を括って、思う存分に、好き勝手に、罵詈雑言を浴びせかけてくる相手にどうして遠慮しなければならないのだという思いがあることもまた確か。


 深呼吸を繰り返し、バタバタと脚をばたつかせ、呻きとも鳴き声ともつかない珍妙な声を上げて、そうやって数分の間、悩みに悩んだ有栖は、長々と綴られている相手へのメッセージを読まずに、簡潔な文章をメッセージ欄に打ち込む。


【これ以上、私にはあなたとお話することはありません】


 相手を徹底的に無視して、後の対応は全て事務所側に任せる。これが正しい行いだという確信もある。

 しかして、やっぱりこのまま言われっぱなしで終わるのは嫌だという最後の意地が心の中から顔を出した瞬間、有栖の頭の中に昼間の薫子との会話が思い浮かんできた。


「よぉし……!!」


 どうせ相手は、このやり取りが晒されることはないと踏んで好き勝手に言っているのだろう。

 その考えは正しいし、彼とのやり取りをSNS上に上げるつもりなど有栖には最初からないが、それを理由に調子に乗らせるのも頭にくる。


 このやり取りが公の場に出ないというのならば、それを笠に着た相手が好きに暴言を吐いているというのなら……自分だって、普段は言えないようなことを言ったっていいはずだ。


 自分に敬意を払わない相手に、どうしてこちらだけが敬意を払わなければならないのか? ……先日の騒動で、蛇道枢こと零がアルパ・マリに言い放ったその言葉を思い返しながら、有栖が先の文面にとある一言を付け加える。

 普段の彼女ならば絶対に言わない、思い付くことすら有り得ないその短い言葉が追加されたメッセージを確認した有栖は、鼻から息を吹きだすと共に送信ボタンをタップした。


【これ以上、私にはあなたとお話することはありません。黙っていてください、粗チンさん】


 薫子の言葉を借りた、とても下品で卑猥な言葉。

 しかし、相手への意趣返しとしてはうってつけのその単語は、非常に深くまでセクハラ魔の心を抉ったようだ。


【死ね! っていうか殺す! 絶対にお前は殺す!!】

【平気でそんなこと言えるってことは、やっぱりヤリマンなんだろ!? 男のチ〇ポなんて見慣れたもんなんだろ!?】

【性悪メンヘラビッチが! 豚どもにちやほやされて調子乗ってんじゃねえぞ!】


 発狂度合いが更に加速し、最早狂乱する相手の顔が浮かび上がるまでの暴言メッセージを送ってくるセクハラ魔の姿を想像した有栖であったが、その胸中には怒りも恐怖も愉快さも湧き上がってきていない。

 ただ淡々と、何を言われても、今の彼女は機械のように同じメッセージを送り返すのみだ。


【これ以上、私にはあなたとお話することはありません。黙っていてください、粗チンさん】


【誰が粗チンだ!? 適当なこと言ってるとぶっ殺すぞ!!】

【SNS越しだからって調子乗るなよ!? 絶対に特定して、お前んところに押しかけてやるからな!】


【これ以上、私にはあなたとお話することはありません。黙っていてください、粗チンさん】


【それしか言えないのか!? BOTみたいに同じこと繰り返してないで、何とか言ってみろよクソメンヘラ!!】


【これ以上、私にはあなたとお話することはありません。黙っていてください、粗チンさん】


【あ~あ、お前やったわ! お前、俺をブチギレさせたね? もう絶対に許さねえからな!!】

【お前がCRE8の社員寮に住んでることはわかってるんだよ! これからその場所を特定して、建物ごとお前を焼き殺してやる!】

【お前みたいなクソ女のせいで何の罪もない同僚やスタッフが死ぬなんてかわいそ~!! 地獄で詫びとけよ、ゴミ女!!】


【これ以上、私にはあなたとお話することはありません。黙っていてください、粗チンさん】


【いい加減黙れよこの馬鹿!! お前のヘドロみたいな口臭が画面越しにも伝わってきてるんだよ!】

【ゴミ! カス! 死ね!! このやり取りもネットに晒してやるから覚悟しとけよ!!】


【これ以上、私にはあなたとお話することはありません。黙っていてください、粗チンさん】


【死ね!!!!!!!!!!!! 絶対に殺してやるからな!!!!!!!!!!!!】


 完全に理性を失った相手が捨て台詞を残して逃げ去ったことを確認した有栖は、1つの仕事をやり遂げた満足感にむふぅと鼻を膨らませて笑う。

 が、随分と品のないことをしてしまったという自戒の念も少しはあり、これを後々薫子に報告すると考えると若干気持ちが暗くなることも確かだ。


 それでも……ここ最近、自分を悩ませていた相手をやり込められたことが、彼女の心にすっきりとした爽快感をもたらしてもいた。

 心なしか軽くなった気分に笑みを浮かべた有栖は、同時にこのやり取りで発狂した相手が、本当に過激な行動を起こしたらどうしようかと今更ながらに不安になったりもしたのだが――


「……あれ? そういえば、確か……!」


 ふと、ここまでのメッセージを読み直した彼女は、あることに思い至るとPCを起動し、カタカタとキーボードを操作してとあることを検索し始めた。

 そして、その結果として自分が求めていた情報を得ることが出来た彼女は、今度こそ心の底から笑みを浮かべ、そして――





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