後悔、自分に何が出来る?
「……クソが。何も知らねえ癖に好き勝手言いやがって……!!」
匿名で語れるインターネット掲示板の書き込みを見ていた零は、その内容の悪辣さに嫌悪感を剥き出しにしながら呻き声を漏らした。
深夜に差し掛かりつつある時間帯の病院。
その中で1人椅子に座り、佇んでいた彼は、背後から迫る足音に顔を上げるとそちらの方向へと振り向く。
そうすれば、血相を変えた様子の薫子が、足早にこちらへと駆け寄って来る姿が目に映った。
「ごめん、零。それで、有栖の容態は……?」
「……強烈なストレスで参っちまったんだろうって、病院の先生は言ってた。薬をがぶ飲みしたとかそんなわけじゃあなさそうだから、落ち着けばすぐにでも退院出来るってさ」
「そっか……あんたから連絡を受けた時にはどうなるかと思ったけど、あの子の命が無事で良かったよ」
「入江さん、今は点滴打って眠ってるところだ。容態も安定してるし、明日の朝には目を覚ますはずだって」
弄っていたスマートフォンを上着のポケットにしまいながら、有栖の容態を薫子に説明する零。
恐れていた最悪の事態を回避出来たことと、自身の心配が杞憂に終わったことを安堵する彼であったが、同時に上司である彼女に謝らなければならないことがあることも理解していた。
「……ごめん、薫子さん。俺、ちっとしゃしゃり出ちまったみたいだ。今度は洒落にならない炎上かましちまったよ」
「有栖の配信を切ったことかい? あれはあんたが気にすることじゃあないさ。あのまま放置していてもファンたちが余計に騒ぎ立てただろうし、何かの拍子に有栖の名前や住所がバレる可能性があったんだ。蛇道枢として配信を終わらせたあんたの判断は、決して間違いじゃあなかった」
「でも、結果としてまた俺は炎上しちまった。しかも今回は入江さんを巻き込んでの大炎上だ。なんかもっと、上手い方法があったんじゃないかってずっと考えちまうんだよ」
「零、思いこみ過ぎだって。あの緊急事態で、有栖がどんな状態かもわからない状態で、思考がまともに働くはずがない。それでもあんたは十分によくやった。【CRE8】の社長として、責任者として、あんたの叔母として……私は、あんたの行動は正しかったって、絶対に言い切ってやれるよ」
「………」
力強く薫子に励まされようとも、零の心が晴れることはない。
つい今しがた見てしまったインターネット掲示板の書き込みや、TwitterをはじめとしたSNS上でのVtuberファンたちの反応が、脳裏にこびりついて離れないのだ。
羊坂芽衣は、蛇道枢と同棲しているのか?
あの弱々しい性格は全て演技で、リスナーたちを騙していたのか?
【CRE8】は彼女を脅迫し、自分たちの思うがままに動かしていたのか?
他にも先の配信で浮かび上がった様々な疑問や懸念点について、ファンたちは納得のいく説明を要求している。
この件について、彼らに伝えられることはどれだけあるのだろうか?
その情報だけで、この炎上を鎮火させることは出来るのだろうか?
これが蛇道枢だけの炎上で済むのならばそれでいい。だが、今回は勝手が違う。
折角これまで一生懸命に活動し、人前に立つ緊張と重圧に耐えながら順調に人気を得ていた羊坂芽衣の、入江有栖のVtuberとしての活動に陰りを落とすような事態になってしまったことを、零は激しく後悔していた。
あの放送事故を経て、謂れなき暴言と好機の眼差しを浴び続けて、有栖は再びVtuberとして活動出来るようになるだろうか?
今の羊坂芽衣は多くの非難を受け、これまでの配信も弱々しい少女を装ったロールプレイなのではないかという疑いの目を向けられている状態だ。
そんな重圧を感じながら有栖が配信を行えるかどうかと聞かれたら……おそらく、答えはNOなのだろう。
余計なことはせず、無言で配信を切るべきだったのではないだろうか?
蛇道枢の存在を感知させずに配信を終わらせれば、少なくとも羊坂芽衣が男と同棲しているという悪評は立たなかったはずだ。
そうすれば、その噂を根幹としたバッシングも起きなかっただろうに……と、後悔する零は、再び近くのベンチに座ると、意を決した雰囲気で薫子へと1つの提案を行う。
「薫子さん、やっぱもう無理だよ。蛇道枢は引退させるべきだ。このままじゃ俺のせいで【CRE8】の所属タレント全員に迷惑がかかっちまう」
「……なに弱気なこと言ってるんだ。まだまだこれからだろう?」
「もういいんだ、薫子さん。俺の境遇に同情して、居場所を作ってくれたことには感謝してる。でもこのままじゃ、薫子さんの努力の結晶である【CRE8】が潰れちまうよ。実際、入江さんは俺のせいでとんでもない被害に遭った。最初に俺とコラボ配信するって話が出なきゃ、あの人がこんな目に遭うこともなかったんだ。今回の騒動の責任を蛇道枢に押し付けて、俺をクビにしたっていえば、きっとファンたちも喜んでその判断を賞賛するはず――」
「……零、少し黙って。私は、あんたをクビにするつもりはない。蛇道枢も引退させるつもりはないよ」
自分に責任を押し付け、それでこの騒動を決着させろと提案する零の言葉を途中で遮った薫子は、彼の隣に座ると大きく溜息を吐く。
どうしたものか、何から話したものかと考えているような表情を浮かべた彼女は、再び溜息を吐くと共に、自分を見つめる零へとこう話を切り出した。
「……あんたは、私を甘く見てるよ。私はね、いくらあんたが可愛い甥だからって、両親から家を追い出された可哀想な境遇だからって、それに同情して会社の大事な業務を任せたりなんかしない。あんたをうちのVtuberタレントとしてデビューさせたのには、あんたならこの大役を任せられると思ったからだ」
「……女性ファンを掴むなら、もっといい声してる奴とか特技がある奴だっているはずじゃないですか」
「違う、そうじゃない。私があんたをスカウトしたのは、あんたが表も裏もない真っ直ぐな男だったから。そして、あんたが人の弱さに寄り添える人間だからなんだよ」
「人の、弱さに……?」
そう、自分をVtuberとしてスカウトした理由を告げた薫子へと零が視線を向ければ、彼女は何処か遠くを見つめながらこんな風に言葉を続ける。
「Vtuberに限った話じゃないが、ああいった活動をする人間ってのは眩いくらいの光と漆黒なんて表現すら生易しい闇の両面に触れるもんさ。うちのタレントたちはみんな、配信ではキラキラした自分を見せているが、その裏では何百倍もの苦労や困難に直面してる。厄介なファンへの対応、配信企画の準備、謂れなき誹謗中傷やアンチやなんやらかんやら……本当、
「………」
「そして、それはあの子たちを応援するファンたちも同じだ。夜空に輝く星座が綺麗であればあるほど、それに手を伸ばすことを躊躇う人間だっている。この小さな携帯機器の画面の向こう側にいる存在が、宇宙の果てにいるように感じられるような……強い光に自分の中の闇を暴かれることを恐れて、立ち止まってしまう人間だって山ほどいるんだ。私は、そんな人間の弱い部分に寄り添ってやれるような誰かを欲していた。煌びやかな世界で、たった1人だけ燃えて、火だるまになって、ボロボロになったとしても負けずに歯を食いしばって立ち上がれる誰かを探してたんだ」
自らのスマートフォンを取り出し、真っ黒な画面を見せつけながら語った薫子が、真っ直ぐに零の目を見つめた。
その視線と言葉を受け止めながら、それでも納得出来ない零は、彼女へと噛み付くようにして言葉を発する。
「じゃあ、その条件を満たせる女を見つければいい。【CRE8】は女性アイドルVtuberを擁する事務所。男のVtuberなんて、誰も欲してないんだから」
「違う。【CRE8】はアイドルの事務所なんかじゃない。全力で今日を生きる人間を応援し、そいつらの明日を創り出すための活動を行う場所だよ。現に今、うちでVtuberとして活動してる奴らには、変えたい今があって、なりたい自分がいる。私はただ、そいつらの熱に惚れ込んで、そいつらが自分の手で明日を創り出す光景を間近で見たいだけなのさ。偶々、1期生全員が女だったせいで、ファンたちも何か勘違いしてるみたいだが……【CRE8】の本質は、理念は、そういうものなんだ」
そう語る薫子の言葉に、零は同僚であり、今も眠り続けている有栖のことを思い出す。
彼女は気弱で臆病な自分を変えるためにVtuberとして活動している。
緊張するとパニックになってしまう彼女が、それを押し殺しながら毎日のように人前に立ち続けるというのは、自分の想像を遥かに超えた気合が必要なのだろう。
強い自分になりたい。弱い自分に負けたくない。変えたい今があって、叶えたい自分の姿がある。
それが、有栖の熱。彼女が恐怖を抑えて配信という名の舞台に上がり続ける、最大の理由。
薫子を惚れ込ませたその熱に、夢に、思いを馳せた零は、ぐっと歯を食いしばると苦し気に吼えた。
「なら、猶更俺は必要ない。俺にはそんな熱はない。俺はただ、生きるためにこの仕事をしてるだけだ。俺にはそんな、なりたい自分や叶えたい夢なんてもんは、ない……!!」
「あるさ。あんたには自分が気が付いてないだけで、心の中に熱いものを持ってるんだよ。私はそれが燃え上がるところを見てみたい。だから、あんたをスカウトした。これまでずっと酷い目に遭いながらもへこたれず、人の弱さや醜さを見続けてきたあんただからこそ出来る何かが、実現出来る何かがある。私が蛇道枢に、阿久津零に期待してるのは、そういうことなんだ」
「……わかんねえよ。俺になにが出来るのかも、俺が何を期待されてるのかも、全然わからねえよ。こっから俺、どうすればいいんだよ……!?」
事務所に女性ファンを付けるために、丁度良いところにいたからスカウトしたわけじゃない。
薫子には、零に見せてほしい何かがあった。だから彼を蛇道枢として【CRE8】でデビューさせることに決めた。
だが、それを伝えられたところで今の零に自分が何を成すべきなのかを理解出来るはずもなく、途方に暮れるばかりだ。
そんな零の様子をちらりと横目で見た薫子は、座っていたベンチから立ち上がると……彼の肩を叩き、静かに告げる。
「……もう、今日は帰りな。んで、また明日ここに来るといい。あんたが寄り添うべき弱さと、あんたを導いてくれる星がきっと見つかるはずだから」
「え……っ?」
意味深な言葉を口にした後、有栖を担当する医師の下へと、彼女の容態を確認するために歩いていく薫子。
その背を呆然と眺める零であったが、何かを思い出したかのように足を止めた彼女が振り返る姿に、びくりと体を震わせる。
「……ありがとうね、零。有栖のことを助けてくれてさ」
「あ、いや、その……」
しっかりと、自分がすべきタレントのフォローを代わりに行ってくれた零への感謝を告げてから、今度こそ医師の下へと薫子が歩んでいく。
再び、その背を見送りながら……零は、彼女の言ったことの意味を考え続けるのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます