遭遇、同期の少女
「おーおー、今日もご苦労なことで……」
仕事用のスマートフォンを手に、SNSに送られてくるコメントを眺めた零が他人事のように呟く。
とっとと消えろ、だの推しと関わったら殺す、だのの刺激的なメッセージを確認することも、既に慣れて何も感じなくなってしまっていた彼は、一通りの確認を終えるとスマホをキッチンに置くと、コンロに置いてあるカレー鍋のふたを開け、鼻歌交じりに中身をかき混ぜていった。
「ふんふん、ふふんふ~ん……」
焦げ付いた感じもなく、出来上がりは上々。
一晩置いたから味も良い感じに熟成されているだろうと思いながら、1人で食べるには随分と量の多いそれの仕上げにかかる。
用意されている皿は2人分。
1つは勿論零のものであり、もう1つはそろそろこの部屋を訪れる薫子のために用意したものだ。
ここは、【CRE8】に所属するスタッフに用意された社員寮。
左程大きな建物ではないが、なかなかに設備の揃ったマンションが社員たちのために割り当てられている。
料理のためのキッチンや完備された風呂トイレ等の水回り、更には防音室も用意されてるということもあって、Vtuberタレントの中にはこの寮で生活を送る者も少なくはないらしい。
らしい、というのは零が未だに自分以外のVtuberと顔を合わせていないことが起因であり、噂は聞いているが実際に見たことはないので断定出来ていない……という情報はまあ、今はどうでもいいだろう。
とにかく、零は【CRE8】事務所のほど近くにあるこの寮に住んでいて、今は打ち合わせがてら昼食を取りに来る薫子を部屋で待っているという状況だ。
忙しい日々を送る彼女のためにと栄養のある昼食を用意している零であったが、その途中でカレーをランチで食べた薫子が、文字通りのカレー臭を漂わせることになったらマズいかもしれないなという懸念を抱く。
が、もうここまで用意してしまったし、彼女もカレーは好物なのだから別に構わないだろうと、一種の開き直りと共に昼食の準備を進めていると、部屋のチャイムが鳴った。
「はいは~い、今出ますよ~」
コンロの火を止め、ばたばたと玄関へと向かう零。
なんだか夫の帰りを待っている専業主婦のようだなと思い、このまま炎上が収まらなかったら薫子の家で主夫として雇ってもらうことも検討しようかななどと考えつつ玄関のドアを開けた彼は、そこに立っているであろう薫子へと声をかけたのだが……?
「早かったっすね。薫子さんが時間通りに来ることなんて、滅多に、ない……?」
「あ、あの、ど、どうも……」
遅刻魔である薫子が、約束の時間よりも早く部屋に来るだなんて奇跡だとからかいの文句を口にした零は、返ってきた声が明らかに彼女のものでないことに気付いて眉を顰める。
よくよくドアの向こう側を見てみれば、そこには中学生としか思えない低い身長をした女の子が立っているではないか。
おどおどとした様子を見せるその少女は、長めの前髪で目を隠しているため感情と表情が読み取りにくい。
が、しかし、その声と雰囲気から彼女が緊張していることは明らかで、初対面の零とどう話せばいいのかがわからなくて困っている様子だ。
「……どちら様で? 【CRE8】のスタッフさん?」
「あ! ひゃ、ひゃいっ! そうでしゅ! じゃなくて、そうです!」
びくんっ、と小動物のように体を跳ね上げ、噛み噛みの口調で零の質問に答える少女。
社員寮にいるのだからほぼ間違いなく事務所のスタッフなのだろうとはわかっていたが、問題はその続きの言葉が彼女の口から出てこないところだ。
何の用で零の部屋に来たのか、少女自身の名前は何なのか、そういった話を何もせず、ただびくびくとしているだけの彼女に訝し気な視線を向けていると……。
「お待たせ~! おっ、
「しゃ、社長……!」
少女の背後から姿を現した薫子が、いつも通りの陽気な声を出しながら自分たちへと話しかけてきた。
有栖、と呼ばれた少女が驚きと安堵を入り混じらせた声を漏らす中、視線を零へと向けた薫子は玄関の向こう側から漂ってくるカレーの臭いに鼻をひくひくさせると笑みを浮かべながら言う。
「取り合えず、中に入らせてくれない? 私、もうお腹ぺこぺこでさ~! 積もる話はご飯食べながらする、ってことで!」
――――――――――
――――――――――
「どうぞ、お口に合うかはわかりませんが……」
「あ、あ、あ、ありがとう、ございます……」
3分後、食器をもう1つ増やした零は、それに盛りつけたカレーを有栖と呼ばれた少女へと手渡しながら、未だに距離感に悩んでいた。
ここまで一切の説明もされず、彼女が何者であるかもわからないでいる零が食卓に着くと同時に、ほくほく顔の薫子が元気いっぱいの挨拶を口にする。
「では、いっただっきまーす! ん~、やっぱ零は料理上手だね~! いつ食べても美味しいよ!」
「あ、うっす。ありがとうございます。初めて無水カレーに挑戦してみたんで、ちょっと出来上がりに不安があったんですけど、美味しいって言ってもらえて安心しました」
「へぇ、そうなんだ! 通りでいつもと味が違うと思った! でも、美味しいのは変わらないね! 有栖もそう思うでしょ?」
「ぴぇっ!? あ、そ、そうですね。おおお、美味しいと、思い、ます……」
急に話を振られ、またも小動物のように椅子に座った状態で大きく跳び上がりながらも薫子の質問に答える有栖。
そんな彼女の様子を見た零は、これはどういうことだと視線で薫子へと質問を投げかける。
「……ふう。さてと、そろそろ打ち合わせをしておこうか。有栖、こいつは私の甥で、あんたと同じ2期生Vtuberである『蛇道枢』の魂を担当してる阿久津零だ」
「こ、この人が、あの……?」
薫子の口から紹介を受け、少し落ち着きを取り戻した有栖が零へと視線を向けてくる。
こちらが彼女の方を見返すと、びくっと体を震わせて顔を逸らしてしまうところを見るに、未だに警戒心が緩んではいないのだろう。
まあ、あれだけ炎上やら悪評やらで有名になってしまった自分の正体を知ればそれも当然の話か……と思いつつ、薫子へと視線を戻した零は、先の彼女の言葉の中で引っかかった部分について尋ねてみた。
「薫子さん、さっきこの子に、あんたと同じ2期生って紹介しましたよね? ってことは――」
「ああ、そうだよ。この子の名前は
「は、はじめ、まして……入江有栖、です。自己紹介が遅くなって、すいません……」
「あ、どうも……阿久津零です。どうぞよろしく」
そう、改めて有栖を紹介された零が再び彼女へと視線を向ければ、今度は精一杯の勇気を振り絞った有栖がか細い声で自己紹介をしてくれた。
やはり前髪で目が隠れているので目を合わせていると言っていいのかがわからないが、とにかく自己紹介を行い、互いの名前を知れたことで関係性は一歩前に進んだと、そう思いつつ零は薫子へと目を向ける。
どうしてこのタイミングで、同期である有栖と自分を引き合わせたのか?
再び、声ではなく視線で質問を投げかけてみれば、お行儀悪くカレースプーンを1回転させた薫子は、ニヤリと笑ってから信じられないことを言ってのけた。
「零、有栖、あんたたち、2人でコラボ配信をしな!」
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