第211話「神のみぞ知る」

 とある日曜の休日、一人で家を出たオレは近所にある喫茶店に足を運んだ。

 席は一番奥の窓際、よく利用する二人用の席の片方に腰を下ろすと、やってきた従業員の女性にオススメと記載されているブレンドコーヒーを頼む。

 スマートフォンを手に、鬼国〈スサノオ〉の情報を集める為にネットサーフィンをしていると、運ばれてきたコーヒーが目の前に置かれた。


「お待たせ致しました、こちら当店オリジナルのブレンドコーヒーです」


「ありがとうございます」


 礼を伝えると、ウェイトレスの女性は「ごゆっくりどうぞ」と言ってその場からいなくなった。

 湯気が出ているカップの中身を、少しだけ口の中に含み飲み込む。

 ほろ苦く深い旨味に、何だかホッとする。

 ──というのも、容姿が変化してから久しぶりとなる一人の外出。

 周囲の視線に、今は少しばかり緊張をしていた。

 パーカーのフードで目立つ銀髪は隠しているけど、少し離れた席にいる三人の高校生っぽい少女が、


「あの人ってアスオンで有名な〈白銀の付与魔術〉じゃない?」


「本当だ、よく見たらフードから少しだけ見えるのって銀髪だね」


「やだ、すっごい可愛い!」


 と此方を見て、話をしているのが聞こえてくる。

 近づいてこられたら面倒だな、と思ったオレは話し掛けられないように、顔を外に向け視線を合わせないようにした。

 だが熱の入った女の子達は、オレの事を話題にして盛り上がっていく。

 そして遂に話しかけようと、立ち上がるような雰囲気を感じた、そのタイミングであった。

 ──カラン、と誰かが喫茶店の中に入ってくる。

 誰かがその人物を見て「あ、神様だ」という呟きをすると、瞬く間に店内の空気が一変した。

 腰を上げた女の子は動きが止まり、彼女達だけでなく、喫茶店にいる全ての者達が現れた一人の少女に注目する。

 そんな中を白髪の少女は、ゆっくりした足取りで進み、オレが陣取っているテーブルの対面側で足を止めた。

 続けてパチン、と右の親指と中指を擦り合わせ音を鳴らすと、周囲から音が消える。

 これは会話が聞こえないように、周囲に結界を展開させたのだろう。

 更に何らかの効果もあるのか、周りから向けられていた関心は無くなり、何事もなかったかのように他の人達は席に戻った。

 文字通り神の技を見せた、白髪の少女──エル・オーラムは、どこか楽しそうな顔をした。


『どうもこんにちは。ソラ様が冒険者の権限を使って、私に連絡を取るなんて珍しいですね』


「……ああ、悪い。どうしてもエルに、一つだけ確認したい事があって」


『ふむ、それは一体何でしょうか』


 引いた椅子にゆっくり腰を掛けた彼女は、テーブルに肘をついて、興味深そうに此方を見つめる。

 底が見えない金色の瞳は、見ているだけで心が惹き込まれそうになる神聖さを秘めていた。

 普通の人間なら目を合わせただけで、神である彼女に心が折れてひざまずこうべを垂れるだろう。

 だがしかし、オレの身体は〈色欲の大災害〉との戦いで人の枠を逸脱し、天使という存在に一歩近づいた。

 神聖な瞳に屈する事なく、真っ直ぐに見返し、一つの疑問を投げ掛けた。


「エル、君は一体何者だ」


『今更な事を聞きますね、もちろん全能なる神様ですよ』


「全能なら、これを説明できるか?」


 ポケットから一枚の写真を取り出し、テーブルの上に置く。

 すると写真を見た、エルの表情から初めて余裕の笑みが消失した。


『これは……』


「オレの部屋に飾っていた家族の集合写真、それに重ねて入っていた物だ」


 自分がテーブルに置いた写真は、小学一年生の頃に、家の前で撮ったものだった。

 写っているのは自分と詩織、その真ん中には──エルにそっくりな、白髪の少女がいた。

 全能なら答えられる筈だが、エルは写真を凝視して固まっている。その表情は、ここに在ってはいけないモノに対し、驚いているように見えた。


「ここに写っているのは、どう見てもエル、君にしか見えない。それと最近、この女の子に関する記憶を、断片だけどいくつか思い出して……」


 これを口にするか、一瞬だけ躊躇ためらった後、オレは意を決して目の前にいる少女に告げた。


「君とオレは昔からの知り合い、そんな気がするんだ」


『…………』


 全て聞いたエルは、写真を両手で丁寧に拾い上げ、それを大事そうに胸に抱く。

 そして場の雰囲気は、一瞬にして変貌した。


『アハ、アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!』


 急に大声で笑い出し、彼女はその内側に隠していた神威を開放した。

 まるで光り輝く太陽が、目の前に出現したような、圧倒的な存在感に思わず言葉を詰まらせる。

 店内にいる人達は、結界の効果なのか彼女が放つ圧の影響を受けておらず、変わらない日常会話を続けていた。

 もしも、これが彼らにも届いていたら、間違いなく全員気絶していただろう。

 日常と非日常、相反する二つが混在する店の中で、オレは歯を食いしばって狂喜を孕んだ神威を耐え続けた。

 数十秒間の睨み合いが、高密過ぎるエルの神威によって、何時間以上にも感じられる。

 額に浮かんだ汗が、流れ落ちるのすらゆっくりに感じられる中。

 不意に、その巨大な圧が消失する。

 気が付けば、彼女は笑うのを止めて、実に楽しそうにオレの顔を見詰めていた。


『ああ、なるほど。ソラ様は遂に人である事を……』


 立ち上がり、エルは写真を空中に放る。

 宙を舞った写真は、彼女の力によるものか綺麗な放物線を描いて、自分の手のひらに落ちた。

 戻ってきた写真を見た後、ふと顔を上げると、いつの間にか真横にエルが移動して来ていた。

 びくっとなり、危うく後ろにひっくり返りそうになると、彼女はオレの顔を胸に抱く。

 急な抱擁ほうように思わず固まると、彼女は愛おしそうに頬ずりした。


『ふふふ、アドナイは全くもう。こんな形で私に意地悪をしてくるなんて、本当に酷い子ですね』


「アドナイ……?」


『ソラ様も、何度か会った事ありますよ。分かりやすく言うなら、私にそっくりな〈アストラルオンライン〉の神様です』


「まさか、オレの夢の中に何度か現れた……!?」


 顔を上げると、エルは両手を離して後ろに一歩下がった。


『教えてあげるのは、ここまでです。私が何者なのか知りたいのなら、あの子が用意した最初の舞台──〈四聖の指輪物語〉をクリアして下さい。そこからが、きっと本当の始まりなのですから』


「おい、それは一体どういうッ!?」


 去ろうとするエルを逃すまいと、椅子から立ち上がり、捕まえようとした瞬間だった。

 伸ばした手が白髪の少女を捕らえる寸前、真横から突如出現した手が、オレの右手を掴んで阻止した。

 ビックリして視線を向けた先には、白いマントを羽織り、全身に白い鎧を纏った騎士がいた。

 こんな目立つのが喫茶店にいたら、流石にバカでも気がつく。つまりコイツは、何らかの力で隠れていたか、或いは瞬間移動してきた可能性が高い。

 思わず固まってしまうと、ゆっくり出入り口に向かって歩くエルは、楽しそうに答えた。


『彼の名は、ザドキエルさん。私の配下であり、〈守護機関ガーディアン〉の第二部隊を担当する隊長さんです』


「ザド、キエル……」


 腕を引いても押しても、力が強すぎて全くビクともしない。

 ランクを上げて、〈アストラルオンライン〉のステータスが反映されているというのに、ザドキエルの筋力値は自分以上であった。

 ならばとまなじりを釣り上げ、付与スキルを解禁して〈攻撃力上昇〉で真紅の粒子を解き放つ。

 白い騎士の拘束を、全力で振り解こうとすると、


「ッ!?」


 力の方向を謎の技術で受け流され、気が付けば地面に転がっていた。

 ハッキリ言って、何が起きたのか全く理解できない現象であった。

 混乱する思考の中、手を離したザドキエルは余裕の足取りで自分から離れ、エルの側まで歩み寄る。

 立ち上がろうとしたオレは、そこで凄まじい威圧感を正面から叩きつけられ、片膝をついた姿勢で動けなくなった。


 ──合計で五人の騎士が、いつの間にか彼女の周囲に出現していた。


 鎧のデザインは全く同じだが、その中でも唯一、一本角の騎士だけ次元が違う圧を放っている。

 例えるならば、世界大会五連覇を成し遂げた王者、月宮詩乃に匹敵する程の闘気だった。

 そして他の騎士達も、秘める実力は自分と同等か、それ以上に感じられる。

 彼らの中心に立つ、主であるエル・オーラムは、誰もが見惚れる満面の笑みを浮かべると。


『ソラ様、また会いましょう』


 指を鳴らすと、彼女を中心に白い騎士達は光に包まれ、その場から姿を消した。

 ……世界は、もしかしたら大変な事になるかも知れない。

 そんな予感がしたオレは、手にしていた写真を強く胸に抱いた。



第三章──完

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