第205話「海の国の決戦③」

 まさかのボスの逃走?

 いや違う。これはハンティングアクションゲームとかで良くある、モンスターのエリア移動か。

 洞察スキルで敵の行動を読み取りながら、オレとシノは空中で姿勢を制御して地面に着地する。

 ダメージは受けなかったが、後一歩という所でヤツを取り逃してしまった。

 お互いに相手の顔を見ると、シノは真剣な眼差しで小さく頷いた。

 戦いはまだ終わっていない。

 師である彼女は、アイコンタクトでオレにそう伝えると、直ぐに身を翻して急ぎ仲間達の元に戻った。

 予想もしていなかった事態に、攻略部隊とトビアが率いるエノシガイオスの騎士隊は激しく動揺していた。

 それはオレの仲間達も同じであり、


「おいおいおい! まさかの逃走だと!?」


「まさかあの翼で本当に飛べるとは、完全に油断していたのじゃ!?」


「不味いですね、他の冒険者達は周辺のモンスターの襲撃で手一杯のはず。オマケに城の主力は此方にいるので、残っているエノシガイオスの警備兵でアレを相手にするのは……」


 シンとイノリとロウも、額にびっしり汗を浮かべて深刻な事態に厳しい顔をする。

 確かにエリア移動とはいえ、向かった先でヤツが何もしないで待っているとは考え難い。それに状況が分からない地上の部隊は、オレ達がヤラれたと思って攻撃を仕掛ける筈だ。

 現状で考えられる最悪のパターンは、オレ達が地上に戻ったら〈アスモデウス〉の『魅了』によって地上にいる全ての者達が敵になっている事。

 想像するだけでもゾッとする光景だ。

 歌姫の力で解除できるとはいえ、その効果範囲は限られている。

 少しでもリスクを回避するには、一秒でも早く地上に戻らなくては。


「おのれ大災害! 形勢が不利と見て逃走するとは!」


 国王のトビアですら焦りを見せる中、王妃サラは冷静にオレ達が入ってきた扉を、どうにか開けようと努力しているエノシガイオスの騎士達に歩み寄り、


「その扉は復活した〈アスモデウス〉に汚染されて、固く閉ざされています。今から歌で汚染を解除するので、皆さんは扉から離れて下さい」


「王妃、時間はどれだけ掛かりそうですか?」


「シノ様……最低でも五分は掛かると思います。そこから地上に戻るまで最短でも三分。最悪の場合を考えるのなら、地上にいるエノシガイオスの者達は〈アスモデウス〉の魅了で敵になっている可能性が高いですわ」


「……そうですか、分かりました」


 シノが眉をひそめ、作業の邪魔にならないように扉と向き合うサラから離れた。

 彼女とシオは即座にウィンドウ画面を開き、仮想キーボードを早打ちする。

 恐らくは、上にいる冒険者達に状況の説明をしているのだろう。

 身動きが取れない現状では、これ以上ない程に冷静で的確な行動である。

 かつてない窮地きゅうちに、他の皆は顔を真っ青にしながらも覚悟を決めたのか。使い捨てのアイテム『修繕しゅうぜんの布』を手にし、先程の戦いで消耗した装備の耐久値を回復させるためにき始める。


「……ッ」


 天使の力を持っているのに何もできないオレは、悔しくて奥歯を噛みしめた。

 こんな時、神話で描かれている天使のように翼があれば、空を飛んでヤツを追いかける事が出来るのに。

 だがユニークスキルには、MP無限と〈セラフィックスキル〉を使用可能になるくらいで、空を自在に飛ぶような効果は一つも無い。

 最強だと皆から言われても、敵が手の届かない所にいれば何もできなくなる。


 ……自分は万能ではない。


 だからこれは、仕方のない事だ。

 それでもこうして棒立ちしていると、無力感を悔しく思い、胸を刃物で刺されるような鋭い痛みを感じる。

 それを一体となっているルシフェルが黙って見ていると、不意に頭の中で一つの質問をしてきた。


『……マスター、空を飛びたいんですか?』


(ああ、そうだ。でもオレは高く跳ぶ事は出来ても、本当に空中を飛ぶことは……)


『マスターが望むのなら、その力を解禁する事ができます』


「は?」


 サポートシステムの突然の言葉に、オレはビックリして思わず疑問の声が出てしまった。

 周囲の視線が集まると、慌てて「何でもない」と言って首を横に振る。

 その後は話し掛けられないように、逃げるように背中を向けた。

 隣にいるクロは、キョトンと可愛らしく首を傾げるだけで、どうしたのか聞いてくることはなかった。

 オレは一安心しながらも、先程の〈ルシフェル〉の発言の真偽を確かめる為、彼女に再度問いかけてみた。


(ルシフェル、望むなら飛ぶ力を解禁するって、一体どういう事だ)


『実は二つ目の指輪を入手した際、マスターの堕天使化〈ルシファー〉は第一封印を解除する条件を満たしました。ただその封印を解除してしまうと、マスターには大きなデメリットが一つだけ生じる事になるので、今まで黙っていました』


(オレに大きなデメリット?)


『はい、それは……』


 少し間を開け〈ルシフェル〉は、ユニークスキルを進化させる事で生じる問題を正直に答えた。


『……封印を解くことで、今後二度と〈ルシファー〉を使用しても、今までのように男性の姿に成ることが出来なくなります』


「ッ!?」


 ビックリして思わず声が出そうになるのを、オレは何とかギリギリの所で耐える。

 この姿に成れなくなるとは、一体どういうことなのか。

 頭の中で説明を彼女に求めると、ルシフェルは珍しく真剣な声色で話を続けた。


『マスターが現在所持しているユニークスキルは、実は魔王シャイターンが天使長から獲得したものを、呪いで付与されている形になります。その為にスキルは大部分が封印されていて、出力も不安定でした」


 なんで呪いでユニークスキルが獲得できたのか、不思議ではあったがそういう仕組みだったのか。

 封印されている事には驚いたが、それでもこれまでの戦いを思い返すと、このスキルがどれだけ凄いものなのか察する事ができる。

 呪いというオマケが無ければ、これ以上ない贈り物なのだが、そこは邪悪な魔王なので仕方ない。


『今までは不安定な天使化の副作用で、男性に一時的に戻っていましたが、封印を解く事で安定してそれが無くなります』


(なんで今になってその事を?)


『マスターは女の身体である事に、表面上では平気な振りをしていますが、深層では強い抵抗感を抱いています。ですから勝手ながら、この事を黙秘していました』


 つまり彼女はオレの事を思って、スキルが進化できる事を黙っていたのか。

 普通のAIでは有り得ない行動だが、そもそもこの世界〈アストラルオンライン〉は常識というものを遥かに逸脱している。

 これまでサポートシステムでありながら、自分の中にいるルシフェルは明確な自己を持ち、人間と遜色そんしょくない有り様を見せてきた。

 だから彼女が、システムとしての枠を越えて『教えない』選択をした事に、オレは全く驚かなかった。

 それよりも、どこか申し訳無さそうな雰囲気のルシフェルに、思わずくすりと笑ってしまうと、


(わかった、気遣ってくれてありがとう)


『マスター?』


(でも今のオレに必要なのは、皆を守る為の力なんだ。……確かに少しでも男に戻れたのは嬉しかったけど、だからと言って力が足りなくて、周りが傷付いてしまう事の方がオレは辛いし耐えられない)


『ですが、ですがマスター。それだけではありません。天使の力が強くなる事で、同時にマスターの存在が、人間という枠から外れ天使に近づく可能性があります。貴方はそれでも』


(……良いよ。オレは少しでも強くなれるのなら、例えこの身が本物の天使になっても構わない)


『……マスター』


 脳裏に思い浮かぶのは、酷評され傷ついた金髪碧眼の少女──イリヤの姿だった。

 この世界で元気そうな本人と出会って、少しは安心したけれど、あの時の事は今も胸の奥底に刻まれている。

 自分に力があれば、あんな事にはならなかった。力が足りなくて、後悔するのはもう沢山なんだ。

 そして今は、あの時よりも守らなければいけない事が増えてしまった。

 いつ現実世界で、現実化した〈アストラルオンライン〉のモンスター達や災害が大切な者達に牙をくか分からない。

 周りにいる大切な人々を守りたい。

 妹を、親友達を。

 師匠を、共に戦ってくれる仲間達を。

 いつも隣にいてくれる、最も大切なパートナーの少女を。

 皆を守れるのならオレは、


 ──人である事を捨てても良い。


 覚悟の思いを、直接受け取ったルシフェルは、長い沈黙の末にオレの目の前に一つのウィンドウ画面を表示させた。


『……分かりました。ではこれより、プレイヤー【ソラ】のスキル〈ルシファー〉の封印解除を開始します』


 要求されたのは、スキルの第一封印を解除する事に対する【Yes】か【No】の二択だけだった。

 迷う必要なんてない選択肢に、オレは心に決めた引き返すことの出来ない道を指先で叩いた。

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