第200話「蒼玉の指輪」
朝早くに起床すると、神里市に降り注いでいた大雨は消失していた。
嵐の前の静けさを感じながらも、一階に降りたオレは妹の詩織と、泊まりに来ていた
一応テレビを確認してみたら、そこには自称神様の白髪少女、エルの姿があった。
リアルタイムのライブ中継で、彼女は沢山の報道陣を前にして堂々と演説している。
内容は、大雨が消失した件について。
これから数時間後、世界中で大洪水レベルの災害が起きようとしているらしい。
回避する為には色欲の大災害〈アスモデウス〉を倒すしか道はないと、彼女は真剣な眼差しで世界中の人々に語っていた。
(なるほど、だから雨が止んだのか)
大雨消失の理由に納得したオレは、手にしているスマートフォンを見てみる。
するとSNSでは、今回も大災害に自ら挑むトップクランの〈ヘルアンドヘブン〉と〈宵闇の狩人〉に対して世界中の人々から応援するコメントで溢れていた。
その中でやはり一番目を引くのは、今までボスモンスター討伐に大きく貢献してきた自分──〈白銀の付与魔術師〉の名だった。
顔の見えない大勢の人々の声援は、有り難いけど同時にイリヤの件を思い出し、複雑な心境にさせられる。
正直に言って、気持ちは少しだけモヤッとした。
(……落ち着け。オレは世界の為じゃなく、元の姿に戻る為と身近にいる人達を守る為に戦っているんだ)
自分にそう言い聞かせながら、気を引き締める。液晶画面から視線を外すと、再びテレビに映っているエルを見た。
彼女はカメラを前に、大洪水が起きた際に行う一時的な最終防衛について解説している。
その内容とは海と陸地に巨大な結界を作り、大雨を一時的に防ぐ作戦だった。
防いでいられる時間はおよそ二時間が限界、もしも今大洪水が発生したらお昼前には世界が終わる事になる。
だが勿論、今回もそんな結末を迎える気は、自分の中には一切なかった。
(王国には既に師匠達が集まってくれている。冒険者の精鋭が力を合わせれば、今回も大災害を倒す事ができる筈だ)
エルの説明に耳を傾けていると、不意に玄関の呼び鈴が鳴り響いた。
オレは立ち上がり、玄関に向かう前にテレビモニターで確認をした。
すると扉の前で待っていたのは、長い黒髪で片目を隠しているのが特徴の少女
素早く玄関に向かうと、扉を開けて軽い挨拶を交わした後に彼女を家に上がらせる。
リビングのソファーに座ってもらい、お茶を出して一息つけると、そこでオレは一つの提案をする事にした。
「えーっと、今日はいよいよ海の国に到着するんだけど、ログインしたら先ず祈理には指輪チャレンジを受けて欲しいんだ」
「……わ、我がチャレンジするの?」
「ああ、何となくだけどオレの直感が、祈理なら選ばれそうな気がしたんだ」
ユニークアイテムである天使の指輪には
、持ち主を選ぶ性質があり、指輪に選ばれなければその力を得ることは出来ない。
黎乃は〈
真司は〈
そして〈
だけど何よりも、今回彼女を選んだのには大きな理由がある。
それはとてもシンプルな内容で、
「今回の旅は、君がいてくれて助かったし、何よりも久しぶりに一緒に遊べて楽しかったからさ。オレからのお礼だと思って欲しい」
「……うん、分かった。そういう事なら、喜んでチャレンジさせてもらいます」
話が決まったので、それからオレ達は早速〈アストラルオンライン〉に向かう事にした。
詩織は自室でログインをする為にいなくなり、黎乃と祈理は母親の部屋を割り当てたのだが。
やはり二人は、オレの部屋にやってきて、隣でログインしたいと頼んで来た。
仕方ないので、以前と同じように床に布団を敷いたオレ達は、川の字になって寝る事にする。
VRヘッドギアを装着して寝転がると、腕に抱きついて大きな胸を押し付けてくる祈理が、小さな声で
「……我の方こそ、ありがとう。蒼空君、大好きだよ」
「う、うん」
断られても変わる事のない彼女の好意に、申し訳ない気持ちと感謝の気持ちで一杯になる。
首を縦に振る事はできないけど、オレは口元に微笑を浮かべた。
それだけでも十分だと言わんばかりに、小さく頷いた祈理は、ヘッドギアで唯一隠れていない口元を
「むぅ……」
すると反対側で、腕に引っ付いている黎乃が、少しだけ腕を抱きしめる力を強くした。
ビックリして、急にどうしたのか気になり、チラリと横目で見た。
だけどヘッドギアで隠れている彼女の今の表情は、全く分からなかった。
口元がへの字になっている事から察するに、黎乃が不機嫌なのは間違いないだろう。
「黎乃?」
小さな声で問い掛けてみたけど、返事は全く返ってこなかった。
ささやかな胸を押し付け、黎乃はじっとオレがログインの合図を出すのを待っている。
こうなると口を開いてくれない事は、この数ヶ月の付き合いで理解している。
そっとしておいたら、その内に機嫌を直してくれるだろう。
というわけで気を取り直したオレは、姿勢を真っ直ぐにして仰向けになった。
(相変わらず、女の子の考えは全く分からないな……)
どんなゲームよりも、複雑で難解な問題に苦々しく思いながら。
オレは異なる世界に転移する為の、たった一つのワードを左右にいる二人に聞こえるように大声で告げた。
「それじゃ、海の国を救いに行くぞ。カウント開始、3、2、1──ゲームスタート!」
◆ ◆ ◆
「な、なんか外から物凄い音が聞こえるんだけど……」
〈アストラルオンライン〉に移動して、最初に声を出したのはクロだった。
周囲の景色が切り替わると同時に、室内に聞こえてきたのは、この旅で何度も耳にした巨大モンスターの雄叫び。
ほぼ同時に身体を起こした、自分とクロとイノリの三人は、顔を見合わせて船の状況を確認する為にベッドから飛び出した。
「まさか船が襲撃を受けてる?」
「その可能性は大なのじゃ!」
隣で装備を整えながら、イノリが意見に同意する。
船が大きく揺れて、転倒しそうになるクロを助けながら、オレは〈白銀の魔剣〉を手にして額に汗をにじませた。
ログインして早々にヤバい状況なのかも知れない。
予定していた〈蒼玉の指輪〉チャレンジを一旦中止にすると、オレ達は確認するために部屋から出た。
目的地は甲板。床を蹴って走り、二人と一緒に真っ直ぐ向かった。
そのまま勢いよく甲板に出ると、船員達が集まっているのが目に留まる。
彼等は大砲を使って何かと戦ったり、船の操作に専念しているわけではなかった。
何やら遠く離れた場所を眺めて、まるで子供のようにはしゃいでいた。
一体何を見ているんだと思い、移動して彼等と同じ方角を見てみると、
そこには──巨大なクジラ〈カーム・ホエール〉がいた。
しかもイソギンチャク型の巨大モンスター〈カリブディス〉を、体当たりで海上に打ち上げ光の粒子に変える。
リアルワールドと同じように、モンスターがモンスターを倒す衝撃的な光景。
驚きの出来事は、それだけではなく〈カーム・ホエール〉は他にも四体いた。
船の左右に等間隔に並び、戦いから戻ってきた一体を合わせ、合計で五体が船を外敵から守るように左右で泳いでいる。
「なんだこれは……」
「初めて海に出た時に見た、大きいクジラさんだね!」
全く状況が理解できなくて困惑しているオレの隣で、クロはクジラの潮吹きで発生した見事な虹に目を輝かせた。
取り敢えず自分は、この現状について誰か説明できる者はいないのか周囲を見回す。
するとそこに、タイミング良く船長のルーカスがやって来た。
「流石にソラ様も、ビックリしたようだな」
「船長、これは一体何が起きてるんだ?」
「耳を澄ませば、どうしてこうなったのかが分かるぞ」
「耳を……」
ルーカスに言われた通り、意識を集中させて周囲の音に耳を傾けてみる。
そうすると波の音と共に、風に乗って美しい透明感のある歌声が聞こえた。
まさかと思い、その歌声が聞こえる方角に視線を向けた先は船の船首だった。
オレは船の先頭に立つ、一人の少女が作り出した光景に目を奪われた。
「……ラウラ?」
思わず、少女の名が口から出る。
船首には青い鎧ドレスを身に纏う歌姫が、頭の青い翼を左右に広げ立っていた。
周囲には淡い光の粒子がリズムに応じて七色に輝き、彼女が立つステージを色鮮やかに支援する。
しばらく甲板上にいる全員と一緒になって聞き入っていると、歌い終わったラウラは此方を振り向いた。
そして小走りで駆け寄ってくるなり、彼女は綺麗なお辞儀をした。
「皆様、おはようございます!」
「おはよう、ラウラ。この状況は一体……」
「つい先程、妾達を国に帰還するのを妨害するようにモンスターが出てきたんです。そしたら頭の中に声が聞こえて、素敵な歌を歌ってくれたら〈エノシガイオス〉に着くまで守ってくれると言われたので、ものは試しと歌ってみたら」
「あの〈カーム・ホエール〉達が助けてくれたと?」
「はい、これには妾もびっくりしました」
笑顔で嬉しそうに語る彼女に、オレは頬を緩ませる。
まさか〈カーム・ホエール〉がアクティブモンスターから守ってくれる条件が、歌を聞かせる事だったとは。
胸に抱かれているスライムのスーちゃんも、ラウラの歌にご満悦といった感じだった。
「まぁ、何事もなくて良かった。この世界に来るなりモンスターの雄叫びが聞こえたもんだから、大ピンチなのかと思ったよ……」
連携して接近するモンスター達を、次から次に返り討ちにする白いクジラ達は実に心強い味方だ。
このペースなら、あと一時間後には海の国に着くとルーカスから言われたので、オレは当初の目的だった〈蒼玉の指輪〉をイノリに渡す事にする。
皆が見守る中、アイテムストレージから一つの希少な指輪を取り出した自分は、彼女の手のひらに置く。
その際にラウラの羨ましそうな視線が突き刺さって実に痛いが、これはあくまでも戦力強化の一環なので鋼の意思で無視した。
「これが天使の力を宿した指輪……」
指輪を受け取ったイノリは〈錬金術士〉の性なのか興味深そうに観察する。
色んな角度から見た後にタッチしてプロパティを見ると、ようやく満足したのかそこで観察するのを止めた。
イノリは「チャレンジするのじゃ」と呟き、深呼吸を一つする。
それから皆に注目される中で、恐る恐るといった感じで自身の右手の薬指に指輪をゆっくり通した。
(どうだ……?)
指輪を完全に通し終えるが以前に〈ルシフェル〉から聞かされていた、失敗した場合に弾かれる現象は発生しない。
数秒のタイムラグの後に指輪は、主と認めた彼女の指にフィットした。
「ソラ君、ガブリエルのスキルを獲得したのじゃ!」
成功して喜んだイノリは、その勢いでオレに抱き着いてくる。
とっさに受け止めた自分は、喜ぶ彼女を見てホッと息を吐いて一安心する。
その場にいた全ての者達は、四人目の天使が誕生した事を、万感の思いを込めた大きな拍手で祝福してくれた。
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