第199話「黎明の恋心」

 優しい風を受けて、長い黒髪が揺れる。

 黒い鎧ドレスを身に纏うわたし──クロは、膝を抱えるように船首に小さい腰を下ろした。

 この周囲には、自分以外に人の姿は一つもない。

 少し離れた場所からは、沢山の船員達が談笑している声が聞こえてくる。

 それに背を向けて、わたしは不気味なくらいに真っ黒な海面を眺めた。


「いよいよ、色欲の大災害〈アスタロト〉との決戦か……」


 明日の昼には、この船は海の国に到着するらしい。

 そういうわけで、旅が無事に終わる事を祝い、甲板ではルーカスが仕切って最後の宴会が始まっていた。

 わたしは海を眺めながら、ここに来る際に見た、メインマストを中心に集まった人達の姿を思い出す。

 これが最後の航海だからとソラは、お世話になった船員の皆に料理を振る舞うのを兼ね──何故かニューハーフのコックと、謎の料理バトルを繰り広げている。

 審査をする者は勿論、王族でありこの船の中で誰よりも優れた舌を持つ歌姫のラウラだった。

 船長を含め船員達は、二人が作り出す大量の料理を前に、談笑をしながらこの旅で起きた色々な事──主に自分達が行っていた大型モンスターの狩りについて楽しそうに語っていた。

 ちなみにイノリに関しては、料理を傍らに置いてずっと趣味のアイテム作成に没頭しており、母親のアリサは何処にいるのか分からなかった。

 

 そして自分は、大勢の人達が集まる輪の中に入らず、一人で月明かりに照らされる薄暗い海を眺めている。

 来る途中でソラから料理対決に参加するか聞かれたのに、それを断って一人になる事を選んだ。

 理由は簡単な事で、この数日間で未だに答えを出せないでいる“思い”について、一人で考えたいから。


「諦めない事、か」


 頭の中に思い浮かべるのは、この数日間ずっと考え続けた後に、一つの答えを出した歌姫の姿だった。

 断れても尚、ラウラはソラの事を思い続ける事を決めた。

 そんな彼女の姿を見て、わたしの胸中には言葉にする事のできない、複雑な感情が渦巻いていた。


 ……ちゃんと思いを伝えないで、このままパートナーとして彼の側にいる事に、満足していて良いのだろうか。


 イノリは過去に告白して、断られても未だに諦めていない事を明言した。

 周りが歩みを進めている中で、自分だけがどこか現状に満足して足を止めてしまっている。

 かと言って、このままソラに対し正直に思いを告げたとして、成功するビジョンは全く見えない。

 頭の中で断られる未来を想像すると、胸がギュッと締め付けられるような痛みを感じた。


「二人共、すごいなぁ」


 好きな相手に、思いが受け入れられないかもしれない。

 それを考える事が、今まで体験してきたどの戦いよりも恐ろしく感じられる。

 そんな恋の戦場に足を踏み入れ、見事に玉砕したにも関わらず、二人は諦める事を選ばずに再び立ち上がった。


「同じことをして、ソラに断られて、わたしは立ち上がれるのかな……」


 自分に対して質問をしてみるけど、答えは一つも出てこない。

 だからわたしは、自分の中にある彼に対する思いに、再度向き合う事にした。


 ──思えば、最初に彼の事が気になったのはシノから見せられたスライム狩りだった。

 相手は最弱のスライムとはいえ、世界王者のシノに勝るとも劣らない動き、そして何よりも全力で楽しんでいる表情に、気が付いたら自分は釘付けとなっていた。


 すると運命の巡り合わせか、キリエに預けていた剣を取りに行くと、そこには店番をしていたソラがいた。

 初めて彼と行った〈決闘〉では、接戦の末にわたしが敗北した。

 これには、本当に心の底から驚かされた。

 わたしはプロゲーマーである副団長のグレンを含め、殆どのトッププレイヤー達に勝利して、自分に勝てるのはシノくらいだと思っていたから。

 そして友人となってくれた彼とアリアとの冒険は、とても楽しかった。

 この世界には、パパとママが消えた理由を探しに来たのに、彼等との旅はハラハラとドキドキする毎日だった。


 ──思えば、パパを神殿で助けてくれたその時、わたしは彼の事が心の底から好きになったのだ。


 戦う姿が格好良くて好きだ。

 一緒にいると楽しくて好きだ。

 心折れない強い彼の事を、隣でずっと支えてあげたい。

 好きだ、好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好き──大好きだ。


「うん、わたしはソラの事が好き……好きだよ……ソラ………ッ」


 強くなる思いを、何度も確かめるように言葉にして、苦しくなる胸を両手で上から強く押さえつける。

 こんなにも心が張り裂けそうな気持ちを伝えたとしても、頷いてもらえない可能性が高い。

 そんな事を考えると、このまま海に飛び込んで消えてしまいたくなった。

 でもそんな事は許されない。

 一体この思いをどうしたら良いのか分からなくて、身体を小さくして苦しさに耐えていると。


 自分の隣に、誰かが腰を下ろした。


 一体誰だと思い視線を向けると、そこには姿が見えなかった母親のアリサがいた。

 彼女は、いつもの優しい微笑みを浮かべ、自分の事をじっと見ていた。


「ママ……」


「クロちゃんは、ソラ君の事が好き?」


「……うん」


「でもクロちゃんは、まだ思いをちゃんと伝えていないのよね」


「……うん」


「なら先ずは、アナタの事が世界中の誰よりも好きなんですって、ハッキリと伝える所から始めなきゃ」


「でも今のソラに言っても……ぴぇ!?」


 俯いていると、軽く頭に衝撃を受けた。

 涙目で恐る恐る見上げたら、どうやらアリサが右手で手刀を作り、それを振り下ろしたらしい。

 母親は少しだけ呆れた様子で、縮こまっている自分に向かって口を開いた。


「恋は恐れるモノじゃないわ」


「おそれる、ものじゃない……」


「ええ、そうよ。一回でオーケーを貰えるなんて、とても奇跡的で幸運な事なのよ。例え断られても、本当に彼の事が欲しいのなら粘って勝ち取らなきゃ!」


 握り拳を作り、アリサは力説する。

 そんな母親の姿を見て、自分は一つだけ頭の中に浮かんだ事を尋ねることにした。


「ママの恋は、どうだったの?」


「もちろん激しい戦いだったわ。何せハルト君、恋愛に対して超が二つ付くくらいの鈍感男なんだもの。好きってハッキリ伝えたのに、俺を動揺させる為の盤外戦術とは中々やるなって言われた時は、コイツぶっ殺してやると思ったくらいよ」


「うわぁ……」


 勇気を持って告白したのに、そんな反応をされたら心が折れるかも知れない。

 アリサが語ってくれた、エピソードにドン引きしていると、彼女は更に話を続けた。


「でも彼に思いがちゃんと伝わっても、自分は君に不釣り合いだからって言われて断られたわ。頭に来た私は、そこでどうしたと思う?」


「……えっと、さっきの話だと諦めないで、パパにアタックし続けた?」


「その通り、彼が住んでたアパートの隣に引っ越しをして、今まで以上に側にいるようにしたわ。……それを一年ぐらい続けてたら、ハルト君がこんな提案をしてきたの──君が対戦ゲームで、俺に勝つ事ができたら付き合うって」


「け、結果はどうなったの」


「お互いに思いを込めた全力の勝負をして、最後に私が放った槍が彼の胸を貫いて試合はそこで終了。VRヘッドギアを外したら、負けたハルト君から──出会ったときから君の槍に胸を貫かれていた、付き合って下さい──って告白されて、そのまま結婚まで何事もなくゴールインよ」


「そうなんだ、良かった……」


 両親の影響で自分も、それなりに漫画やアニメを見たりする。

 そんな中で、どのジャンルも最後はバッドエンドよりも、ハッピーエンドで終わるのが一番好きだ。

 苦難を乗り越えて主人公とヒロインが結ばれて終わる物語は、何度見ても涙が出るし良かったと思える。

 だからホッと胸を撫で下ろすと、アリサはそんな自分の姿を見てくすりと笑った。


「クロちゃん、なんでこの話を貴女にしたのか分かるかしら」


「……わたしが、ソラの事で悩んでるから?」


「正解よ。悩むのは悪いことじゃないけど、その事でいつまでも止まっているのは、良い事とは言えないわ。だって」


 一つ間を置くと、アリサは右手で握り拳を作り、自分に向かって突き出した。


「貴女が立っているソコは、まだスタートラインですらないわ。負けたくないなら、自分の大好きなハッピーエンドを掴み取りたいのなら、先を進んでる子達を追い越しなさい」


「………そうだね」


 わたしは、ストレートな助言を素直に受け入れ、苦笑して頷いた。

 自分がいる場所は、漫画でもなければ、アニメでもない現実の世界だ。

 だから、いくら待っていたとしても、好機が向こうから訪れる事はけしてない。

 この胸の思いを叶えたいのならば、自分から行動して、戦って勝ち取らなければいけない。


「ママ、わたしね──ソラの事が好きなの。イノリちゃんよりも、ラウラちゃんよりも、世界中の誰よりも!」


 胸に抱いたのは、友人であるイノリとラウラと戦う決意。

 心の中で覚悟を決めたわたしは、右拳を突き出してコツンと突き合わせる。

 ──そこでいきなり、メニュー画面が開かれた。

 何事かと少々びっくりしたら、ストレージに収納している主武器〈黎明の剣〉が点滅していた。

 恐る恐るタップすると、修復したラベンダーカラーの片手用直剣が手元で具現化する。

 柄を手で握った〈黎明の剣〉は、まるで意思を持っているかのように淡い輝きを放つと、


【特殊条件〈恋の決意〉を達成しました。〈黎明の剣〉を鍛冶職人が加工する事により、上位ランクの武器を作成する事が可能です】


 それは精霊族の秘宝〈黎明の剣〉に込められた一つの力。

 持ち主が自身の恋心と向き合い、それを叶える為に決意した時、剣は想いに応えてさらなる高みに登る為のいしずえとなる。

 説明文を読み終えたわたしは、全てを受け入れ、自分に喝を入れる為に強く両手で頬を叩いた。

 〈アストラルオンライン〉の中では痛みはなく、衝撃だけが伝わるだけだが、それでも心は少し前向きになれたような気がする。

 顔を真っ直ぐ、目の前にいる母に向けると、わたしは覚悟を決めた言葉を告げた。



「ママ、今回の冒険が終わったら、わたしソラに告白するよ」


 

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