第152話「新学期の朝」

 朝の光を顔に浴びて目が覚めると、上條蒼空はゆっくりと起きて、大きなあくびを噛みしめる。


 今日からは、休日以外で朝のジョギング等が無いから気が楽だ。


 ベッドの縁まで移動して足を床に着け、慎重に立ち上がる。

 手足の長さの変化には、未だに慣れないけれど問題はない。


 軽くストレッチをして身体の動作に不備がないか確認をして、蒼空は昨日の内に準備した新品の白いワイシャツの半袖と、紺色のズボンの神里高等学校の男子の制服に視線を向けた。


 遂にこの時が来たのか、とため息が出てしまう。


 今日からいよいよ新学期。


 長い夏休みが終わり、学校が始まる日。


 クラスメート達や学校の生徒達がこの姿を見たらどんな反応をするのか、それが一番怖いのだが、そこは真司と志郎がいるから乗り越えられると信じている。


 数回ほど深呼吸をして、蒼空は半袖のTシャツと短パンをベッドの上に脱ぎ捨て、スポーツブラとボクサーパンツだけの姿になる。

 そして最初に半袖のYシャツを着て、次に長い紺色のズボンを履いた。


「ふぅ、やっぱり男子の服というのは落ち着くな」


 この身体に合わせて新調した制服はサイズがピッタリだ。着心地に問題はない。


 クセのある銀髪は邪魔なので、いつものように適当に後ろの方で束ねるだけにする。


 後は長い黒のソックスをはいて、これで大体の準備は完了。


 蒼空は最後に身だしなみに問題がないかチェックを済ませ、充電済みのスマートフォンと黒いカバンを手に部屋を出ると、そのまま一階に降りた。


 リビングには既に妹の詩織しおりと、黒いスーツ姿の詩乃しの)がいて、そしてその隣には、




 ───天使がいた。




 もちろん〈アストラルオンライン〉関連の、胡散臭うさんくさい白髪の連中ではない。


 今の自分と同じ腰まで届く白銀の髪。

 碧色のつぶらな瞳。

 白いワンピース型のセーラー服と赤いスカーフを身に纏い、下には黒いタイツを履いている天使の名は、小鳥遊たかなし黎乃くろの


 筆記用具などが入っていると思われる黒いカバンを両手で持って、背筋をピンと伸ばした彼女は、此方を見ると嬉しそうに小走りして、くるっとモデルのように回って見せる。


 これをイノリとかがやれば、あざといと思うけど、純真で無邪気な彼女がやるとそういった邪推じゃすいは全く出てこない。


 黎乃は少しだけ前かがみになり、


「おはよう、蒼空。今日はじめて着てみたんだけど、似合うかな?」


「お、おはよう。………似合ってるよ。うん、とても可愛いと思う」


「やった! 詩織ちゃん、似合うって!」


 キミが似合わなかったら、世界中の誰が着ても似合わないんじゃないか。


 そんなセリフが思い浮かぶが、余りにもくさ過ぎるので蒼空は喉まで来ていたソレを、グッと飲み込んだ。


 しかし、改めて見て思う。

 自分が通っている学校の制服を着ているというだけで、こんなにも胸がときめくものだろうか。


 詩織と詩乃に愛でられる少女に見惚れてしまった蒼空は、思いを誤魔化ごまかす為に首を勢いよく横に振ると。


 いかんいかん、相手は両親不在の女の子、自分は彼女のハトコの兄としてしっかりしなければ!


 自己暗示しながら、冷静になるように努める。


「蒼空、どうかしたの?」


「何でもないよ。さて、オレは今日の〈ユグドラシル〉の状況でも見ようかな」


 黎乃の疑問に答えながらテレビの電源を点けると、蒼空は高ぶる気持ちを紛らわす為に、液晶画面に映し出される報道内容に視線を向ける。


 そこには大西洋の中心に存在する、巨大すぎる大樹木〈世界樹〉があった。


 最近世界中のテレビ局で、アレの現状が定期的に発信されるようになったのだが、どうやら幸いにも変化はないようだ。


 このまま何事もありませんように。


 そんな願いを胸に、次に別のチャンネルに変える蒼空。


 いつもの〈アストラルオンライン〉の進捗しんちょくを取り上げるニュースに変わると、そこではコメンテーター達が今日も意味のないトッププレイヤー三選なるものを取り上げていた。


 えーと、トッププレイヤー達に人気の職業か。


 一位はダントツの投票数の〈騎士〉で、二位が〈魔術師〉三位が〈僧侶〉という分かりきった結果が出ていた。


 まぁ、誰が使っても安定して効果が発揮できる職業がチョイスされるのは、当たり前の事である。


 ちなみに四位以下だとオレが使っている〈付与魔術師〉は下から数えた方が早い。


 これにも理由があり、どうやら大多数の冒険者達からは〈白銀の剣姫〉の職業は普通の〈付与魔術師〉とは違うのではないか疑惑が出ているらしい。


 だから最初の職業を設定する神殿で選ぶのは、オレに憧れた人達だけで、大抵のパターンは初心者オススメの職業を選ぶ者が殆ど。


 強いのか聞かれると、オレも育てれば強いと当たり前の事しか答えられないので、現状の結果になるのは当然のことだ。


「ま、テンプレが強くて人気があるのはどのゲームでも一緒だな」


〘そうでしょうか。それに大多数の者達が分かりきってることしか語らないとは、この者達は実にくだらないですね。

 流石は冒険者に選ばれない人間です。不愉快なのでチャンネルを変えませんか、マスター?〙


「いやー、テレビってどれもそんなもんだよ。ルシフェ………」


 名前を呼ぼうとして、蒼空は固まってしまう。


 何故ならば、全く予想もしていなかった現象が起きたから。


 ちょっと待て、今どこから声が聞こえた?


 混乱と焦燥感しょうそうかんに全身から汗が吹き出す蒼空は、冷静に今起きた異常事態について分析する。


 声は頭の中からではなかった。


 恐らくは左下側にある、ポケットだと思われる。


 いや、そんなバカな。


 幻聴だと思いたい所だけど、それが現実だと周囲にいる詩織達が証明した。


「お兄ちゃん、今女の子の声が聞こたけど………」


「誰かいるのか」


「蒼空、誰と話してたの?」


 三人の女性が、オレに向かって歩み寄る。


 ソレに答えるように、今度はハッキリと蒼空の左下のケツ側のポケットから、この世界には存在しないはずのモノが返事をした。


〘私の事でしょうか。そういえばマスター以外の冒険者と会話をするのは、初めてですね〙


「る、ルシフェル……なのか?」


 恐る恐るポケットから取り出したのは、蒼空が愛用しているハイスペックのスマートフォン。


 省エネモードでブラックアウトしている筈なのに、手に取って見た液晶画面には、天使の羽のアイコンが表示されていた。


〘Yes、マスター。私はアナタのサポートシステム〈ルシフェル〉です。

 今まではネットの閲覧しかできませんでしたが、昨日のアップデートで喋る機能が開放されました〙


「ルシフェルって、お兄ちゃんが言ってたユニークサポートちゃん!?」


「ほう、ゲーム内ではいつもコレと会話しているのか」


「は、はじめまして、黎乃です!」


 三者三様の反応をする女性陣。

 これから学校に行くイベントもあるというのに、悩みのタネがまた一つ増えた事で蒼空は胃にギュッと絞るような痛みを感じた。


〘はじめまして、マスターの見目麗みめうるわしい親族の方々。私はサポートシステムの〈ルシフェル〉です。以後お見知りおきを〙


「見目麗しいって、もしかして私達の姿が見えてるの?」


〘もちろんです。ミズ、シオリ。神里中等部は制服が高等部と同じで、スカーフの色が緑色なのですね〙


「ど、どうやって見ているんだ? 見たところスマホのカメラ機能ではないっぽいが……」


〘ミズ、シノ。実は私とマスターは、視覚が共有されているのです〙


「視覚の共有……だと!?」


 つまり〈ルシフェル〉はオレが見ている景色を見ている事になる。


 というかちょっと待て、聞きたいことは沢山あるけど、何よりも一番聞かなければいけない事がある。


 正直に言って、答えを得たら少しだけ再起不能になりそうな気がするけど、意を決して蒼空は〈ルシフェル〉に尋ねた。


「今まではネットの閲覧って事は、おまえいつこの世界に来たんだ?」


〘リヴァイアサンを倒した後のアップデートでしょうか。言語機能は制限されていたので、基本的にはネットサーフィンとマスターの視界を介して、天上の生活を視聴する事を楽しんでましたが〙


 つまりコイツは、その時からずっとオレの言動を……。


〘普段は敵なしのマスターが、天上だとメンタル弱々なのが実に良かったです。それとミズ、クロノと二人っきりになると、砂糖を吐き出したくなるほどに甘々になるのも。

 この感情をそうですね、天上の者達の言葉を使って適切に表現するのなら、───押しが可愛くて生きてるのが辛いです〙


 ───ッ


 限界に達した蒼空は、すべての感情を爆発させてスマートフォンを床に叩きつけたが。


 残念ながら、ソレが壊れる事は無かった。

 

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