第108話「白銀少女と神里学園」

 校長室の扉をノックして入室の許可をもらう。


 桐江が開けるとエルと蒼空を先に通して、そして最後に桐江の順番で中に入る。


 中で待っていたのは、背筋をピンと伸ばした初老の女性と荘厳そうごんな佇まいの50代くらいの男性だった。


 女性の方は全体集合の時に見た事がある。

 理事長の神里かみさと優子ゆうこ、いつもスーツを着ている穏やかな雰囲気の人だ。


 その隣にいるのは暁月あかつき健吾けんご、神里学園の校長でスーツが良く似合う短髪の男性。

 いつも朝一番にグリーンロードの清掃をして、生徒達に笑顔で挨拶をしている姿が強く印象に残っている。


 流石に人を前にしてフードを被っているのは、マナー的にアウトだ。


 これはやむを得ない、とオレは目深まで被っていたフードを脱ぐと、その美しい白銀の髪と素顔を二人に晒した。


 流石に声には出さないが、二人は目を大きく見開いて、驚いた様子を見せる。


 それから何やら、蒼空に対して尊敬する様な眼差しを向けて、三人にソファーに座るように促した。


 どうしたんだろう……。


 様子のおかしい二人をいぶかしみながら、蒼空は柔らかい上質なソファーにゆっくりと腰を下ろす。


 その左側にはエルがやたら近い距離で腰掛け、右側には適度な距離で桐江が腰掛ける。


 神里理事長は、テーブルの上に用意してある急須きゅうすを手に取ると、中身を3つの湯のみに注いで、オレ達の前に置いた。


 茶請けは見慣れた近所の人気店の練り羊羹ようかんで、程よい甘さと深い味わいで直ぐに売れ切れてしまう一品だ。

 理事長も好きらしく、今日オレ達の為に用意したとの事。


 礼を言って湯のみの中身をゆっくり傾けると、蒼空は程よい苦味のお茶にホッと一息つく。


 それから話を最初に始めたのは、エルでも神里理事長でもない。


 蒼空の正面に向かい合うように座っている、暁月校長だ。


 彼はいつものにこやかな表情ではなく、口元を引き締め、真剣な顔で一生徒であるオレと向き合った。


「話をする前に、先ず上條かみじょう蒼空そら君に聞きたい事があります。キミは今の姿になっても、変わらず当校に通いたいと思っていますか?」




 その質問に、心臓が止まるかと思った。




 そうだ……。


 オレは性転換した問題が、親友やクラスメート達に今の身体を説明する事しか考えていなかったけど、“今まで通り学校に通う事ができない可能性もあるのだ”。


 気づいてしまった蒼空から、血の気が引いてしまう。


 手が恐怖に震え、真っ直ぐ前を向いている事ができなくなり、視線を下に落とした。


 学校に変わらず通いたいか。


 そんなの、答えは決まっている。


 蒼空は精一杯の意思を振り絞り、自分の答えを口にした。


「はい、通いたいです」


「そうか、わかった。キミは当校に変わらず通いたい。それを頭に置いた上で、話をしよう」


 オレの言葉を聞いた彼は、どこかホッとした顔をして、お茶を一口飲む。


 通いたくない、通えない、そんな言葉を返されなくて良かったという雰囲気を感じた。


「ではまず最初に上條君、キミが呪いで性転換している事。その事情を含めて、どういう状況に身を置かれているのか。私と理事長は既にそこにいらっしゃる神様より教えて頂き、全て理解しています」


「は、はい」


「それに加えて〈守護機関ガーディアン〉からキミの身体の現状についても資料を見せてもらい、今は遠方にいらっしゃる御両親とも話をさせていただきました」


「父さん、母さんと……」


 二人と一体何を話したのだろうか。


 とても気になったが、蒼空は息を呑んで、緊張した面持ちで暁月校長の話に耳を傾ける。


 暁月校長は、そんなオレの様子を見て安心感を与えるために、口元に微笑を浮かべると続けてこう言った。


「御両親からは、本人が望むのならば在学させて欲しいとお願いされました。

 キミは〈アストラルオンライン〉を攻略する冒険者の中で、最も世界に貢献している人物です。

 当校としても世界の為に頑張っている少年が望むのならば、在学していられるように最大限の努力をすると約束しましたので、本日までキミが通いたいと言ってくれるか不安でしたよ」


「校長先生……ありがとうございます」


 自分の事を第一に考えてくれた両親と校長の言葉に、蒼空は感動して少しだけ胸にジーンと来る。


 次に口を開いたのは、暁月校長の隣に腰掛けている理事長の神里優子。


 話の行く末を見守っていた彼女は、お茶を一口だけ飲んだ後に、オレを見てこう話を切り出した。


「冒険者“ソラ”は、先月の大規模イベント〈リヴァイアサン〉戦で多大な功績を上げた事で、今は世界中で知らない者がいない程に有名です。

 教員の中には貴方という“英雄”がいる事で、不要なトラブルが起きる事を危惧する教師もいましたが、私達の学校には幸いにも既に国民的タレントが一人いますし、メディアに対する対策は問題ありません。ですがなにより……」


 神里理事長は自身の言葉に込める力を強くすると、一つの覚悟を瞳に宿した。


「貴方のように戦っている人達がいるのです。こんな状況で保身の為に生徒一人を抱えられなくては教職員の名折れというもの。教員会議の結果、今の貴方を在席させたままでも問題はないと皆で判断しました」


「小難しい話をしましたが、つまり上條君は変わらず当校に通えるという事ですね」


 暁月校長が話をまとめて結論を口にすると、理事長の神里は口元を隠すように右手の指先を当てて苦笑した。


「というわけで上條くん、今後とも当校での勉学、頑張ってくださいね」


「理事長、校長先生、ありがとうございます……」


 色んな感情が入り混じり、胸がいっぱいだ。


 この学校を選んだのは、ただ近いからという適当なのものでしかなかった。


 でも今は違う。


 選んだのがこの学校で良かった。


 心の底からそう思った蒼空は、二人に対して深々と頭を下げる。


 すると隣から、何やら「う、うぅ……」と嗚咽が聞こえてきた。


 何事かと横目で見てみると、なんと桐江が隠そうともせず、両目から大量の涙をバルブ全開で流していた。


 これには蒼空も両目にためていた涙が引っ込み、ポカーンと口を半開きに凝視してしまう。


「あの、桐江さん……」


「わ、わるいね。アタシはこういう話には昔っから弱くてさ」


「いえ、その大丈夫ですか?」


「大丈夫だ、問題ないよ」


 ハンカチをポケットから取り出して、涙を拭う美人警察官。


 良い人だなぁ、と蒼空は彼女に対して感想をいだきながら、改めて神里理事長と暁月校長に視線を向ける。


 すると二人の視線は、蒼空から隣にいるエルに向けられた。


 蒼空も視線を隣に向けると、今まで黙って見ていたエルが私の番だと言わんばかりに両手を上げて、自分の存在を主張する。


「さて、次は私ですね!」


「オマエからも、何か話があるのか」


「ええ、むしろここからが本番です。漫画やアニメで言うなれば、真打ち登場というヤツです」


「うへぇ、オレはもう今ので大分お腹いっぱいなんだけどなぁ」


 ウンザリした顔をする蒼空に、エルは右手の人差し指を左右に振った。


「ノンノンノン、逃れようとしてもムダです。大抵の人はそう言って、実は腹八分目で、もう少しだけ余力を残しているのはマンガを読んで分かってるんですから」


 やだこの自称神様、変な知識を身につけてる。


 オレは露骨に嫌そうな顔をすると、何だか頭痛がしてきたので、ここら辺で一先ず糖分補給をする事にした。 

 

 羊羹を楊枝ようじで三分の一に切り分け、口に放り込む。

 小豆の程よい甘さと深い味わいに少しだけ活力を取り戻すと、お茶を飲んで一息。


 それから自称神様に向き合うと、こう言った。


「もう、仕方ないなぁ。このあと黎乃と〈アストラルオンライン〉の攻略進める予定なんだから手短にしてくれよ」


「はい、分かりました。攻略は大事です、古事記にもそう書いてありますからね」


 コイツが何を読んでるのかは、大体分かった気がする。


 ただツッコミを入れると長くなりそうな気がしたので、ここは黙ることにした。


 エルはどこから取り出したのか、白いホワイトボードの前に立つと、大きく『学業よりも攻略優先!』という文字を学園のツートップがいるこの場でデカデカと書いた。


「まぁ、先程も話をしましたが、一言で説明するのなら学校生活が始まった場合、大体一日の三分の一を消費することになります。そうなれば〈アストラルオンライン〉の攻略は間違いなく遅れる事になるでしょう」


「まぁ、夏休みよりはペースは落ちるだろうな」


「というわけで神様権限でこの制度を実施するのですが、その際にリアルにいるあなた方“冒険者をランク付け”しようと思っています」


 ………………ランク付けだと?


 自称神様エル、彼女の口から出た言葉は、聞き捨てならない内容だった。

 

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