第二章〜竜の姫編〜

第71話「検査と遭遇」

 精霊の森の事件が解決して、何日か経って現在は夏休みの8月1日。

 セミが頑張って、命を燃やして熱いビートを奏でているのを聞きながら。

 銀髪碧眼の少女、神里かみさと高等学校の一年生、上條かみじょう蒼空そらは疲れきった顔をしていた。


 現在自分がいるのは、市内にある一番大きな市立病院、神里中央病院。


 そこに〈守護機関〉という世界規模の組織が新設した、〈アストラルオンライン〉の冒険者専用の待合室だ。


 なんで、こんな所にいるのか。


 それは病気や怪我が理由ではない。

 診察してもらう内容は、ずばり今のオレの身体に異常がないかだ。

 蒼空は、何の為に置かれているのか、いまいちよく分からない姿鏡を一瞥いちべつする。

 腰まで長い銀髪。つぶらな碧眼。

 整った顔立ちに、身長150程度しかない細身の身体。

 道を歩けば誰もが振り向くような、美しい少女。

 これが元は冴えない日本男児だと言って、果たして信じてもらえるだろうか。

 冷静に考えても、正気を疑う内容だ。


 しかし、ウソみたいな話だが、本当の事なのである。


 事の発端は今夏の新作VRMMORPG〈アストラルオンライン〉というゲーム。

 新規で始めた蒼空は、魔王と戦って敗れ、最後には呪いを受けた。

 すると驚くべき事に、ゲーム内だけでなく現実世界の自分も、日本男児からロシア系の少女に性転換してしまったのだ。


 今世界的に、色んな意味で注目を集めているこの〈アストラルオンライン〉。


 この空想を現実にするゲームを危険視する専門の組織〈守護機関〉の使者によると、呪いを受けた場合に解呪しないでログアウトすると、その呪いが現実の身体にも反映されるらしい。


 普通の呪いならゲーム内の協会で解呪して貰えるのだが、なんとオレの呪いは“魔王を倒すまで解除されない”特殊なものだった。


 少年が、少女になる。


 普通ならば、あり得ない現象だ。


 しかも、原因が原因だ。身体にどんな不具合が出るのか、分かったものではない。


 それで妹に両の頬をつねられ、嫌々ながらも家を出て、片道30分のこの病院まで検査を受けに来た。

 以前に使者から受け取った冒険者カードを使って受付を完了すると、係のナース服の女性からは、待合室で待っているように言われた。


 体感時間としては、10分くらいか。


 空いている長椅子に腰掛けて待っていると、黒い修道院服を身に纏ったシスターみたいな女性に案内されて、この別エリアに来た。

 そこで蒼空は、一つ疑問に思った。


 なんで病院内にシスターがいるんだろう。


 聞いてみると、金髪の綺麗なお姉さんはくすりと笑って「呪いの事なら、お医者さんじゃなくてシスターでしょ?」と普通なら聞くことのないセリフを口にした。


 本当に、大丈夫なのだろうか。


 不安になったが、それから普通の病院と同じように診察を受けて、そこからは血液検査、細胞検査、全身レントゲンやら一通りのチェックを受ける事になった。

 全て美人のシスターがやった事に目をつぶれば、医者がやるのと大差ない事である。

 ではなんで疲れきった顔をしているのかと言うと、それは最後の呪いを調べる検査が触診だったからだ。


 色々と敏感びんかんな身体で、妹に目隠しで風呂に入れてもらうのも大変だというのに、知らない人に触れられたらどうなるのかは火を見るより明らか。


 結果として、途中で耐えられなくなって気を失った蒼空は、気がついたらここに座っていた。


 先程まで隣には別のシスターの女性がいたのだが、オレが目を覚ますと「検査は全て終わりました、結果をご報告しますのでお待ち下さい」と言ってどこかに消えた。

 一人、ポツンと残される蒼空。


「ほんと、誰もいないなぁ……」


 そういえば呪いを使うモンスターなんて、魔王を除けば未だに見たことない。


 となると、ここを利用するのは現状ではオレしかいないのかも。


 他に誰もいない待合室の、やたら高級そうなソファーに腰掛けてボーッと待っていると、蒼空は天井を見上げて呟いた。


 いよいよ明日か……。


 月宮つきのみや詩乃しのと、小鳥遊たかなし黎乃くろのが、プロゲーマーの仲間達と近所に引っ越してくる。

 詩乃は言った、先ずはオレと詩織の顔を見に来ると。

 それはつまり、未だに親友にすら隠し続けているこの少女の姿を、彼女達に見せなければいけないという事。


 黎乃はリアルのオレと会うことを、とても楽しみにしてくれている。


 でもこの身体を見たら、彼女はどんな反応をするのだろう。


 失望?


 幻滅?


 いずれにしても、良い反応をしないことは間違いない。

 考えるだけで蒼空の小さな胸に、ナイフで切りつけられたような、鋭い痛みが走る。


 これならば〈リヴァイアサン〉をソロで相手にした方が100倍マシだ。


 我ながら情けない思考にふけっていると、蒼空は窓の外に視線を向ける。

 と言っても眺めは、あんまりよろしくはない。

 ここから見えるのは大きな駐車場くらいで、景観としての価値は0点だ。


 仕方がないのでオレは、地上を見るのを止めると青空あおぞらを見上げる事にする。


 今日は雲一つない、見事な青天せいてんだ。


 自分の名前の由来でもある空を眺めながら、落ち着かない気持ちを抑えられず、左右に小刻みに揺れていると。


「ソラ様は、やはり青空を眺めるのが好きなのでしょうか」


 突然呼びかけられて、そちらの方角にゆっくり視線を向ける。


 するとそこには──真っ白い髪と金色の瞳、それと真っ白なワンピースを身に纏う一人の少女が立っていた。


 その顔は〈守護機関〉の使者としてやってきた二人とは、似ているようで違う。

 神々しい空気を身にまとい、指先の一つ、瞬きの一つといった全ての細かい動作に気品を感じられる。

 彼女の存在感に思わず圧倒された蒼空は、歯を噛み締めて辛うじて意思を保つと、力を振り絞って声を出した。


「キミは……」


「まぁ、素敵ですね。私を見て、許しを得ずに言葉を発することができたのは、ソラ様が初めてですよ」


 白の少女が嬉しそうに微笑むと、ズンッと周囲の重量が増した。

 まるで重力が、オレの頭が高いと言わんばかりに、平伏へいふくさせようとする。

 姿勢が崩れて、ソファーに無様に突っ伏すと、彼女は少しだけ眉をひそめた。


「ダメですよ。英雄様は悪しき〈嫉妬〉を倒されたのです。この場で私と対等に存在する権利は、十二分にあります」


 少女がそう言うと、押しつぶそうとしていた重力がウソのように消える。

 呆然と顔を上げる蒼空を見下ろして、彼女は優雅にワンピースのスカートをつまみ上げて、お嬢様のように一礼をした。


「はじめまして、ソラ様。私はエル・オーラム。この“世界の神”です」


「神様、エル・オーラム……」


「そうです、神様なのです。普通の人間なら認識する事が出来ないほどに、私は上位の権限を持っているんですよ」


 えへん、と薄っぺらい胸を張るエル。

 そんな彼女に、蒼空は疑問を投げかけた。


「でもキミは、テレビでは普通に映ってたよな」


「それは意図して認識レベルを下げてましたからね。普通ならそこらへんを素っ裸で歩いても、誰も気づきません」


「じゃあ、オレがキミを見る事ができているのも、その認識レベルを下げているからなのか」


 蒼空の質問に、エルは首を横に振って否定した。


「認識レベルは、一般人なら見えないレベルですよ。ソラ様が私を見ることができているのは、単純に〈嫉妬〉のリヴァイアサンを倒した事で、ソラ様ご自身がランクアップしたからです」


「オレが、ランクアップした……?」


「はい、一般人のご卒業おめでとうございます。これでソラ様は、世界の英雄に一歩近づきましたね」


「……わけが分からない。キミは一体、何者なんだ」


 蒼空が問い掛けると、彼女は無邪気に笑った。


「私は、この世界を管理する権限を持つ、神様ですよ。そしてこの世界を塗り替えようとしている〈アストラルオンライン〉を攻略するために、アナタ方を冒険者として送り込んだ黒幕の一人でもあります」


「な……」


 黒幕の一人、だと。


 あまりにも衝撃的すぎるカミングアウトに、蒼空は思考がフリーズして、動けなくなった。


 

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