150.甘く長い誓いの口付け

 皇族のミドルネームを記す彼女をうっとりと見つめる。フォルシオンのファミリーネームは、皇族のみ。現在時点で名乗るのは、僕とトリシャだけだった。2人しか使えないラストネームが、輝いて見える。


「誓いの接吻を」


 大司教の声に頷き、少し俯いて待つトリシャのヴェールに手をかける。どうする? このまま僕が潜り込んで口付けてもいいんだけど、やっぱり見せびらかしたい気持ちもあって。僕の美しい天使をお披露目しようか。ゆっくりともったいぶって持ち上げ、ティアラに引っかけて裏返した。


 普段のトリシャとは雰囲気の違う美女は、伏せた長い睫毛を静かに上げる。輝く濃桃の瞳は睫毛の影がかかって、いつもより赤く見えた。それ以上に赤く彩られた唇がふるると震える。緊張した面持ちの彼女の顎に手をかけ、わずかに持ち上げて僕も身を屈めた。


 触れたことがある唇なのに、初めてのような気がする。軽く触れて離れるつもりが、そっと誘うように開いた唇と……合わせられた視線に深まっていく。大司教が咳ばらいをするが無視して、貪った。赤い唇の色を僕が奪うまで、深く重ねた口付けに広間は静まり返った。


「……っ、エリク」


 思わずと言った風情で呼んだ彼女の声が掠れていて、強く抱き締める。今の彼女の顔を誰かに見せる気はなかった。だから落ち着くまで抱きしめて、周囲が我に返ってざわめき始める頃、ようやく腕を緩める。赤い頬をしているものの、トリシャは微笑んで頷いた。


 うん、もう大丈夫そうだね。


「トリシャ、退場まで頑張って」


 彼女の膝が震えている。崩れそうな彼女の腰に手を回して支え、僕は背筋を伸ばした。拍手と祝いの声が響く広間の絨毯は、さきほどトリシャが歩いただけ。誰も踏んでいない。その赤い絨毯を踏みしめ、階段を降りて扉へ向かった。


 退場したら宴まで時間がある。トリシャは着替える予定だった。階段下で待つ護衛の双子が前後を固め、ニルスとソフィがさりげなく後ろに従う。扉を出た彼女を控室に伴い、ドレスに包まれた彼女の唇をもう一度奪った。


 さっと背を向けたアレスとマルス、穏やかに見守るニルス、真っ赤な顔を両手で覆ったのに隙間から覗くソフィ。反応は様々だけど、僕が気にするのは大切なトリシャの表情だけ。拒まない彼女の手が伸ばされ、絹のレースに覆われた指先が僕の顳や黒髪に触れる。首に回されたトリシャの手が嬉しくて、吐息まで奪った。


「っ、はぁ……」


 肩で息をするトリシャを見つめる僕の瞳は、きっと蕩けそうに甘い。


「愛してる、トリシャ」


 嬉しいのと興奮と、さまざまな感情がごちゃまぜで言葉が出て来ない。溺れる人間の吐息のように、零れたのは愛してるの一言。もっと気の利いた言葉を考えたはずなのに、真っ白になった頭は働かない。僕をこんなに狂わせるのは、君だけだ。


「脱がせてくださいますか? エリク」


 思わぬ申し出に、このドレスを纏うのは今だけなのだと残念に思う。夜着代わりに、初夜の衣装にしたいと言ったら、呆れられちゃうかな? 僕と君の色を混ぜたドレスを纏う天使を、僕色に染めたいなんて――気障かもね。

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